30.リュネリア
《王都スコルア 王宮 ルインティアの私室》
この国には、聖女と呼ばれる職が存在します。一般的に聖女と言えば、世の人々に大きく貢献した高潔な女性を想像するでしょう。しかしこの国の聖女とは、王家の身の回りの世話、そして王宮の管理、王族の護衛を担う者達の事を聖女と呼びます。
私は聖女として、王家の次女であるルインティア様の身の回りの世話を担当しております。聖女になって十年。私はルインティア様がお生まれになった、その日から……この子の傍で共に過ごしてまいりました。
私にとってルインティア様は我が娘のような存在でした。私がお腹を痛めて産んだ子ではありませんが、赤ん坊の頃からお世話させて頂いているのです。王家の血を継ぐ者を、娘と呼ぶのはおこがましいと分かっています。しかし愛しく感じる事くらいは……。
「リュネリア……ねえ、リュネリア。ラインハルトお兄様は大丈夫でしょうか……なんだか震えていたし、もしかしたら風邪でも曳かれたんじゃ……」
心配そうに兄の事を想うルインティア様。私はそっと目線を合わせるようにしゃがみこみ、ルインティア様の手を両手で包み込みます。
「大丈夫です。先程、ラインハルト様へご確認してきました。今夜は大切な祝賀会ですから……きっと緊張なさっているのでしょう」
私がそう言うと、ルインティア様は少し安心したように笑顔を見せてくれます。しかしまだ多少の不安はあるのでしょう、私の手を……小さな手で握りしめてきます。
「とても凄い事をした騎士様の……祝賀会……。ねえ、リュネリア……その騎士様は何をしたの?」
ルインティア様はアルフェルド・マルカルについて私に尋ねてきます。とはいっても、私も彼と会った事はありません。王都直属の騎士団は規模が大きく、アルフェルドも今日まではただの一騎士にすぎなかったのですから。
「ルインティア様、その騎士の名は……アルフェルド・マルカルと申します。グロリスの森に潜んでいた魔人……ザナリアを討伐したとして、国王陛下はアルフェルドに勲章を与えられるのです」
「ザナ……リア? その魔人は……悪い人なのですか?」
ルインティア様は勿論、魔人と呼ばれる存在をその目で直接見た事などありません。大切に、ひたすら大切に……籠の中の鳥のように王宮で過ごされているのですから。それ故、魔人が及ぼす被害など知る由もなく、魔人がどれだけ危険な存在かも理解されてはいません。しかしルインティア様は……アルフェルドへの勲章授与の後、コルネスの王家へと嫁がれます。ならば、最低限、コルネスと関係のある事については覚えてもらわねば。得に……イルベルサのザナリアについては……。
「ルインティア様、ではまず……少しコルネスの歴史についてお勉強しましょう」
「ぅ……お勉強……」
少し渋い顔をされるルインティア様。その顔を見て、私は頬が緩んでしまいます。
「ルインティア様、以前お話した……十五年前の大戦については覚えられてますか?」
「えっと……はい、シスタリアとコルネスの……」
少し悲しい顔をしながら、戦争という言葉を口にする事すら躊躇うルインティア様。こんな子にザナリアの事を解説するのは心苦しい事この上ないですが、コルネスへ嫁がれるとなった今、いつかは聞かせねばならない事。なにせザナリアは、コルネス側の兵としてシスタリアと戦った魔人なのですから。
「そうです、ルインティア様。シスタリアとコルネスの戦争……その戦いの場に、ザナリアという魔人が参加していました。ルインティア様、イルベルサ……という国の事は以前、少しお話した事があると思います」
「はい、魔人の国です。でも今はもう無くなってしまったんですよね……」
「はい、その通りです。イルベルサは神に等しい魔人と言われた……ファラクという魔人によって建国されました。ザナリアは、そのファラクの側近の戦士だったと言われています」
そして私は、ルインティア様へと今まで説明していなかった……コルネスとの戦争の経緯、そして何故魔人であるザナリアがコルネス側の兵として戦ったのかを説明します。ルインティア様は時折悲しそうな顔を浮かべつつ、私の話に耳を傾けていました。
「ザナリアは……シスタリアの騎士様を沢山……殺したのですか?」
「……そうです。当時の騎士隊長が十人以上……その中には、アルフェルドの父君である貴族出身の騎士も多く含まれていました。それ故、アルフェルドの功績は多大なのです。大戦に参加した騎士隊長達が敵わなかった相手を、アルフェルドはたった一人で討伐してしまったのですから」
「……アルフェルド様はお強いのですね……ねえ、リュネリア……」
