91話 赤竜の王(2)
先ほどまでは死を意識していたアインだったが、今は違う。
ただ、目の前の獲物を如何にして仕留めるかだけを考えていた。
重力魔法の恐ろしさは十分理解できた。
少なくとも、生身のアインでは身動きが取れなくなるほどに強力な魔法だ。
次同じ状況に陥ってしまった時、同じようにマシブが助けに入れるかは分からない。
アインは皮手袋を外し、懐へとしまう。
今こそ黒鎖魔紋を解放するべきだろう。
そう考えて詠唱しようとするが――。
「アイン殿ッ!」
カタリーナの声に反応して咄嗟に飛び退く。
少し前までアインが立っていた地面を赤竜の王が放ったブレスが焼き焦がした。
アインは苛立ったように赤竜の王を睨み付ける。
右手に刻まれた黒鎖魔紋の存在に気付いているのだろう。
解放する暇も与えないといわんばかりに、次のブレスを準備し始めた。
先ずはあのブレスをどうにかしなければならない。
であれば、その器官から潰すべきだろうとカタリーナに視線を向ける。
「カタリーナ。あのブレスを止めるにはどうすれば?」
「胸元にブレスを生成する竜核と呼ばれる器官がある。そこを潰すことが出来れば、ブレスを止めることが出来るかもしれない」
「……そう」
アインは赤竜の王の胸元に視線を向ける。
よく見れば、赤く細長い水晶のようなものがあった。
赤竜の王がブレスを放つ度に激しく明滅していたため、間違いないだろう。
「アイン殿、次のブレスは私が防ぐ。その隙に胸元を狙ってほしい」
カタリーナの提案にアインは頷く。
だが、果たして一人で飛び込んで赤竜の王の猛攻を凌ぎきれるだろうか。
マシブに視線を向けようとするが、さすがにそこまで頼るわけにはいかないと思い視線を逸らす。
しかし――。
「やるんだろ? 赤竜の王は俺に任せて、お前は奴の胸元を貫いてやれ」
「けど……」
確かに道中でマシブの強さも見ることは出来た。
巨大な竜を相手に、少しも臆することなく挑むほどの胆力も見た。
だが、相手は赤竜の王だ。
そこらの魔物とはわけが違うのだ。
マシブが赤竜の王を相手に真正面からやり合えるとは思えなかった。
「もしかして、俺のことを心配してくれてんのか? いらねえよ、そんなもん。この程度でくたばっちまうような柔な人間じゃねえっての」
そう言って、マシブは笑みを見せる。
その表情は頼りになりそうなものだったが、アインは即座に頷けずにいた。
恐れているのだろうか。
マシブを失うことを。
だが、アインの決断を待たずして戦いは進んでいく。
赤竜の王が吐きだしたブレスに対し、カタリーナが迎え撃つ様に技を放つ。
「――天竜の翼盾」
展開されたのは魔法障壁ではなかった。
一対の翼が、アインを守る様に包み込む。
ブレスの直撃を受けて僅かに揺らぐが、確実に耐え凌いで見せた。
となれば、次はアインの番である。
魔槍『狼角』を構えて勢いよく駆け出す。
狙うのは赤竜の王の胸元にある、ブレスを生成する器官――魔核。
間合いに飛び込んできたアインに、赤竜の王が右腕を振り下ろす。
それを即座に横に飛んで回避するが、その直後には左腕が振り下ろされていた。
(――ッ!?)
急に横から突き飛ばされ、赤竜の王の一撃から逃れる。
即座に体勢を立て直そうとするが、アインは視界に映ったものに気を取られてしまう。
「ぐッ……くそ、がぁ……」
先ほどアインを突き飛ばしたのはマシブだった。
赤竜の王の左腕を双剣で受け止めているが、徐々に押し込まれている。
このままでは、マシブは押し潰されてしまうだろう。
「マシブ!」
「来るなッ!」
アインが駆け出そうとするが、マシブが制止する。
苦悶に満ちた表情を浮かべつつも、アインの助けを拒んだ。
「お前は奴の胸元を狙えッ! このくらい、俺は何ともねえ……!」
そう言っている間にも、マシブは徐々に押されていく。
膝をつき、身を逸らせながらも必死に押し返そうとしていた。
それが煩わしく感じたのだろう。
赤竜の王は大きく息を吸い込むと、さらに重力魔法も発動してマシブを押し潰す。
マシブは地面と赤竜の王の手の間に挟まれて見えなくなってしまった。
「嘘……」
呆然とその光景を眺める。
やはり彼では、共に戦うには不足していたのか。
そもそも誰かと共に戦いたいと願ったことが罪だったのか。
怒りと悲しみに慟哭を上げようとしたその時――赤い光が辺りに迸る。
「うおおおおおおおッ!」
怒鳴るような咆哮と共に、マシブが赤竜の王を押し返す。
その体は赤い魔力光に包まれていた。
先ほどまでとは桁違いの力に、アインは驚いたようにマシブを見つめる。
それは、マシブが鍛錬の末に編み出した奥義――灼化。
自身の魔力を変質させることによって、通常とは異なる方法で身体強化を施す彼独自の技だった。
その凄まじさは、赤竜の王を相手に競り勝ったところを見れば一目瞭然だろう。
だが、今は感心している暇はない。
アインは体勢を崩している赤竜の王に向かって駆けていくと、その胸元目掛けて槍を突き出す。
「――黒牙閃」
渾身の突きが赤竜の王の竜核を打ち砕く。
作戦の成功に笑みを浮かべる暇も無く、その表情が焦燥に彩られた。
竜核を破壊したと同時に、内に秘められていた魔力が荒れ狂うように暴走を始めたのだ。
「――まずいッ!」
咄嗟に右腕を突き出して魔法障壁を展開する。
だが、それさえも容易く打ち破って黒炎が溢れ出してきた。
そして、大きな爆発と共にアインの体が大きく吹き飛ばされる。
「アインッ!」
マシブが吹き飛ばされたアインを上手く受け止める。
だが、アインは黒炎によって右腕に酷いやけどを負ってしまっていた。
「おい、大丈夫か!?」
「ん……なんとか、ね……」
そう気丈に呟くも、状況は最悪だった。
槍を握る手に感覚が無く、意識も朦朧としている。
これでは、これ以上戦い続けることが出来ない。
「くそ、まさか魔力暴走が起きちまうなんてよ」
マシブが悔やむように地面に拳を叩きつける。
先ほどの爆発によって赤竜の王にも大きな被害を与えたようだったが、それもすぐに立ち直ってくることだろう。
マシブ自身も、灼化をいつまでも発動し続けられるわけではない。
「カタリーナ、アインの治療をしてやってくれ」
「構わんが……一人で相手をする気か?」
「おうよ。時間を稼ぐくらいなら、俺だって出来る」
マシブは双剣を構えると、赤竜の王を睨み付ける。
黒炎のブレスを封じた今、灼化を発動している状態のマシブであれば十分戦えるはずだ。
アインが少しでも回復するまで持ち堪えなければと、覚悟を決める。
「おっしゃ! やってやるぜ!」
声を大きく上げると、マシブは赤竜の王と対峙する。




