【サユリ】
足が縺れる。息が苦しい。サユリはそれでも走った。恐怖が限界を越えて、今にも叫び出しそうだ。
カナが死んだ。殺された。その血の流れる様を目の当たりにして、実感が湧いた。
逃げないと死ぬ。
頭の中はそれしか考えられない。
でも、いったい何処に?
考えても答えが出ない。
闇雲に足を動かす間に他のメンバーともはぐれてしまった。
暗い。怖い。心細い。
震える足を叱咤して、なんとかサユリは次の一歩を踏み出す。
懐中電灯だけの頼りない光源に縋りながら、石で組まれた壁に手をついて道なりに辿る。
今、自分はこの地下室のどの辺りにいるのだろう?この地下室は一体どれほどの広さなのだろう?
サユリには、全く見当もつかないのに【アレ】は全てを知っている。なんてアンフェアな鬼ごっこ。
考えれば考える程、思考が負の感情へと転がっていく。
「駄目……絶対帰る」
自分の頬を両手で挟むように打って、思考を切り替える。
「絶対帰る」呪文のように唱えれば、少し感情が和らぐ気がした。
気を取り直し、脚に力を込める。石の壁を曲がる度アレに遭遇しそうな気がして心拍数が跳ねあがる。
それでも負けずに進むうちに、一つの部屋を見つけた。
扉は無い。石壁にぽっかりと人が一人やっと通れる位の隙間が口を開けている。
中を懐中電灯で照らす。誰も、いない。
ほっと、息をついて、サユリは室内へと歩を進める。
石に囲まれた、狭い部屋だ。簡素な机と椅子、小さな本棚。家具はそれしかない。それなのに息が詰まる。
その感覚をごまかす様に、サユリはゆっくり辺りを見渡す。
机の上に小さな蝋燭立てがある。だが、蝋燭は無い。擦られたマッチの燃えカスが落ちているから、きっと前の侵入者が使ってしまったのだろう。そんなことを考えながら懐中電灯で舐めるように机の周囲を照らす。
僅かに、机の抽斗が開いている。恐る恐る取手を引くと、中に何かが入っていた。
「……本?」
そっと、表紙を開く。
中には細かな文字が綴られていた。英語で書かれた日記らしい。
すべてを読むことは不可能だが、所々意味の分かる箇所もあった。
机に日記を預け、懐中電灯で照らしながら読み進める。
――今日も、魔女を一人地獄に送った。
――私は正しい。
――隣の家から魔女が出た。
最初は何処か誇らしげであった文字の調子が、ページが進むごとに荒れ狂う。
――私が狩っているのは何?
――私は間違っていないのか。
――魔女は本当にいるのか?
迷い、嘆き、自己嫌悪。
男の物らしい筆跡はうねり、時に涙のような染みも見受けられた。
さらにページをめくっていくと、段々内容が狂気的になっていく。
――私は神に選ばれた。
――魔女は死ね!
――魔女の死に様は愉快だ。
明らかに精神に異常がある。真っ黒に塗られたページに、踊るような文字。
「ひっ!」
次のページを開いたサユリは思わず小さな声をあげて口を押さえた。
――witch‐hunt
見開き一杯に、何百何千の細かな文字でそう繰り返されていたのだ。
「魔女、狩り…」
何かで聞いた。
魔女と疑われた人々が惨たらしく殺された、ヨーロッパの忌まわしい歴史。 それを、魔女狩りと言わなかっただろうか?
ぞくり、と背筋を冷たい物が走った。
シュウジもカナも、死ぬ間際に「魔女じゃない」と叫んでいた。
あの声が脳裏でよみがえって、魔女狩りという単語に繋がっていく。
ならば……ならば、これは二人を殺した【アレ】の日記ではないのか?
サユリは震える腕に力を込めて、ページをもう一度めくった。
【アレ】の正体が分かれば、助かる為のヒントが分かるかもしれない。縋るような心地で。
暫くは、魔女狩りに関する記述が続いた。
それが、唐突に途切れ、空白が訪れる。
サユリは震える指で、ページを進めていく。
全部で7ページの空白があった。
そして8ページ目。いきなり再開された日記の文字は感情そのままに荒れ狂っていた。
――魔女狩りが終わった。民衆の怒りが私を刺す痛み!!
――何故!?何故私を閉じ込める!?何の罪が私にあるというのだ!?
――魔女だ!魔女のせいだ!死んでも、魔女を狩ってやる
その後は書き殴ったような筆致で、ただ呪いが記されていた。
サユリは耐えきれずに、乱雑に日記を抽斗の奥へと押し込んだ。
なんてことだろう。
この地下室は呪いの巣窟。【アレ】の胃袋も同じだ。
飢え、渇き、人を恨み、魔女を呪って死んだ男。
それが【アレ】の正体。
ならば、どこに助かる道があるだろう?
呆然と、サユリは冷たい石の床に膝をついた。
その時、声がした。
サユリの耳元で。
『witch-hunt』
ゾッとするような声が繰り返す。
「あ……」
シュウジもカナも、これを聞いたのだ。
これは、死の宣告。
「……やだ、死にたくない……死にたくない!!!」
逃れられない。分かってる。でも、生きたい。
出口へと駆け出そうとして、サユリは愕然とした。
入ってきた石壁の隙間が歪んで、閉じようとしている。
もう誰も通れない小さな隙間の向こう側。【アレ】の姿だけが微かに見えた。
「お願い、助けて!!私は、魔女なんかじゃない!!」
塞がれた、出口だった場所を必死で叩く。
拳が痛い。石に負けて小指の付根が裂ける。
それでも叫び、石を叩く事をやめられない。
【アレ】の慈悲を祈って。
だが。注がれたのは慈愛ではなく。
「……水?」
気付いた時には、靴底を濡らす程の水が室内に溜まっていた。
さして広くない密室に水がどこからともなく湧いて、満ちていく。
「いや……やだ!!」
いっきに水位はサユリの腰まで上がってきた。
溺れる。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!!!!
「お願い、ここを開けて!!私は魔女じゃないから!」
声を限りに叫ぼうと、もう隙間の一つもない。
それでもサユリは叫び続けた。
最期の、その時まで。