ルインティア様は上目使いに、小さな唇を揺らしながら私を見つめてきます。この顔は……何か私に頼み事がある時の表情。この話の流れで一体何をお願いされるのか、私は少し心配になってきます。数年前、ルインティア様は王家の長男であるチェーザレ様に乗馬を教えてもらいたい、と珍しく駄々をこねた事がありました。その時は、困った私はラインハルト様に相談し、チェーザレ様に秘密裏に乗馬を教わる事が出来ましたが……。
「ルインティア様……如何なされました?」
「その……コルネスは騎士様の国なのですよね……なら……私も剣を扱えなければならないと思うのです」
なんと。そう来たか……と私は不安な表情を浮かべてしまいます。ルインティア様が剣を扱う。想像しただけで……心配で心配で倒れてしまいそうな……
「ですので、その……アルフェルド様に剣の指南を……」
「ルインティア様……騎士達はルインティア様、そして王家の方々を守る為に存在しています。ですのでルインティア様が剣を扱う必要などありません。剣の前に……まだ色々と学ばなければならない事が……」
「そ、そうですよね……ごめんなさい……」
しゅん……と残念そうに縮こまるルインティア様を見て、私は心が抉られるような気分に。いけません、こんな事では、いざルインティア様がコルネスに嫁がれる時……私は一体どうなってしまうのでしょうか。もう私はルインティア様無しでは生きていけないと言うほどに……この方に……
「し、失礼します!」
その時、ルインティア様の私室へと勢いよく入ってくる聖女が一人。全ての聖女を束ねるソフィア様の下で働いている聖女でした。かなり慌てた様子で、私と目を合わせると頷きながら部屋の外に出る様、促してきました。
「ルインティア様、少々お待ちください」
私はそのまま、その聖女と共に廊下へと。
「突然失礼しました、リュネリア様……実は……」
聖女は私の耳元へと口を寄せ、事情を説明しだしました。
「……! 魔人が……王都に?」
「はい、しかも人間との混血らしく……我々には見分けが付かないので……バルツクローゲンから魔術師を呼び寄せる様、ソフィア様から指令が下されました」
「……バルツクローゲンから……。それでその話を私にすると言う事は……裏道を使うのですね……」
「はい……お願いできますか?」
私は頷きながら、了承します。元よりソフィア様から指令なのです。断る事など出来ません。
「分かりました……王都に魔人が出現したとなると……急がなくてはなりませんね」
「はい。護衛の騎士はライン・ルーベルトでよろしいですか? ぁ、あとそれと……サラスティア様にもお伝えしようと思ったのですが、お姿が無く……何処におられるかご存知ですか?」
サラスティア様……?
ライオネル様が今朝、探していらしたけど……もしかしてまだ……?
「いえ、私は存じません。王族護衛団の方には?」
「聞きました。ライン・ルーベルトも他の者も知らないと……」
サラスティア様が居ない……いつも暇さえあれば王宮内を巡回している為、所定の場所に居られる事はまず無いお方ですが……。何か言いようのない胸騒ぎが私を襲いました。まさか……あの方に何か……。
「リュネリア……? どうしたの?」
その時、部屋の中からルインティア様がウサギのように顔を出してきます。私はそっとルインティア様へと、しばらく留守にすることを告げます。
「ルインティア様、申し訳ありませんが、急な用事で……しばらくこちらの聖女が付きます」
「……ぅん……」
とても寂しそうな顔を向けてくるルインティア様。これまで余程の事が無ければ離れる事は無かったのです。しかしこれからは……コルネスにルインティア様が嫁がれるのです。もう、私がいつまでも傍に居るわけでは無いです。
「では……失礼します」
そのまま背を向ける私に、ルインティア様が泣きそうな顔を向けているのが分かりました。神聖術……私の腕に宿る、妖精の力によって……。
※
《シスタリア王国 バルツクローゲン》
王族護衛団、サリスがバルツクローゲンへと、サラスティアが国王に殺害されたかもしれない、という報せを伝えてからというもの、この街の代表格であるリエナは落ち着かない様子で私室に籠っていた。
リエナは魔術師の組織、マシルの上層部に位置する幹部。元ナハトである為、当然と言えば当然の権力を有してはいるが、それは形だけの物だと本人は考えていた。何せマシルの上層部はリエナ以外老人ばかり。しかもその全てが、代々シスタリアを支えてきた魔術師の家系で構成された者達。リエナは元々、親の顔も知らない貧民街の出身だった。しかし聖女ソフィアによって魔術の才能を見出され、魔術師として育てられてからは人生が変わった。いい意味でも悪い意味でも。
「王都……王都かぁ……」
