97話 同行
朝日がこれほどまでに清々しいと感じたことはあっただろうか。
明るくなりつつある空を見て、マシブは荒く息を吐き出す。
「……やってやったぜ」
途端に体を酷い疲労が襲う。
闇が空を支配している間、ずっと化け物の軍勢と戦い続けていたのだ。
こうして生きていることが奇跡に思えるほどの過酷な夜だった。
周囲を見回してみれば、至る所に冒険者の亡骸が転がっていた。
彼らもまた、夜明けを夢見て足掻いていたのだろう。
だが、最後まで立っていられた者はほとんどいなかった。
それだけではない。
この地には冒険者を相手に商売をしていた者たちもいた。
戦う術のない彼らは、きっと無様に逃げ回り、そして殺されたことだろう。
ベルディンの街で失われた命の数は、一体どれくらいなのだろうか。
彼らにも家族がいたのだろうか。
地に転がる亡骸の中には、幼子や老人も混ざっていた。
「あの世で己の不運を呪うんだな。悪いが、俺には死者を弔う言葉なんてねえよ」
マシブは大剣を背負うと、歪な笑みを浮かべる。
これが正しい選択だとは思っていない。
視界に広がる惨状は、シュミットの悲劇を彷彿とさせた。
だが、己の選択に後悔は無かった。
たとえそれが愚かな選択だと罵られようと一向に構わない。
その結果、大罪人として手配書を出されて追われ続ける運命になろうとも、決して弱音を吐くつもりはなかった。
今の己には、ベルディンの街で命を落としていった人々を弔う資格がないのだ。
それを理解しているからこそ、マシブは何もしようとしない。
アインに言った言葉通り、己の積み重ねた咎は己がくたばってから地獄で清算しようと考えていた。
マシブは宿に戻ると、アインの部屋へと向かう。
扉を開けると、そこにはマシブが買ってきた服に着替えたアインがいた。
黒いシャツの上に金属製の胸当てを付け、下はショートパンツと皮のブーツを履いている。
黒を基調とした服装は、今後の逃亡生活を考えてのこと。
カタリーナが手配書を出せば、彼らは冒険者としての活動を続けられないのだから。
「よう、アイン。目覚めはどうだ?」
「ん……悪くはない、かな」
「そりゃ結構」
一晩寝て体の調子も少しは良くなったのだろう。
まだ動き回れる状態ではないが、顔色は幾分かマシになっていた。
「できれば早い内にドラグニアから出た方がいいだろうな。これだけのことをして、この国いつまでも留まってはいられねえ」
自分たちは多くの命を奪った。
それも、自分たちの都合のために罪のない人々を巻き添えにしたのだ。
少なくともドラグニア領内に留まっていることは危険だろう。
「……」
「お、どうした?」
黙り込んでいるアインを見てマシブが首を傾げる。
何か悩んでいる様子だった。
「……怪我はないの?」
「ああ、問題ないぜ。多少の傷はあるけどよ」
そう言って、マシブは体のあちこちを指した。
浅い傷が幾つもついていたが、災禍の日をこの程度で乗り越えられたのならば十分だろう。
アインは意を決したように口を開こうとして――。
「ほら、行くぞアイン。まずは馬車を確保……いや、この国だと竜車だったな」
旅に同行するつもりでいるマシブを見て、呆けたように固まってしまった。
これから先、旅はさらに過酷さを増していくだろう。
この街での一件で手配書が出されてしまえば、これまでのように冒険者として稼ぐことは出来ない。
今はこれまで稼いできたものが余っているため問題ないが、いずれ金銭的な問題も出てくるかもしれない。
アインは黒鎖魔紋を持っているために教皇庁から追われている。
だが、手配書が出されれば賞金稼ぎ目的の手合いから狙われるようにもなってしまう。
生半可な実力では生き延びることは出来ない。
これから先は、周囲の目を忍んでの旅となるだろう。
どれだけ窮屈で苦しいものか、想像するだけでも嫌になるほどだ。
だというのに、この男は。
待ち受ける過酷な道に、自ら突っ込んでいこうとしているのだ。
「なんで、そこまで……」
自分を大切にしてくれるのか。
道行く少女のような可愛らしさも無い自分を。
血に塗れて嗤う、凶暴な獣のような自分を。
マシブはその問いに答えようとして――頬を掻いてそっぽを向いた。
答えられるわけがないだろう。
その胸の内に秘めた言葉を、伝えられるほどの覚悟はまだ無かった。
