10.リエナ
《シスタリア王国 バルツクローゲン クラリスの塔》
「見つけたみたいン、リエナ様、どうするン? どうやら本当にグロリスの森の中みたいン。魔術師送り込むン?」
「いえ、私が行くわ……マリス、私を森の中に転移させて」
「王都には何も知らせなくていいン? あの森、ヤバイくらいマナを吸い上げてるン。このままじゃ……」
「だから私が行くのよ。こんな事なら……さっさと森の主とやらを殺しておくべきだったわ」
ウサミミことマリスに命じ、グロリスの森へと転移させる。
私の嫌な予感は大抵当たる。十五歳の時に“ナハト”として大戦に参加した時もそうだった。
グロリスの森は今、魔術師でない者でもマナを肉眼で確認できる程、異常な事態に陥っている。
あの中で同調している魔人が森を通じ、地脈からマナを吸い上げているのだ。
そんな事が出来る魔人は限られている。
かつて、神として崇め奉られた魔人。
グロリスの森に居るのはディアボロスやガラドグレイシスと同等の……“神に等しい魔人”だ。
※
マリスの転移魔術で森の中へと入った瞬間、吐き気がするほどに濃いマナに晒される。
例えるなら甘すぎるジャムの中に放り込まれた気分だ。息をするだけでも苦しい。
「冗談じゃないわ……」
森の中は静まり返っている。だが耳鳴りが止まらない。私が既にこの状態なのだ。シンシアや……アルフェルドはどうなっているのか。いや、魔人は手こずっているからこそ、森との同調を深くしているのだ。少なくとも今、戦っている者がいる。
「アルフェルド……まさか一人で……」
一人で戦っているわけでは無い、そう信じたい。
こんな深く森と同調できる魔人と一人で戦うなど自殺行為だ。
「っく……頭痛が……」
あまり長くいるのは得策ではない。
とにかく魔人と森との同調を切断しなければ。
その為には、魔人を肉眼で確認する必要がある。
「……っ!」
耳に届く衝撃音。爆発音にも似たそれは、森の中央付近から聞こえてくる。
この森の中央、確か湖があった筈だ。そこで魔人と戦っている!
「間に合って……」
草むらの中を突き進み、森の中央へとまっすぐ進む。
次第に、暗すぎる森の中で一際明るい光が見えてくる。
月だ。それも……湖に映る満月の光が私の目に飛び込んでくる。
「……あれは……」
湖のほとりで、狼の魔人とアルフェルドが戦っていた。この湖の周りはマナが充満していない。恐らく魔人が全て吸っているせいだろう。
魔人は巨大すぎる剣を小枝のように振るい、アルフェルドはその攻撃を避けつつ斬りつけている。
そしてその少し離れた場所に、シンシアは居た。
木にもたれかかり、気絶している。
「シンシア! 大丈夫?」
「あぁ、気絶してるだけだ。止血はしたからとりあえずは大丈夫な筈だ」
私がシンシアに駆け寄り、肩を抱くとすぐ近くに別の女性も居た。
こちらは冒険者だろうか。まるで月見を楽しむかのように、魔人とアルフェルドの戦いを見つめている。
「貴方……足を怪我しているの? 見せなさい、私が直すわ」
「……そんな事はいい。それより……あの狼、とんでもない奴だ。そしてあの騎士も……一体アイツ、何者なんだ」
いいと言われつつも、私は無理やりに女性のブーツを脱がせて足を見る。
どうやら足首の骨を骨折しているようだ。
「間に合わせで悪いけど……とりあえずくっつけるわ。街に帰ったらちゃんと直してあげる」
「……あぁ、でも……もういいんじゃないかな」
「……?」
呆れた顔で騎士と魔人の戦いを見守っている女性。
私も治療術を施しつつ、目線をそちらに移す。
押している?
騎士が魔人を追い詰めている。
「最初はあの狼の毛、鋼鉄みたいに硬かったんだ。でもあの騎士……その毛を少しずつ削いでやがる。すぐに剣がイカれる筈だ。一体どんな魔法を……」
いや、それは……あの騎士の剣の腕だろう、たぶん。
私は騎士でも無ければ剣など扱った事は無いから確かな事は言えないが。それより……戦っている魔人は……
月明かりの下、ちょうど魔人の全体が見える位置に戦いながら移動してきた。
巨大な狼のような風貌の魔人……いや、待て……まさか……
「イルベルサのザナリア?! なんでこんな所に……!」
「なんだ、アンタ知ってるのか」
知らない筈が無い。
かつて、コルネスと言われる大国との間で起きた戦争。
あの時、騎士の国と言われるコルネスは、よりにもよって魔人と手を組んでいた。
イルベルサと言われる魔人の集団、いや、国家と。
「まさかこんな所に逃げ込んでたなんて……無理だわ、アルフェルドじゃ……勝てっこない……」
「酷い事言うな。あいつ頑張ってるぞ。片目も潰したし……」
「なんですって……」
そうか、そのせいか。
片目を潰されて、ザナリアは森と同調が上手く出来ていないのだ。
簡単に言えば暴走状態。この森の異常なマナも……。
「私が加勢しても……生き残るのは望み薄ね……まさかあんな怪物が居るなんて……神に等しい処じゃないわ、神そのものじゃない」
「おぉ、あの糞爺、そんな凄い奴だったのか……でも押されてるぞ。あの爺の鋼の体毛も……意味を成さなくなってきてる」
アルフェルドは凄まじい動きでザナリアの剣を避け、斬りつけ続けている。
だがすでに満身創痍だ。鎧も打ち砕かれ、体中から血を流している。それでもアルフェルドは止まらない。いや、むしろ早くなっている。
「逆に爺の動きは鈍くなってるな。森との同調が滅茶苦茶だ。片目をさっさと直さないからだ」
確かに、私がここに居るというのに、ザナリアは気づく素振りすら見せない。そんな余裕は無いからかもしれないが。いや、でも……十五年前の大戦でも、ザナリアはシスタリアの騎士隊長を次々と斬り倒した怪物。結局シスタリアがコルネスの王を討ち取った事で退いていったが、あのまま戦い続けていたら騎士は皆殺しにされていただろう。
そんな怪物を相手にたった一人で?
