【マサヤ】
「クソ!」
マサヤは悪態を付いて石壁を蹴りつけた。
だが、頑強に組まれた石はびくともしない。
余計にイライラして、道の真ん中に座り込む。
「なんで、こんな……」
文句を言っても、答える声は無い。
リコ、カツキ、サユリ。
全員、振りきってマサヤは走ったのだ。
カナが殺された場から。たった一人でも、逃げ切ってやるつもりで。
サユリは惜しかったとは思う。
中身は好みじゃなかったが、首から下は最高の女だった。
だが、今はそんな事を気にしている場合ではない。
どうせ飽きたら捨てる気でいた女より、自分の命だ。
「……俺は、簡単には殺されないぜ」
逃げ切ってやる。
マサヤはぐっ、と拳を握って歩き出す。
そうだ。体だって鍛えている。本気で抵抗すれば、あんな簡単に殺される訳がない。
「来れるもんなら来てみろ!」
もう、空元気でもなんでも良い。自分を奮い立たせなければ、飢え死にするまで、この闇にいるハメになる。それだけは嫌だ。いや、下手をすると死んでもずっと、この地下室に……。
一瞬、【アレ】のように痩せ細った自分の姿が脳裏に過って、背筋に悪寒が走る。
慌てて頭を振って、恐ろしい妄想を頭から叩きだす。
「俺は、こんなところサッサと出てやるからな!!」
その為には出口が必要だ。何処だ?何処にある?懐中電灯の灯りを頼りに、早足に石で作られた廊下を歩む。自分の運動靴がキュッキュッと擦れる音さえ神経を逆撫でする。
一体何処から【アレ】が出てくるか分からない。ピリピリとした緊張と恐怖が混ざり合って、息苦しい。
Tシャツの胸元に指を差し込んで下に引くと、胸元が緩んで少し楽になった気がした。
その時。
懐中電灯の光が何かを捉えた。廊下の少し先。
後ろ姿だが、間違いない【アレ】だ。【アレ】が動いた。
一体何をした?誰かを殺したのか?それとも罠を仕掛けたのか?
心臓がうるさい位に鳴っている。
――もしも、今此処で【アレ】を倒せたら?
一瞬頭に浮かんだ希望は、簡単には消えない。
気付いた時には、マサヤはそろり、そろりと脚を踏み出していた。
【アレ】に気付かれないように、慎重に。懐中電灯も消して。
頭の中には、もう勝利のイメージしかなかった。
忘れていたのだ、マサヤは。
自分も獲物だという事を。
「あがぁあああああああああああ!!」
3歩目で、マサヤは絶叫した。何かが脚に食らい付いた。痛い!アキレス腱が切れたのか、足首から先の感覚が無い。
混乱したままに倒れる。付いた両方の手にも、何かが歯を立てた。
それは古い狩猟用の罠だった。鉄で作られた罠はマサヤの手足を挟んで離さない。
痛い。焼けるように傷口が痛い。マサヤは叫ぶことをやめられなかった。叫んでいないと気が狂いそうだった。無事な左足だけが無意識に床を蹴る。体が痙攣を起こす。
その姿を見下ろす存在は、マサヤに容赦しなかった。
「ひ、やめろぉ!」
暴れる左足を、氷のように冷たい手が掴み、そして『トラバサミ』の大きく開いた口に押し込む。
瞬時、跳ね上がった鋸状の刃でマサヤのアキレス腱へと噛み付いた。
『witch‐hunt』
頭の中で声が何重にも反響する。痛みの奥にある正気さえも塗りつぶすように。
「何だよ!?俺が何したって言うんだよ!」
泣き喚くマサヤ。しかし、語尾はすぐ苦鳴へと塗り替えられた。
深々と彼の四肢に噛みついた『トラバサミ』が四方へ、彼の体を引き延ばし始めたのだ。
「止めてくれ!!イヤだ、イヤだぁああああああああああああああああああああああああ!!」
首がもげそうな程に頭を振っても、マサヤを見下ろすモノは無表情だ。
マサヤが痛みに堪えかねて息を止めるまで、それは変わらなかった。