34.シェルス
《王宮 祝賀会会場 屋根裏》
本当にこれで良かったのだろうか。
指先から流れる血を見つめながら自問自答する。
アイツは私が倒したかった。あの時と同じように地面にひれ伏して、意味の分からない言葉を浴びせて止めも刺さずに去る。まさにアイツと同じ事をして仕返ししたかった筈だ。
だが私は今、それとは程遠い行動に出ている。ガラドランジュに英雄たるアイツの位置を知らせようと血を滴らせている。
私の血の匂いでガラドランジュは位置を特定できる。あの時もそうだった。アイツに胸を串刺しにされ、動けない私を助けたのもガラドランジュ。
「本当にこれで良かったのか? なあ、シェルス……」
自分に自分で問いかけてみても、答えは帰ってこない。
このままではアイツ……アルフェルドはガラドランジュに殺されるだろう。万が一、ガラドランジュが返り打ちにされそうになったら……恐らく私は加勢して共にアルフェルドを殺す。
ガラドランジュは私にとって兄であり、命の恩人であり……家族だ。数少ない、私が胸を張って家族と言い切れる関係の魔人。半分人間の血が混じった私の事を、心から愛してくれた。そんな奴を見殺しに出来る筈が無い。
そして裏切れる筈も無い。私はアルフェルドをこの王都から逃がそうとしたが、ただ中途半端に言い聞かせただけだ。心の中ではガラドランジュを裏切るような真似は出来ないと分かっていたんだ。
でも……アルフェルドはここで死なせたくない。出来るなら生き延びて欲しい。そしてまた再び私と……
「誰か! 誰か今この状況を説明しろ! 一体どうなってる!」
その時、貴族だろうか。恰幅のいい髭を生やした男が騒ぎ出した。今この王宮内、先程まで優雅に踊っていた会場のすぐ隣の広間に大勢が集められている。護衛の騎士は居るには居るが、彼らも状況を理解できていない様だった。男の叫ぶような声は空しく響くばかり。
「おい! お前! 王族護衛団だろ! 説明しろ! 今何が起きてるんだ!」
男は騎士の一人へと詰め寄る。その騎士は全く動じていない。詰め寄られても無表情を貫き、まるで男の存在など最初から居ないかのように振舞っている。
アイツ……結構強そうだ。当然か、王族護衛団と言うのがどの程度の集団かは知らないが、確実に並の騎士よりは上だろう。
そして貴族の男の動揺が伝染するように、周りの人間も口々に不満を漏らし始めた。最初に出現した巨人は何だだの、騎士団は何をやっているだの……。
「見ていて滑稽だな……貴族と言っても小心者ばかり……ん?」
その時、騎士に詰め寄る最初に騒いだ男の頬を平手で殴りつける女性が。
マジか、痴話喧嘩……なわけないか。
「いい加減になさい! それでもファルダオーテ家当主ですか! 今私達がここで怯えて竦んでいる事程、無駄な事はありません! 王宮の外では民が怯え膝を抱えています! 一刻も早く非難誘導を……」
「ふざけるな! この売女が! ベディヴィア家に身を売り成り上がった魔女め! よくもこの私に手を上げたな! この落とし前、どうやって……」
その時、頬を殴られ怒り心頭の貴族の男……その男と殴った女性の間に、先程まで無表情だった騎士が立ちふさがった。表情は変わらず変化は無いが、その身に纏う殺気が目に見えるようだ。明らかに男の方へ敵意を向けている。
なんだ、あの騎士……本当に騎士か? 暗殺者か何かの間違いじゃないか?