「……んなことより、カタリーナから伝言を預かってるぜ。探し人は北西へと抜けた、だってよ」
「北西に……」
アインは地図を広げると、その位置を確認する。
ドラグニアから北西にあるのは広大な森と、その先に黒く塗り潰された地帯があった。
「なあ、アイン。探し人ってのは誰なんだ?」
「分からない。あれは、きっと異質な存在なんだと思う」
思い出すのは、ガルディア地方での戦役のこと。
ブレンタニアとエストワールの最終決戦の夜、幼き少女が現れた。
闇よりも昏い黒髪。
陶磁のように透き通った肌。
およそこの世の者とは思えない美貌を讃えた幼い少女。
いったい何者なのだろうか。
彼女が歌い始めた途端、戦場で散っていった亡者の魂が次々と彼女の体へと吸い込まれていった。
そして、彼女の歌う鎮魂歌――災禍の歌によって、亡者の魂は天へ召されていった。
「黒鎖魔紋に関係あるってことか?」
「たぶん、そうだと思う」
アイン自身は、邪神から力を与えられているに過ぎない。
こちら側から干渉することは出来ず、その関係は一方的なものだ。
しかし、あの幼い少女は別だ。
亡者の魂が天へと召されていく時、アインは黒鎖魔紋によく似た力の気配を感じ取っていた。
それはまるで、こちらの世界から邪神の住まう世界に通じているかのようだった。
「そいつを追うのが、一先ずの目的ってことか」
アインは頷くと、再び地図に視線を戻す。
黒く塗り潰された地帯が気になっていた。
以前、カルディアの壁から去る際にガーランドから聞いた話を思い出す。
魔物の災害によって滅びた地――メルディア。
彼の言う場所はここなのかもしれない。
地図を眺めていると、マシブが思い出したように口を開いた。
「そこの森を抜けるってんなら、ちょっと寄り道してもいいか?」
「いいけど、何かあるの?」
「ああ。そこの森にはエルフ族の里があるんだが、ラドニスが里帰り中だからよ。会うついでに、武具とかもどうにかならねえかと思ってな」
魔導技師ラドニス・フォン・ヘンゼ。
彼の優れた技術はアイン自身も身を以て理解している。
アインは赤竜の王との戦いで武具を失ってしまった。
魔槍『狼角』は、アインが気を失うと同時に役目を終えたかのように砕けてしまったという。
身に纏っていたローブも焼け焦げて使い物にならなくなってしまった。
マシブが衣服と短剣を用意してくれたが、この装備ではこの先の旅に耐えられないだろう。
マシブは笑みを浮かべ、懐から巨大な牙を取り出して机に置いた。
さらには真紅の鱗や赤黒く輝く魔石を並べる。
「せっかく馬鹿でかい竜を狩ったんだ。こいつで良い魔道具でも作ってもらおうぜ」
並べられた素材はどれも一級品だ。
ラースホーンウルフの角も質の良い素材ではあったが、赤竜の王の素材と比べると数段劣るだろう。
この素材で武具を作れるのであれば、強力な魔道具を作れることだろう。
だが、アインが一番気になったのは赤黒く輝く魔石だった。
「これは……」
黒鎖魔紋と同質の魔力を秘めた魔石――黒鎖魔晶。
かつて護衛依頼を受けた時、エミリアから見せてもらったものと同じもの。
否、エミリアのものよりも遥かに強大な力が感じ取れた。
赤黒く輝く魔石の内側には、黒い鎖のような魔紋が蠢いていた。
所有者が強大な力を持っていれば、そこから生み出される魔石もより強力な力を持つのだろう。
「どうだ、気になってきただろ?」
アインは目を輝かせて頷く。
強力な武具を得られるということは、今よりもさらに強くなれるということ。
そのためならば、エルフ族の里に寄るのも良いだろうと思えた。
「おっし、それじゃ行くか。一人で歩けるか?」
「問題ない……っと」
アインは危うく転倒しかけて、マシブに受け止められる。
さすがに一晩では体力が回復しきってはいなかった。
彼は呆れたように肩を竦めると、アインの体を支えるように腰に手を回した。
「竜車まで我慢してろよ」
「……わかった」
マシブに支えられ、アインは宿を後にする。
次に目指すはエルフ族の里。
そこでラドニスと会い、赤竜の王の素材を強力な魔道具に仕立てて貰うのが目的だ。
今度の旅路は一人ではない。
そのことに違和感はあったが、嫌な気分ではなかった。
二人は竜車を得ると、北西へ向けて出発した。




