20
《シスタリア王国 王都スコルア》
大聖堂に近づく度、シンシアの鼓動が耳に届くような感覚に襲われる。
早く、早くマルコシアスの元へ……と彼女の心の叫びが聞こえるようだ。
人を掻き分け、堅牢な大聖堂の壁が見えてくると同時に、一気に周囲は静かになる。
大聖堂が建造されている、この地区は貴族街も近い。その為か、祭りのように騒いでいる大通りの喧騒が何処か遠くに感じられる。
「……アルフェルド……」
大聖堂の大扉に近づくにつれ、シンシアの歩幅は小さくなっていく。
ついには立ち止まってしまい、肩を震わせる。
「私……ダメかもしれません……マルコシアス様の顔を見たら……もう、旅に出ようだなんて……思えないかも……」
「……それならそれでいいのでは」
俺の発言が意外だったのか、シンシアは涙目で見つめてくる。
別に無理して修行の旅に出る事も無い。リエナ様も言っていた。場合によってはナハト候補から外すと。
「……ナハト……そうですよね、私なんか……なれるわけ……」
そうだ、前々から聞きたかった事だが……何故シンシアはナハトを目指すのか。
ナハトはマシルという魔術師組織のトップ。だが所詮は老人達にいいように使われ、何か問題が起きれば最悪処刑されるという生贄的な役職だ。そんな物を目指して何になるのか。
「アルフェルド……本当に魔術には疎いんですね……」
「まあ……騎士ですから」
すると俺達のやりとりを聞いていたサラスティア、もといイリーナはシンシアをじっと見つめ、まるで姉のように肩を抱き体を支える。
「アルフェルドの言う通りだ。心が折れたなら諦めればいい。無理して廃人になるよりはよほどマシだ。今は故人を弔う事だけを考えよう。マルコシアス殿は……シンシアが会いに来てくれるのを待ってる」
イリーナの言葉に無言で頷き、涙を零すシンシア。あぁ、こういう時、俺は自分の無力さを感じる。俺には到底……イリーナのような言葉は浮かんでこない。俺は他人から良く優しいと言われるが、実の所……冷たい人間だと自覚している。
薄く開かれた大聖堂の大扉。そこに体を滑り込ませるように中へと入ると、外気より遥かに冷たい空気に晒された。まるでここだけ時間が止まっているようだ。
「……ようこそ、おいで下さいました」
大聖堂の中には老婆の聖女が一人だけ。他に人は居ない。まるで俺達が来るのが分かっていたかのように、聖女はゆっくりと近づいてくる。
「シンシア・オルレアン様ですね。私はソフィアと申します。この大聖堂の管理を任されている者です」
深く祈るように頭を下げる聖女。俺達も釣られるように頭を下げる。
「貴方様はシンシア様の護衛騎士の……あぁ、アルフェルド様ですね。この度はイルベルサのザナリアの討伐、実に見事です。貴方様のお陰で、グロリスの森は再び静かな土地となるでしょう」
「いえ……恐れ入ります……」
不味い、また言葉が出てこない。
シンシアの事で頭が一杯で……こんな時、なんと返せばいいのか……。
「……? そちらの方は……」
ソフィアはイリーナの顔へと視線を移すと、騎士とは言い難い風貌に疑問を抱くように首を傾げる。するとイリーナは目を逸らしつつ、ソフィアを無視して正面の女神像へと歩んでいく。
「……あの方は……どちら様ですか? アルフェルド様」
「あぁ、えっと……」
不味い、なんて答えるべきか。
たまたまそこで会った冒険者だと言うには不審すぎるし、だからと言って騎士と答えるわけにもいかない。こうなれば最後の手段を……
「実は……義理の妹でして。今は冒険者として暮らしています。今日はたまたま行動を共にしていまして……」
「そうでしたか、義理の妹……」
ソフィア様は納得していないのか、女神像の前に立つイリーナの後ろ姿を見つめる。
「何処かでお会いしたような……」
そのセリフにビクっと肩を震わせる俺とシンシア。
不味い、魔術が見破られているのか? そういえば聖女の中には魔術に似た秘術を扱う者もいると言う。このソフィアという老婆の聖女は間違いなくその秘術を扱えるだろう。指には守護霊の触媒らしき宝石が光っているし……。
「それよりソフィア様……マルコシアスは何処に……」
話を逸らそうとする俺に対し、ソフィアは再び頭を下げ
「失礼しました……マルコシアス様は女神像の正面の棺で眠られております」
そのまま俺達は女神像の前へと歩み寄る。イリーナは俺達が来ると再び顔を逸らしながら少し離れた。先ほどからソフィアと目を合わせるのを避けているように見えるが……。
「この度……マシルの魔術師の手により、マルコシアス様のご遺体の時間を止めさせて頂きました。マルコシアス様の父君、ドルフ・アーヴェン様のご意志です」
ドルフ様が?
