17.ライオネル
《シスタリア王国 王都スコルア 王宮内食堂》
「お兄様、どうしたんですか? 寒いのですか?」
昼食を摂っている時、妹のルインティアに言われて初めて気が付いた。自分が震えているという事に。
何故かは分からないが手の震えが止まらない。スプーンを握る右手が。
「いや、寒くはないよ。すまないルインティア、少し調子が悪いみたいだ。大事な勲章授与式があるからね、僕は先に失礼するよ」
まだ半分も手を付けていない食事。何故かは分からないが嫌が予感がする。胸騒ぎが止まらない。
席を立ち、ルインティアを聖女に任せ一人食堂の外へと出る。手の震えはまだ続いていた。
「なんだ、これは……」
震えは止まらない。
体の不調かと疑ってみるが、右手の震え以外に得にこれと言って以上はない。
ただただ右手だけが震えている。
「……まさか」
そういえば、以前もこんな事があった。
双子の姉であるサラスティアが、幼いころ階段から転げ落ち大怪我を負った時だ。
その時僕は全く別の場所に居た。だが虫の知らせという奴だろうか、その時も右手の震えが止まらなくなったのを覚えている。
「サラスティア……」
姉に何か起きた。双子の姉に何か重大な……それこそ幼い頃のように大怪我を……。
急ぎ食堂から王宮の、普段護衛団の誰かが居る広間へと向かう。
そこに居た一人の護衛団へと、姉の所在を訪ねた。
「すまない、サラスティアは今どこに居る?」
「……はぅぁ! ら、ライオネル様! え、え……えっと……団長ですか? ど、どこでしょうか……」
駄目だ、コイツに聞いても無駄だ。
僕が話しかけただけで挙動不審になる女性騎士、サリス・ハート。
普段からオドオドとした態度でサラスティアからも叱られている奴だ。
「悪いが急ぎ確認してくれるか」
「は、はっ! 探してきます!」
広間から駆け出すサリス。
だんだんと胸騒ぎが大きくなってくる。
なんだ、この感覚は。
何か大事な物を失ったかのような喪失感。
喪失感? いや、まさか……そんな馬鹿な。
「ライオネル様、如何いたしましたか?」
そこに若い聖女が近づいてくる。
ルインティアの身の回りの世話をしている聖女、リュネリアだ。
「リュネリア……ルインティアは?」
「ライオネル様が突然席を立たれた事を気にされて……私に様子を見てきてほしいと……」
あぁ、末っ子の妹に気を使われているようでは兄失格だ。
しかし胸騒ぎが止まらない。未だに右手の震えも。
「リュネリア、サラスティアを見たか」
「ええ、朝方……聖女の仮眠室でお眠りになられてました。何故あのような所でお休みになられていたかは存じませんが、とても気持ちよさそうに眠っていらしたので……そのままに……」
聖女の仮眠室?
何故そんな所で……いや、それはどうでもいい。
今だ、今サラスティアは何処にいる。
「リュネリア、すまないがサラスティアを探してくれないか。その……少し用事があってな」
「はい、畏まりました。それで……お体の方は大丈夫なのですか?」
「ああ、昨晩少し夜更かししすぎたかな……英雄の誕生に興奮してしまってね……」
尤もらしい事を言いながら、リュネリアにもサラスティアを捜索してもらう。
僕は僕でサラスティアの自室へと向かうが、途中で先ほどの王族護衛団、サリスとすれ違った。
「サリス、サラスティアは居たか?」
「い、いえ……でも聖女が国王に呼び出されたらしいと……」
「父に……?」
サラスティアは父に呼び出された?
別にそれ自体は珍しい事では無い。何せ姉は王族護衛団の団長であり、王族の長女なのだ。
しかも今は例の勲章授与式が迫っている。姉を呼び出すのも、恐らくそのあたりの要件だろうが……。
何故か、国王の間に行ってはならない、そう何かが警告してくる。
まるで見えない壁が阻まれているように、足がそちらに向かってくれない。
「……? ライオネル様? 如何いたしましたか?」
「……いや、すまない、サリス。国王の間に姉が居るかどうか確認してきてくれるか」
「ほえ?! 私がですか?! む、無理ですよ! 国王に無許可で謁見なんて……」
「僕がそうしろと正直に言ってくれていい。頼む」
「ぅ……うぅぅうぅ、わかりました……」
王族の頼みであっては断れない。
そう寂しい背中で語るように王の間へと向かうサリス。
本当は自分の目で確かめたいが、王の間へ向かってはならない、そう呟くもう一人の自分が居る。
「サラスティア……」
僕は王の間とは逆へと歩き出し、姉の自室へと。
中には姉専属の聖女二名が、何やら困惑した表情で話し込んでいた。
僕が来た事に気が付いた二人は途端に笑顔を作り挨拶をしてくる。
「如何しました? ライオネル様」
「……すまない、悪いと思ったんだが立ち聞きしてしまった。姉に何かあったのか?」
本当は何も聞こえてはいないが、間違いなく聖女が困惑の表情で話していた話題は姉の事だろう。
僕の手っ取り早く話を聞く為の方便に、二人の聖女から笑顔が消える。
「……いえ、その……大した事では無いのですが……」
「いや、いい、話してくれ。知っての通り僕は姉にベッタリだからね」
自分のシスコンぶりをアピールしつつ、聖女達から話を聞く。
どうやら姉が国王に呼び出された後、頼まれていた昼食が全く手が付けられていないとの事だった。
姉は基本的に自室で一人で食事を摂る。三食きっちり食べているわけでは無い為、食事をする際はいつも聖女に前もって頼んでいた。
「まだ戻ってきていないだけではないか?」
「いえ、先ほど王族護衛団の方に確認を取ったのですが……既に国王の間から出て行ったと……。しかしいつまで経ってもお戻りになられないので、どうしたものかと思いまして……」
「……その護衛団とは誰だ?」
「ライン・ルーベルトですが……」
彼か。確か数年前に姉が直接声を掛けて入団させた男だ。
その為か王族の間では彼の信頼度は厚い。僕も彼を護衛団の中では姉の次に信頼を寄せている。
「今、ラインは何処に?」
「先ほど大きな荷物を持って王宮の外へ……国王からの頼まれ事だと……」
大きな荷物?