「な、なんだ、貴様……一体……」
「それ以上我が主君に暴言を吐くな。この方がどんな経緯でここに居るか、貴様には説明しても無駄だろう。ならばせめて二度と口を利けぬように喉を切り裂いてやろうか」
マジか、あいつ本気だ。貴族相手に騎士が剣を抜く気マンマンだ。これ以上あの貴族が下手な事を言えば、確実に首が宙を舞う。それはそれで滑稽だが、今この場でそれをすれば混乱どころじゃないぞ。私としては好都合だが……。
「き、貴様! 今……今なんと言った! この私に向かって……第一、貴様は王族護衛団だろうが! 何故その売女が主君になる! 何をはき違えているんだ!」
騎士の重心が変わった。殺る気か。
「止めなさい! リコ!」
だが女性の一声で騎士の殺気は消え去った。どうやらあの女が主君だというのは本当のようだ。だが男の言う通り、あの騎士は王族護衛団じゃないのか? まさかあの女……王族? いや、それにしては着ているドレスや装飾品が他に比べて地味だ。
「リコ、下がりなさい。貴方には貴方のやるべきことがある筈です」
「……はい」
リコと呼ばれた騎士は言う通り下がり、そのまま広間から退出する。そして先程まで元気よく吠えていた男は腰を抜かし失禁していた。素人にまで分からせる恐ろしい殺気。間違いない、奴は確実に強い。それこそディアボロスの血族……もしかしたらギアラ殿にすら匹敵するかもしれない。天井裏から眺めていた私ですら、冷や汗をかいている事に今気が付いた。恐らくあの場に居た貴族達は皆、背中がベッタベタだろう。
「……失礼しました。彼は王族護衛団ですが、私の事を良くしてくれて……。立てますか?」
女性は男へと手を貸そうとするが、男はそのまま逃げるように広間から出ていく。それに続いて、貴族が数組共にいそいそと姿を消した。
さて……どうするか。あのリコという騎士は確実に要注意人物だ。この場から消えてくれた事は有難いが、あの女に執着している事は確実だ。今ここで悲鳴の一つでも上がれば引き返してくるだろう。
いや、奴だけじゃない。よく見れば広間には他にも数人の騎士が残っている。今ここにガラドランジュが突撃してきても袋叩きに合うだけだ。どうにかして奴等をこの場から……いや、それよりアルフェルドをおびき出した方が早いか。
しかしそれで本当にいいのか?
このままアルフェルドがここに留まり続ければ、確実に生き延びる事が出来る。
だからといってガラドランジュをみすみす見殺しにも出来ない。だがここで私が加勢した所で焼石に水だ。他の騎士も殺気を隠しているだけで、どれだけの実力者か分からないんだ。せめて他の魔人が数体来てくれれば……
『アハハ、シェルスちゃんの血はいい香りですなぁ。アハハ、もしかして私が一番乗りですかなぁ』
「うぉ! び、びっくりさせるな、アウタージュ……あんたがガラドランジュより先に来たのか?」
『アハハ、ですです。ガラドランジュ様は少年の姿ゆえ。足が遅いのですなぁ。竜のままだと余計に遅いですけど』
ディアボロスの血族の魔人、アウタージュ。
蜘蛛の胴体に人間の少女の上半身がくっついたような見た目。その可愛らしい少女の上半身は勿論囮だ。本体は蜘蛛の方。正々堂々と決闘形式で戦いたがる血族の中で、珍しく騙し討ちが趣味の魔人。私は何度も騎士が少女を切り裂いているスキに、蜘蛛が齧りつく所を目撃している。齧りつかれた騎士は漏れなく胃袋の中だ。この蜘蛛の牙には猛毒がある。それも即死では無く、全身麻痺の。なんでもじっくり胃袋の中で溶けていく人間の叫び声が好きなんだとか……。
「アウタージュ……今は飛び込まない方がいいぞ。袋叩きにあうだけだ」
『アハハ、それはそれで一興だねぇ。ディアボロス様亡き今、生き延びろと言われてもねぇ』
そのまま天井裏から飛び降りる蜘蛛。
「お、おい! 待て……みすみす死ぬ気……」
その時、アウタージュの胴体に付いている少女は、私に黙って潜んでいろと……口に人差し指を当ててジェスチャーしてくる。
本当に死ぬ気か……?
