【カツキとリコ】
狭い廊下に二人分の足音が微かに響く。
『鉄の処女』がカナを飲み込んだ現場から、カツキとリコは行動を共にしていた。
暗く恐ろしい場所だが、一人でない事が、とても心強い。
カツキは、いつの間に考えていた。リコと二人で、この地下室を出たい。それまでは、リコを守りたい、と。恋愛心理学でよく言われる吊り橋効果という奴だろうか?それでも構わないと思うくらい、リコは今カツキの心の支えだった。
彼女の手を握っても、許されるだろうか?
不埒な考えが頭を過った時だった。
地下室を揺るがすような悲鳴が石壁に反響する。おぞましい、獣じみた絶叫。それは間違いなく男の断末魔だった。
思わず、カツキとリコは顔を見合わせる。
「……まさか、今の……」
単純な引き算だ。
此処に入った男は3人。
シュウジは死んでいて、カツキはここにいる。
「……マサヤ、だね」
カツキの答えに、リコは顔を真っ青にして、ズルズルと座り込んでしまう。
「もう、ダメなのかな?」
彼女の声が微かに震える。泣いているのだろうか?
カツキは、無理やり明るい声を絞り出した。
「リコちゃん、将来の夢は?」
「なんで、今……そんなこと?」
涙をいっぱいに溜めた瞳がカツキを見上げる。
「ここから出る為には、元気出さないとね!
ちなみに俺はカメラマン志望!世界をあっと驚かす良い画が撮りたいな~」
両手の親指と人差し指でフレームを作って、笑って見せる。上手く笑えた自信は無いけれど。そんなカツキに、リコは目を丸くして、それからとても楽しそうに笑った。
「なんか、らしいね」
「でしょ?」
リコの笑顔に心底ほっとして、手を差し出す。彼女は何のためらいもなくカツキの手を握った。
「私は、歌手になりたい……叶ったら、カツキ、撮ってね?」
「了解いたしました!」
緊張し続けた空気がほんの少しだけ和らいだ。
ぎゅっと繋いだ手。その温もりが、安堵をつれてくる。
暫く歩いた時だ。急に景色が開けた。異臭。頭上に見える、焼けた十字架。
シュウジが死んだ、あの場所だ。間違いない。
ならば、この近くに階段がある!
はやる気を押さえ付けて足を運ぶ。
確かに、階段はすぐに見つかった。
だが、階段の前には……【アレ】が立っていた。
繋いだ二人の手が震える。
直ぐ傍に希望があるのに手が届かない。
絶望。
その時、リコがくい、とカツキの手を引いた。
「カツキ、私が【アレ】を引き付けるから……だから、階段に辿り着いたら、助けてくれる?」
真っ直ぐな瞳。カツキは、繋ぐ手にぐっと力を込める。
「俺が、気を引くから……リコちゃん、先行って!
助けてくれるの、待ってるから」
繋いだ手を振り払ってカツキは走り出した。ただ、リコを信じて。
「ぁああああああああ!!!」
黒い服を纏った【アレ】の鳩尾へ右の肘を叩きつける。
たしかな手応え。揺らいだ体を階段向かって右側へ押しやった。
「リコちゃん!!」
この隙間なら、彼女一人通れるはずだ。
カツキ後ろを駆け抜けるリコの髪が目の端を横切る。
一段目に彼女の足がかかった。やった、成功した!カツキは歓喜した。
振り返って、右手を伸ばす。
疑ってなどいなかった。間違いなく、この手をリコは引き上げてくれると。
――だが、それは空を掻いた。
「ごめんね、カツキ」
走り出したリコの背中がどんどん離れていく。
「嘘、なんで……?」
愕然とするカツキに触れたのは、【アレ】の冷たい掌。
「ひ!」
頭の中へ『witch-hunt』の声が繰り返し、繰り返し流れ込む。
怯え、見上げるカツキ。濁った黄色い眼球と、目があった。
顎の下は左手。
頭の上は右手。
【アレ】が、がっしりと掴んでいる。
もう抵抗することもできなかった。
せめて彼女の背見ようと首に力を入れたが、全く動かない。
「う、ぁ……」
ミシミシと骨が軋む。万力のような力で、下顎が折れ、嫌な音が脳内に満ちた。
「リコ……リコォォォォ!!!」
頭蓋骨が押し潰されていく音を聞きながら、カツキは最期の一瞬までリコを呼び続けた。
出来うる限り、大きな声で。
その声が、階段を掛け上がるリコの背にも突き刺さった。
振り切るように、リコは足に力を込めて、また一段上がる。
仕方なかった。仕方なかったんだ。
こうするしか、逃げる道はなかった。
生き残るには他にどうしようも……。
自分に言い聞かせて、走った。
せめて、みんなの分まで生きる。
それが今自分に出来る最善策。
そうだ、そうに違いない。
「あ……!」
階段の、終わりが見えた。
出られる、もう助かる!
リコは喜び、懐中電灯の光を上へ滑らせた。
「ひ!」
がしゃん、と音を立てて懐中電灯が階段を転がり落ちていく。
リコが見た物はピンク色のウサギのキャラクター。べったりと張り付いた笑みが、懐中電灯の明かりを顎下から額に受け、独特の不気味さでこちらを見下ろしている。
唯一の出口である鉄の蓋を支えたまま、手を差し伸べるでもなく、じっと……リコを見ている。
『ゲームオーバーだよ!』
作り物らしい、甲高く、笑うような、奇妙なリズムで、そう告げる。
「な、なんなの!?」
叫んだ。
瞬間。
ぐい、とリコの足を掴む手があった。
振り向かなくても、わかった。
【アレ】だ。【アレ】がいる。
『ゲームオーバーだよ』
目の前のウサギが繰り返した。
ぎぃぃ、と音を立てて、目の前の扉が閉じて行く。
「待って!待って嫌だ閉めないで!!!助けて!!」
叫ぶ声は閉じて行く扉によって地下に封じられていった。