そうか、一目シンシアに別れを告げさせてやりたいと思っての事だろう。
しかしここに来ると……むしろ残酷なのではと思ってしまう。あれほどシンシアとマルコシアスを会わせてやりたいと思っていたのに。肩を震わせるシンシアを見ると、今すぐ抱きかかえて去るべきか、とも考えてしまう。
「では……棺を開きます」
静かに棺を開いていくソフィア。
マルコシアスの姿が目に飛び込んでくる。俺ですら膝から力が抜けてしまいそうだ。シンシアは……大丈夫だろうか。
「……っ」
シンシアは体を震わせながら、膝を折る事もせず立ち尽くしていた。
大粒の涙が床に落ちるが、マルコシアスの体には触れようともしない。
「もう……いいです……」
そのまま踵を返し立ち去ろうとするシンシア。
俺はついシンシアの肩を抱き止め、本当にもういいのか、と問いただしてしまう。
「もう……いいんです……しばらく一人にしてください……」
「シンシア……!」
駆け出し、大聖堂から出ていくシンシア。
その後をついて行くように、イリーナも大聖堂を出ていく。去り際、俺へと「任せろ」とだけ言い残して。
大聖堂に取り残された俺とソフィア。
ソフィアは棺を元に戻すと、そのまま女神像の前で膝を付き祈りを捧げ始めた。
「……ドルフ様からお聞きしました。アルフェルド様はマルコシアス様の代わりを命ぜられたのですね」
祈りを捧げながら、そう言い放ってくるソフィア。
俺は「はい……」と頷く事しか出来ない。
そのままソフィアは祈りを終えると、立ち上がりながら深く溜息をつく。
「あの方も……残酷な事を……」
「……ソフィア様……?」
ソフィアは大聖堂の長椅子へと腰を下ろすと、そのまま俺に隣に座るよう促してくる。俺は促されるまま腰を下ろし、ソフィアの横顔を見ながら様子を伺う。今にも泣きそうな、悲しそうな顔をしている。
「貴方は……神を信じますか?」
突然の質問。だが聖女と相対すればよくされる質問だろう。
今までこんな事を聞かれた事は無いが。
「……正直……わかりません」
「そうですか……実の所、私も神など居なくともいいと思っています」
聖女らしからぬ発言だ。
ましてやソフィアは聖女のトップだろう。そんな人物がそんな言葉を零していいものだろうか。
「しかし人には支えが必要です。宗教とは、人を正しき道へと導く崇高な物。神が居ようが居まいが、教えという物がある限り……人はいつか正しい道を歩める物なのです」
教え……か。
俺が知っている物といえば、精々家族を大切にしろという類だけだ。
正直今まで、剣を振るう事しか考えてこなかった。
「ならば正しき道とは何なのか。貴方はザナリアを討伐した事を正しいと感じましたか?」
それは……その言葉は胸に突き刺さるな。
ザナリアを殺した事が正しい事なのか。相手は魔人だ。騎士としてなら正しいだろう。だが実際はどうなのか。ザナリアは生粋の戦士肌の魔人だ。シンシアを襲った物の、大した怪我はしていなかった。ザナリアは散々シンシアや……あの魔人の彼女を殺すと脅していたが、本当に殺す気があったのか。今となっては分からないが。
「正直に言ってしまえば……わかりません。ザナリアは夜の時間帯に自分を襲ってくる人間だけを撃退していたようでした。俺はただ単に……静かに暮らしたかった者を殺してしまっただけかもしれません」
俺の回答に、ソフィアは静かに頷く。
「かの魔人はイルベルサの生き残りです。大戦時、コルネスと手を組みシスタリアの騎士を数多く葬りました。しかしそれは私達も同じなのです。私も……大戦で戦い何人もの人間を殺しました」
「……貴方も大戦に……?」
「はい。シスタリアの魔女と言われているリエナ・フローベルを……ナハトに推薦したのは私です。彼女の人生を狂わせたのは私なのです。当時はその罪悪感から逃れたくて……死に急ぐように大戦へと赴きました。しかし死ぬ事は叶いませんでした。コルネスの騎士が私の心臓を刺し貫く寸前、リエナに助けられたのです。彼女は……お前が死ぬ事は許さないと……思っていたのかもしれません。生き続けて……その罪悪感を抱いたまま死んでいけと……」
あのリエナがそんな事を思うだろうか。
バルツクローゲンで出会った彼女は、世界中から恐れられているシスタリアの魔女とは到底思えぬ程、弟子想いの優しい女性だと感じた。俺は名前を聞いて初めて気づいたのだ。リエナが……かつて大戦で最も多くの騎士を殺したシスタリアの魔女だと。
