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狂槍のアイン  作者: 黒肯倫理教団
五章 赤竜の王

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96話 災禍の日

 日が沈み、空が闇に包まれる。

 ベルディンの街は日が沈んだ後も賑やかだった。


 マシブはそんな街を眺めながら、大きく息を吐き出す。

 始まるのだ、災禍の日が。

 その体が微かに震えているのは、恐れか、あるいは武者震いか。


 やがて訪れるであろう凄惨な殺戮の宴。

 それを知る者は、この街でただ二人。

 無辜の民を災禍に巻き込んだ男は、凶悪な面を酷く歪ませて嗤って見せる。


 そして――。


「ひぃ、化け物だぁッ!」


 誰かが発した悲鳴によって、ベルディンの街は異変に気付く。

 どこからともなく現れる異形の軍勢。

 その途方もない数を目にした時、果たして常人は何を思うだろうか。


 マシブは静かに背負った二振りの大剣を引き抜くと、臨戦態勢に入る。

 街を守るために剣を抜いたわけではない。

 ただ一人の女のために、その剣を振るうのだ。


「頼むから、少しでも時間を稼いでくれよ……」


 この街に集う冒険者たちは、いずれも竜を討伐できるほどの手練れ揃い。

 シュミットの街よりは襲撃に長く耐えられるだろう。


 今のマシブにとって、彼らは都合の良い駒に過ぎない。

 自分とアインが生き残るために犠牲にするのだ。

 これから夜が明けるまで、彼らは地獄を彷徨うことになる。


 街中で断末魔が上がり始める頃には、冒険者たちも戦闘を開始していた。

 圧倒的な数の化け物を前にして勇ましく戦う者もいれば、己の無力さを実感して情けなく逃げ惑う者もいた。


「――来やがったかッ!」


 遂にマシブの視界にも異形の軍勢が見えてきた。

 赤黒い瘴気を身に纏った者共が、生者の血肉を喰らいに進軍する。

 小さなものは人間と変わらないほどだったが、大きなものはそこらの建物よりもずっと大きかった。


 マシブは息を呑む。

 これから自分は、あれだけの化け物を相手にするのだ。

 以前は全く歯が立たなかった異形の軍勢を、今度こそ退けなければならない。


 武器を握る手が微かに震えていた。

 額を伝う汗を拭い、自らを鼓舞するように声を荒げる。


「かかってこいッ! 俺の全力を以て叩き切ってやるッ!」


 赤竜の王を相手にあれだけ戦えたのだ。

 今の実力であれば、たとえ災禍の日であろうと問題ない。

 そう自分に言い聞かせ、マシブは迫り来る化け物を迎え撃つ。


「おらぁッ!」


 力任せに振るわれた大剣は、すぐ間近に迫っていた化け物を真っ二つにする。

 続けてもう一度振るえば、さらにもう一体を両断する。


 確かな手応えを感じ、マシブは犬歯を剥き出しにして嗤う。

 戦えるのだ、今の己であれば。

 情けなく逃げ惑っていた以前のマシブは、もはやどこにもいない。


 自信が付けば、その剣閃は苛烈さを増していった。

 荒れ狂う大蛇のように暴れ、近付いてくる化け物を返り討ちにしていく。

 この調子であれば、夜明けまで持ち堪えられるかもしれない。


 そう思っていたマシブだったが、遅れるようにやってきた巨大な化け物を見て愕然とする。

 シュミットの悲劇を彷彿とさせる姿。

 彼が恐れを抱いて逃げ出した、見上げるほどに大きな化け物だった。


「ぶっ殺してやるッ!」


 シュミットの街に現れたものと同じかは分からない。

 もし同じ化け物であったならば、それは母親の仇だ。

 そうでなかったとしても、アインを守るためには退けなければならない。


 マシブは先手必勝とばかりに猛然と駆け出し、大きく跳躍する。


「――剛撃ッ!」


 全力を以て振るわれた一撃は――浅い。

 化け物の肩を浅く切り付けて、そこで止まってしまった。


 肩の傷口から赤黒い瘴気が一気に噴き出してきた。

 慌てて飛び退こうとするが、逃げる間もなくマシブを包み込む。


「くッ――灼化ッ!」


 赤熱する魔力を身に纏い、瘴気を防ぐ。

 マシブは後ろに飛んで距離を取ると、警戒した様子で化け物を見据える。


 本来であれば、灼化はもっと温存しておこうと考えていた。

 だが、迫り来る異形の軍勢は、マシブが想定していたよりもずっと数が多い。

 まだ夜明けは遠いというのに奥の手を切らざるを得なかった。


 巨躯の化け物を相手にしている内に、他の化け物が集まってきていた。