護衛団は雑用係ではない。いくら国王でも、そんな荷物運びなどやらせは……
「ライオネル様……」
その時、部屋の扉の外から意味深な表情を浮かべるサリスが声を掛けてくる。
僕は聖女二人に礼を言いつつ、廊下へと出て、サリスにどうだったと尋ねた。
「……団長は居ませんでした。しかし……」
「どうした、顔色が悪いようだが……」
サリスはいつも挙動不審だが、今はいぶかしげな表情を浮かべている。
「国王に特に変わった様子はありませんでした。しかし……国王の間に充満する……あの匂いは……」
「……待て、サリス。端的に……私の手の平へ指で書け」
騎士であるサリスが部屋の中に充満する匂いに気が付いた。
こんな事を誰かに聞かれるわけには行かない。
容易に想像は付いている。もう僕の頭の中では最悪の事態が連想されている。
だが、どうかそれだけは止めてくれと心の中で祈りながら、手の平へと意識を集中する。
サリスが手の平へと書いてきた文字。
それは……血、だった。
※
《王宮内 ライオネルの自室》
サリスを自室へと連れ込み、急ぎ文を書く。
国王は、父は何か企んでいる。こんな時、頼りになるのは普段全く頼りにならない兄しかいない。
「ライオネル様……尾行などの気配は一切ありません」
「よし。サリス、他の護衛団に気づかれず王宮を出る事は出来るか?」
静かに頷くサリス。俺はそっと、簡単に、端的に要件だけを纏めた文をサリスへと預ける。
「それを兄……チェーザレへ。昨日また独断でアルベルタへ魔人の討伐に向かったらしい。恐らくまだその辺りでフラフラしているだろう。いいな、絶対に兄以外には読ませるな」
「分かりました……」
サリスもなんとなく事態を把握したのだろう。
サラスティアは、姉は国王の間で血を流したと言う事に。
いや、最悪……もう殺されているかもしれない。
国王の間から大きな荷物を運び出したという騎士、ライン。
大きな荷物……まさか……それは……。
「それとサリス、ラインには気を付けろ。彼には極力近づくな。それを届けた後、君は兄に従え。いいな?」
「は、はい。しかしライオネル様は……」
「僕にはまだやる事がある。急げ」
サリスを行かせ、自室の机に忍ばせておいた短刀を取る。
僕には姉のように剣の才能は無い。だがいざという時は……
その時、自室の扉がノックされる。
サリスか? いや、そんな筈があるか。
「どうぞ」
出来るだけ平静を保ちつつ、入室の許可を。
そして入ってきたのは、王族護衛団の男、ライン・ルーベルトだった。
右手の震えが大きくなる。
机と腰で手を押さえつけながら、ラインと対面。
彼の顔はいつも通りだ。しかしその爽やかな青年の顔が、今は歪に見えてしまう。
「失礼します。聖女リュネリアに団長をお探しだと聞きまして……お体の調子も悪いとか……」
「あぁ、少し姉に用事があってね。しかし大した用事じゃない。体の方も特に……」
「そうですか……。右手、如何なされました?」
意図的に隠しているのが見え見えなのだろう。
俺はそっと右手を晒し、震えるのを隠すようにわざと目の前で振って見せる。
「いや、先程机の角にぶつけてしまってね……」
「そうですか。気をつけてくださいね。では……」
「あぁ、ライン、ちょっといいか」
部屋を出ていくラインを呼び止める。
自分で自分に止めておけ、下手に探ると勘ぐられる、と頭の中で言い聞かせつつも聞かずにはいられない。
「先ほど、父の部屋から大きな荷物を持ち出したようだが……あの父は何を考えているんだ、君にそんな雑用をやらせるなど……」
「あぁ、大した事ではありませんよ。国王が絨毯に食事を零してしまって……聖女達では中々重いでしょう? 国王の間の絨毯は……」
「そうか、手間を取らせたな。父に言ってやれ、自分でやれとな」
「ははは、分かりました」
そのまま部屋を後にするライン。
その瞬間、思わず膝から床へ崩れ落ちる。
あの笑顔の裏にある物に、心臓を握りつぶされるのではないかと思ってしまう。
「ライン……貴様……」
疑ってかかれば誰にでも分かる。
彼は僕が気づいたのではないかと確かめに来たのだ。
ラインが姉を殺した事を、僕が気づいたのでは、と。
「くそ……くそ……」
根拠など無い。
サリスが血の匂いがした、というのは気のせいかもしれない。
ラインは本当に絨毯を運び出しただけかもしれない。
姉は食事の事を忘れ、今も王宮の何処かを警備しているのかもしれない。
だがその全てが否定される。
ラインの表情が、態度が、その全ての可能性を否定してくる。
「サラスティア……」
右手は、まるでサラスティアからの警告のように……震え続けていた。