「先程、神など居なくともいいと言いましたが、彼は確かに存在します。ただそれだけです。道を外したからといって、救う事も罰する事もありません。人は……人にしか救えないのです」
ソフィアは静かに立ち上がり、俺の目の前で祈るように手を組む。
その表情は悲し気で、まるでこれまでの人生、全てを後悔しているかのような……。
「どうか……貴方は私のような想いはしないでください。貴方の道は、決して貴方だけの物ではありません」
「……はい……」
※
《王都スコルア 貴族街》
息を切らしながら走る。ひたすら走る。
分かっていた。マルコシアス様はもう既に亡くなっている。それは分かっていた事だ。
でも心のどこかで、まだ生きているんじゃないか……という淡い期待を持っていた。でもマルコシアス様の遺体を確認した時、そんな望みは音を立てて崩れ落ちた。
「はぁ……ぁ……」
貴族街の路地裏に滑り込み、壁にもたれかけながら座り込む。
何をしているんだ、私は。マルコシアス様に会いに来たのでは無かったのか。
「もう嫌だ……バカだ、私……」
きっとアルフェルドも幻滅したに違いない。
マルコシアス様はアルフェルドの親友だったのだ。親友の遺体を前にして逃げ出すとは何事だ、と思っているに違いない。でもダメだ。もうダメだ。頭も心も付いていかない。現実を突きつけられて、それでも認めたくないと駄々を捏ねる子供のようだ……。
「ここに居たか」
私が座り込んでいる路地裏に、イリーナも入ってくる。
イリーナは私の隣に同じ様に座り込むと、懐から煙草を取り出した。そのまま当たり前のように咥え、火をつける。
「ん……落ち着くぞ」
「いや、あの……煙草は……」
「吸った事ないか」
というか、貴方も大怪我を負った直後ではないか。体中が悲鳴を上げている時に煙草など……さらに追い打ちをかけるような物では……。
「体に悪いですよ……煙草……」
「あぁ、聖女達の前で煙草の匂いを漂わせていると怒られるからな。止めようとは思っているんだが……ついつい隠れて吸ってしまう」
どこぞのチンピラのようだ。とてもではないが王族護衛団の団長とは思えない。顔を変えてしまったから、もしかしたら開放的になって性格まで変わってしまったのかもしれない。
「まあ、逃げたくもなるわな。マルコシアス殿とは本気で恋愛していたんだろ?」
「……少なくとも……私は本気で好きでした……」
膝を抱えながら、どこか自信無さげに言う私に首を傾げてくるイリーナ。
今の私の言い方に疑問を抱いたんだろう。
「マルコシアス殿の気持ちは確かめてないのか?」
「確かめました……好きとも言ってくれました……でも、私は子供扱いされてる感があって……。それにいつも任務任務って……色々な所に行っちゃって……今回だって……」
「まあ王都直属の騎士だからな。その辺の騎士とは鍛え方からして違う。厄介な魔人が出てくるとすぐに派兵されるのは仕方ない」
王都直属……そういえばアルフェルドも……
「私はマルコシアス殿の事は知らないからな。勝手な事は言えんが……お前がこうして会いに来てくれて喜んでいると思うぞ」
「……なら……私は幻滅されたでしょうね……逃げ出しちゃったんですから……」
イリーナは私を慰めるように肩を抱いてくる。
煙草の匂いに交じって……何処か香水のいい香りが。
王族のみに許された特別な香水の……
「悲しみ方なんて人それぞれだ。涙の一滴も流さない奴すらいる。自分が悲しんでいるのかどうかすら分からない奴も居るしな」
「……私は……」
私は……悲しい。
ひたすら悲しい。もうマルコシアス様の笑顔も、怒った顔も、真剣に本に齧りつく姿も……もう見れない。もうマルコシアス様には……会えない。
そう思うと涙が溢れ出てくる。
止まらない、とめどなく涙がひたすら流れ続けている。
「私の爺様がな、良く言ってた。泣いていいのは身内が死んだ時だけだってな。でもいざ爺様が死んだ時、私は泣けなかった。でもその後……爺様の書斎に入った時、あぁ、本当に死んだんだな……って思った時……やっと泣けたんだ。今のお前を見てると……あの時の自分を思い出すよ。現実を突きつけられて……やっと理解したんだ。人が死ぬって、こういう事なんだってな」
「……はい……私も……同じです……」
イリーナに寄り掛かるように、抱き着くように泣き続ける。
まるで姉が出来たような感覚。
それから私はひらすら泣き続けた。
泣いても泣いても……涙が枯れるなんて事は……無かった。