いくら王都直属と言っても……アルフェルドはただの人間だ。神に敵う筈が無い。
でも事実、アルフェルドはザナリアを追い詰めている。
「なんて無茶苦茶な……あんな騎士初めて見たわ……」
「激しく同感だ……」
「んっ……ぅ……」
その時、シンシアの意識が戻ったようだ。
目の前の光景に混乱しているのか、キョロキョロと周りを見渡しつつ、私を確認すると怯えだした。怒られると思ったのだろうが。いや、無論叱るが。
「し、師匠……なんで……」
「お説教は後よ、シンシア。それより動ける? 今の内にこの人を連れて森を抜けなさい。私はスキを見てアルフェルドを……」
「待て、余計な事をするとアイツ死ぬぞ。下手に同調を切断するのも危険だ。今あの爺にとって森との同調は明らかに重荷になってる」
「……貴方、ずいぶん詳しいわね。ただの冒険者にしては……」
その時、鈍い音が耳に届いてくる。
ザナリアの大剣で、アルフェルドが突き飛ばされたのだ。
「……不味い……」
アルフェルドは木に激突し、ピクリとも動かない。
ザナリアも息を切らしつつ、全身からおびただしい出血が。
『はぁ……はぁ……まさかこれほどとは……楽しかったぞ、アルフェルド。お前の名は決して忘れん。我が血族に永久に語り継がせよう……』
ザナリアゆっくりアルフェルドへと近づき、剣を月に向かって掲げる。
まさか、まさか……止めを……
『我が友よ……お別れだ。惜しい、実に惜しい! あぁ、この戦い、実に素晴らしかった!』
振り下ろされる大剣。
アルフェルドは動かない。
もう……
「やめてーっ!」
その時、シンシアの叫び声で魔人の剣が止まる。
ザナリアはゆっくりとこちらを振り向き、シンシアを睨みつけた。
『小娘……お前は騎士の名を汚す気か。ここで散らせてやるのが戦士たる者の……』
「うるさい……うるさいうるさい! もう止めて! お願いだから……もう殺さないで……!」
立ち上がり、魔人へと飛びかかろうとするシンシアの肩を抱いて止める。
考えろ……考えろ……今この場から逃げ出す手段を考えろ!
『アルフェルドはもはや俺の友だ。お前に口出しされる義理は無い。あぁ、そうか、お前を先に殺しておけば良かったな』
ザナリアがこちらへ向かってくる。
不味い、不味い……どうすれば……
と、その時、私は目を疑った。
それはシンシアも、もう一人の冒険者の彼女も同じようで、幽霊を見たかのような目をしている。
「……待て……」
彼が起き上がった。
全身血まみれで、もはや戦う事など到底出来ないであろうアルフェルドが。
「……ザナリア殿……まだ終わってない。まだだ……まだ……」
ザナリアは起き上がったアルフェルドの声を聞くと、ゆっくりと再び振り向く。
嬉しそうにアルフェルドを見据え、大剣を構える。
『はは、流石我が友……今宵は最高の夜だ! 我が人生で最高の! 巨人族の中にもこんな奴は居なかった! お前は最強だ! アルフェルド!』
巨人族って……ザナリア、あいつ……太古の魔人?!
ありえない、そんな奴が……こんな王都の近くに潜んでいたなんて……。
その瞬間、森との同調が切断される。
ザナリアが自ら同調を切ったのだ。
不味い……あいつ、冷静だ。同調を切った方が確実にアルフェルドを殺せると……
『我が名はザナリア。既に滅びたイルベルサの騎士なり。ファラク様……ついに私は見つけましたぞ……自分の墓場を』
ザナリアは剣を高く、上段に構える。月に切っ先を向けるように。
それに対し、アルフェルドは低く構え、切っ先をザナリアへと向ける。
『我が友アルフェルドよ。最後の問答だ。お前は何の為に戦う』
ザナリアの問いにアルフェルドは薄く口を開き、嘆くように答える。
友の為……と。
『ならば俺も友の為に戦おう! さあ、来い! アルフェルド・マルカル! 我が生涯、最初で最後の友よ!』
「うぉぁぁぁぁっ!!」
飛び込むアルフェルド。
迎え撃つザナリア。
結果は目に見えている。
アルフェルドは両断される、そうと分かっていながら、私は何もすることが出来ない。
それは他の二人も同じようで、指一品動かす事が出来ない。
「……嘘だろ」
鈍い音が森の中へと響く。
時が止まったかのような感覚に襲われる。
目の前の結果はあまりにあっけない。
ザナリアは剣を振り下ろさなかった。
ただ、喉元にアルフェルドの剣が突き刺さるのを待っていただけだ。
『あぁ……なんという幸運、至福……我が神よ、感謝を……』
それがザナリアの最後の言葉。
それを最後に……ザナリアの目からは光が失われる。
ゆっくりと地面へと倒れこむ巨体。
そしてアルフェルドも、力尽きたように……ザナリアの喉元に剣を突き刺したまま倒れこんだ。
「ザナリア……幸せな奴……」
私の耳に……彼女の言葉が残る
まるで、白んでいく空も……そう囁いているようだった