そこにはアルフェルドも居る……確実に殺されるだけだ。
「……! 魔人?!」
広間へと降り立つアウタージュ。そのまま蜘蛛の糸と同時に魔術を展開し、この場に結界を張り巡らせる。外部に戦闘音が漏れないようにする処置だ。
「下がれ! コイツは強いぞ!」
その時、アルフェルドの声が聞こえた。既に抜剣し、アウタージュと戦おうとしている。
いくらザナリアが手加減していたとはいえ、アルフェルドはその神に等しい魔人に実力を認められる程の騎士だ。アウタージュでは敵わない。ましてや、今この場にはアルフェルドよりも強い実力者が居るかもしれない。そうなったら絶望的だ。アウタージュは……確実に殺される。
『アハハハハハ! 私はディアボロス様が一派の魔人、アウタージュ! そこの騎士ぃ! お前を殺して再びこの地にディアボロス様の名を轟かせてやる! アハハハハ! アハハアハハ!』
如何にも狂ったような言動をしながら、アウタージュはご丁寧に細部に渡って結界を張り巡らせていく。外部からの干渉も許さない強固な結界。もし魔術師が居るなら、この結界そのものの気配に気づくだろう。だがアウタージュはその辺りの魔術師が太刀打ち出来るような魔人じゃない。それこそシスタリアの魔女が出てこない限りは。
「ディアボロス……やはりか……」
その時、アルフェルドとは別の……別の騎士が抜剣し立ちふさがる。
あの騎士は……あの時の……
「チェーザレ……?! お前まだこんな所に……」
「俺だけじゃねえよ。どういう事か説明してくれるんだろうな。サラスティアが顔変わってんぞ」
「いや、それは……」
その瞬間、アウタージュの八本の足の内、四本が一気に切断された。
切ったのは冒険者のような恰好をした女。金髪の……
……?! ば、ばかな。何故貴方が……
冒険者風の女はアウタージュの足を切断しつつ、そのまま距離を取り、ゆっくり観察しながら淡々と周りを歩く。まるで値踏みするように。
「おい、サラス……じゃない、イリーナ! 殺すなよ、今何が起きてるか吐かせるんだ」
「分かってるさ。とりあえず蜘蛛なら足を全て無くそうが頭さえ無事なら生きてられる。それと少女の胴体は囮だぞ。魔術を展開した時、明らかに糸に魔力を送っていたのは蜘蛛の方だ」
不味い、不味い、アウタージュが問題にならない。
一体何だ、あの冒険者の女は……相当の手練れだ。
それに何故……何故その顔をしている。
違う、あの人じゃない。あの人が生きているわけが無い。
あの人はあの日、私のせいで撲殺されたんだ。私は息絶える所をしっかりとこの目で……
「じゃあとりあえず解体するか。ディアボロスの血族の魔人と言えど……運が悪かったな。今この場に飛び込んできちまうとは……」
待て、落ち着け……今この場に私が飛び込んでも何をどう出来るわけじゃない。
せめてガラドランジュが来れば……その時まで耐えろ、そうすれば……
『アハハ、残念……私が……一番乗りぃ……』
……!
アウタージュ……まさか自爆……
「やめろ……! アウタージュ! みすみす死ぬな!」
言いながら飛んでいた。
我ながら馬鹿な決断だ。アウタージュが自爆してくれれば形勢逆転は間違いない。
アウタージュは戦士だ。生き延びて死に恥を晒すのを尤も嫌う筈だ。自爆する事で己の使命を全うする事こそが生きた証になる。
今ここで私が助けに入るなど、間抜けを通り越してアウタージュを侮辱する行為に他ならない。
「……?! シェルス?!」
間の抜けたアルフェルドの声が聞こえた。
何故今この場に出来てきたと言わんばかりに、その顔は困惑に満ちている。
そしてそれは国王に詰め寄っていた騎士も、私の母親の顔を持った女冒険者も同じ。
いいだろう、私もディアボロスの血族として戦士として戦おう。
今、この場で決着を付ける。
「……アウタージュ、死ぬなら私と一緒に死んでくれ」
『アハハ……シェルスちゃんは困ったちゃんだねぇ……』
本当に困った。
私が入ってきた事で、勝算は限りなくゼロになった。
だからどうした。私もザナリアと同じだ。
あの日、死に損なった、あの時が……今になっただけだ。
「アルフェルド……今日、今ここで……お前を殺す!」
もう一度お前と戦いたい、そう願ってきた。
私の事を美しいと言ってくれた……お前と。