 マシブは背後の宿に気を配りつつ、双剣『剛蛇毒牙』を構え直す。


 こいつだけは確実に仕留めなければならない。

 マシブはそう決心すると、一気に駆け――跳躍する。


 高く飛び上がったマシブは、体を捻るように回転させて勢いを付ける。


「喰らいやがれ――旋風刃ッ!」


 二振りの大剣を回転しながら叩きつける。

 強烈な一撃は、今度こそ化け物の体を真っ二つに切り裂いた。


 地に倒れ伏した化け物を見て、マシブは満足げに笑みを浮かべた。

 以前の彼では歯が立たなかった化け物も、今ではこうして倒すことが出来る。

 凄まじい鍛錬の末に、災禍の日を生き延びるだけの力を得たのだ。


 マシブは再び化け物の軍勢に襲い掛かろうとして――殺気を感じて咄嗟に横に飛んだ。

 直後、彼が先ほどまで立っていた地面に巨大な槍が叩きつけられた。


 マシブは冷や汗を垂らしながら視線を向ける。

 そこにいたのは、巨大な槍と盾を持った女性――カタリーナ・ブリュンヒルデだった。


「まさか、この街に災禍を呼び寄せるとはな。赤竜の王との戦いは見事だったが、その評価は改めるべきか」


 その瞳に浮かぶのは憤怒の色だった。

 ここはドラグニア王国で、カタリーナは国に仕える騎士だ。

 ベルディンの街を利用されたのであれば、彼女が憤るのも当然だろう。


黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカは災いを呼び寄せる。その噂は聞いたことがあったが、まさかこの身を以て体験することになるとはな」

「教皇庁に恭順したくなったか?」

「……」


 その問いには、カタリーナは黙することを選んだ。

 即座に否定できない程度には、マシブとアインに不信を抱いているのだろう。


 カタリーナは槍を一振りして周囲の化け物を退けると、再びマシブに向き直る。


「なぜこの街を……ベルディンの街を選んだ」

「選んだんじゃねえよ。アインを生かすには、これしか選択肢がねえんだ」

「それで無辜の民を巻き込んだとしてもかッ!」


 その怒りを、マシブは当然の報いとして受け止める。

 分かっているのだ。

 自分がした選択が、どれだけの命を奪うことになったのかを。


 だが、今のアインは碌に身動きも取れない状態だ。

 この街を去っていたとして、マシブ一人で化け物の軍勢を退けることは難しい。

 冒険者たちがベルディンの街の至る所で奮戦しているからこそ、こうして生き永らえているのだ。


「アイン殿の容体は知っている。彼女は赤竜の王を討伐するために怪我を負った。だが、だからといって、己可愛さに他者を巻き込むとは何事か!」

「知らねえな。俺たちが生き延びられるなら、他人がどうなろうが構わねえ」

「貴様ッ……」


 だが、とマシブは続ける。


「これはアインの意思じゃねえ。あいつは、自分一人で死のうとしていた。これは俺の選択だ」

「だから何だと……」

「夜が明けたら手配書でも何でも書けばいい。それはお前の自由だ。だけどよ、アインをどうにかして災禍の夜を鎮めようってんなら――てめえを殺す」


 マシブの眼が鋭く細められる。

 強烈な殺気を放つ彼に、カタリーナは一歩後ろに退く。


「……好きにするといい。私は貴様らに干渉しない。だが、夜が明けたら手配書は書かせてもらう」

「ああ、構わねえぜ」


 マシブは用が済んだと思い、化け物の軍勢に襲い掛かろうとする。

 だが、カタリーナがそれを呼び止めた。


「待て、あと一つだけ用がある」

「なんだ?」

「アイン殿に王都のガイアスからの言伝だ。探し人は北西へと抜けた、と」


 それを伝えると、義理は果たしたと言わんばかりに去っていく。

 この後、彼女はベルディンの街のために死力を尽くして戦うのだろう。


「探し人は北西へと抜けた……か。誰を追ってんのかは知らねえけど、アインに伝えねえとな」


 マシブは忘れないように頭の中で繰り返す。

 北西に向かえば、アインの目的が果たせるのだろう。


「……ん、北西っていうとエルフの里があったような」


 思い出すのは、シュミットの街で世話になった魔導技師ラドニスの姿。

 あの後、彼はエルフの里に戻ったのだという。

 アインのためにも、一度寄っていくべきかと考える。


 マシブは空を見上げる。

 未だ月は煌々と、闇の中心で光を放っていた。


 夜明けは遠い。

 マシブは荒く息を吐き出すと、気合を入れ直して猛然と魔物に向かっていった。

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