自分は王都に行くべきか、と悩むリエナ。元々、この国の騎士と魔術師は相性が悪い。それはシスタリアの歴史に付随する。元々魔術は魔人によって編み出された秘術。それを騎士であるナハトが学び、習得した事が始まりとされている。しかしナハトは表向きには英雄とされているが、彼の英雄譚の最後は仲間の騎士に刺殺される所で終わっている。何故ならば、魔術を習得したナハトは魔人と同類。当時、そう考える者達は少なくなかったからだ。
しかし、今では魔術師の存在は人々に認められている。騎士の中にすら魔術を使用する者は居るのだ。だがそれでも、無意識下に魔術師を怪しい集団、と見る人間は多い。
「別に私が行かなくてもいいなら……」
彼女は悩んでいた。リエナは十五歳の時、シスタリアとコルネスの大戦に参加し、唯一最前線に立った魔術師。元々あの大戦の原因はコルネス側にある。シスタリアと同盟関係にあったモルガンニカの魔術師を、コルネスが拉致した事が切っ掛けとなった戦争だ。その際、リエナはマシルの上層部にナハトを指名され、しかもある条件を突きつけられた。コルネスが二度と魔術を手にしようなどと考えないように、出来るだけ残酷に騎士を殺せ、という物。
リエナはその条件どうり、まともな人間ならば目を覆いたくなるような惨劇を演出した。それを目の当たりにした者達は、一様に彼女の事をこう呼ぶ。シスタリアの魔女、と。
その為、彼女は一般の魔術師以上に騎士達から恐れられていた。いや、騎士だけでは無い。一般大衆でさえ、その名前を聞くだけで顔を真っ青にする。それ程リエナの影響力は大きい。
そんな彼女が王都に顔を出せば、騎士達の反応は優に想像する事が出来た。だが今回の場合はそんな事を言っていられるのか。あのサラスティアが国王に殺されたのだ。かつてない異常事態。だがリエナはサラスティアが殺されたとは思っていなかった。何故なら、サラスティアは決して王族という肩書で王族護衛団に在籍しているのではない、という事をリエナも理解しているからだ。しかし、だからと言って楽観視する事は出来ない。
もし本当にサラスティアが国王に殺されたとなれば、下手をすれば騎士の大部分で反乱が起きる。騎士の中にはサラスティアに心酔している者も少なくはない。若い者になる程多く、その大部分は王都直属の騎士。いざ国王がサラスティアを殺害したと分かれば、そういった騎士達は間違いなく怒りに我を忘れて国王を討つだろう。それだけは避けなければならない。もしそんな事になれば、シスタリアはバラバラに崩壊する。そんな所を魔人に狙われれば終わりだ。人間は個々の能力では魔人には敵わない。一部、シェバやアルフェルドなどの例外は居るが。
(まずはサラスティア姫君の安否の確認……でもどちらにせよ、王国が割れるのは避けられない……。サラスティア姫君が仮に生きていたとしても、あの好戦的な姫のことだから……ただでは済まない)
そうリエナが思い悩んでいると、自室のドアがノックされる。リエナは薄く返事をし入室を許可すると、入ってきたのは顔も含めて全身を黒い包帯のような物で覆い、ローブを被った魔術師。
「リエナ様、急ぎお伝えする事が」
「ケルマ……何? 王都でまた何か……」
「どうやら裏道が使用されている様ですが、妙なのです」
裏道、それは魔術師と聖女の中でも一部の物しか知らない秘蔵の業。それを扱えるのはシスタリアに現在二人しかいない。一人は何を隠そうリエナ本人。そしてもう一人は王都の王宮付きの聖女、リュネリア。
「彼女が裏道を使ってるの? 一体何の用途で……」
「いえ、実はそのリュネリア様からたった今、聞かされた話なのです。裏道を使用された痕跡があり、更に……あり得ぬほど大規模に開いていたようで……」
「……リュネリアじゃない? ちょっとまって、私でも無いわよ。じゃあ一体誰が……あそこを通れるのは私達二人しか……」
「えぇ、だから妙なのです」
リエナは嫌な予感がする、と右腕を捲る。そこには古代文字と思われる刻印がびっしりと刻まれ、かすかに血が滲み出ている。
「私達以外に妖精術を扱える人間が……居るって事? ケルマ、リュネリアは今何処に?」
「先程裏道を通ってバルツクローゲンへと来られました。その後はナハトの塔でお待ちいただいております。何でも王都へ魔術師の派遣を要請したいという事で……幹部のご老体達と交渉したいと」
「分かったわ。私も行くと伝えて頂戴。貴方も準備だけはしておいて」
「了解しました。あぁ、それと……護衛の騎士が一名……王族護衛団の男が……」
その時、リエナの背筋に妙な寒気が走った。恐る恐る、騎士の名前を尋ねる。
「ライン・ルーベルト……と名乗っていましたが……」




