9話 シュミットの街
アインは冒険者ギルドを出て、宿を探しに向かう。
この街には冒険者が多く訪れるため、酒場や宿が多く活気にあふれていた。
まだ日は暮れていないというのに、酒場は繁盛しているようだった。
アインの故郷の村では夜にならないと酒を飲む人がいないのだが、ここではその常識は通用しないようだった。
これが冒険者というものなのだろう。アインは街を歩きながら、周囲の人々を観察する。
シュミットの街と呼ばれるだけあって、街には多くの武具店があった。
店に並ぶ武器はどれも立派なものばかり。
それらと比べてしまうと、アインは自分の背負っている槍が少し頼りなく感じた。
背負っていた槍も、森を抜けるまでの魔物との戦いで随分とくたびれてしまっている。
もう何度か戦闘をしたら壊れてしまいそうな状態だったため、アインは稼ぎが入ったら真っ先に槍を新調しようと考えた。
町の中心部からやや南寄りのところまで歩いて、アインは良さそうな宿を見つけて中に入った。
すると、中にいたふくよかな中年の女性が笑顔で出迎えた。
「おや、いらっしゃい。食事かい? それとも泊まりかい?」
「泊まりで、とりあえず三日くらいかな」
「はいよ。大した宿じゃないけれど、ゆっくりくつろいでちょうだいな。今、部屋に案内するからね」
女将に案内され、アインは二階へと上がる。
大きな宿屋ではないものの掃除が丁寧にされていて、アインは居心地がよさそうだと思った。
「さあ、お嬢ちゃん。ここがあなたの部屋よ」
二階には部屋が二つあり、その手前がアインの部屋だった。
広い部屋ではないがベッドもしっかりしたもので、不便はなさそうだった。
「そういえば、お嬢ちゃんのことを聞いてなかったわね。見たところ……冒険者、なのよね?」
首をかしげながら尋ねられる。
確かに今のアインの格好は汚れた服と槍が一本あるだけで、外を歩いている冒険者たちと比べれば頼りないものだった。
「えっと、さっき冒険者登録をしてきたばかりで」
「まあ、そうだったのね。でも、お嬢ちゃんみたいな子が冒険者になるなんてねえ……」
意外そうな顔でアインの事を見つめる。
ぱっと見ただけでは普通の村娘なのだから、それも仕方ないだろう。
「ああ、そうだ。あたしはエレノラ。お嬢ちゃんの名前は?」
「アイン」
「アインちゃんね。今日からよろしく」
エレノラは挨拶を済ませると、仕事があるからと下に降りていった。
アインはそれを見送ると、自分の部屋に入って荷物を置いた。
といっても槍か革袋くらいしかアインの荷物はないため、大した手間にはならない。
ベッドに腰掛けて、アインは少し休む。
「私が冒険者かあ……」
首から下げた鉄製のプレート。
そこにはアインの名前と槍士という職業。そして、階級はアイアンと書かれていた。
これまで普通の村娘として生きてきた。
だから、こうして冒険者カードを手に入れても実感がわかなかった。
まだ夢を見ているのではと疑いたくなるくらいだった。
しかし、これまでの出来事は全て事実。
現に、アインの手は生々しいほどに戦いの感触を覚えている。
血の臭いを、生暖かさを、アインは覚えている。
明日になったら最初の依頼を受けよう。
できれば、採集依頼よりも討伐依頼の方がいいだろうとアインは考えていた。
村の周辺で薬草を採集したこともあるのだが、なぜだか採集依頼よりも討伐依頼の方がやりたいと感じていた。
アインは布の手袋を外し、右手の甲に刻まれた黒鎖魔紋を見つめる。
討伐依頼の方に惹かれるのは、きっと自分が戦いを望んでいるから。
血に飢えた狂獣。それが自分の本質であり、あるがままの姿なのだろう。
その本性を受け入れた方がきっと楽だ。
アインはそう考えるも、やはり全てを受け入れきることは難しかった。
戦いの中で感じる衝動も本物だったが、同時にこうして悩んでいる自分も本物なのだと、そう考えていた。
いずれにせよ、そう簡単に黒鎖魔紋の力に頼るわけにもいかない。
ヴァルター曰く、この力は消耗が激しく、そして回復が遅い。
そのため、災禍の日を万全の状態で迎えるために普段は極力使わないようにしておくべきなのだと。
それでも黒鎖魔紋が与えられたことによってアインの魔力や身体能力は向上している。
以前のただの村娘だった時とは比べ物にならないほど成長しているくらいだった。
だからこそ、先ほども冒険者ギルドで絡まれたときに、自分よりもはるかに大きな巨躯の男を容易くあしらえたのだろう。
床に倒れていた男の情けない表情を思い出して、アインは少しにやけてしまう。
少しして、窓の外が暗くなってきた。
アインはそろそろご飯にしようと思い、下に降りる。
すると、エレノラが料理をテーブルに並べているのが見えた。
「おや、丁度呼びに行こうと思ったところだよ。温かいスープが出来てるから、冷めないうちにお食べ」
「わあ……」
アインはテーブルに並べられた料理を見て驚く。
黒パンやスープだけでなく、サラダや魚料理なども大量に並べられていた。
自分が食べるには多すぎるくらいの量だと思ったが、にこにこと優しく微笑む女将を前にしては、食べきれないというのは気が引けた。
だが、椅子に座ってみれば、いい匂いに食欲がそそられる。
シュミットの街に来るまでの道のりで何度も戦闘をしていたため、空腹がそろそろ限界だった。
「いただきます!」
スープを一口すすれば、その優しい味がアインの心を癒す。
新鮮な野菜のサラダや脂ののった焼き魚。
疲れからか、アインは自分でも驚くくらいあっというまに食べきってしまった。
その様子に、満足そうにエレノラが微笑んでいた。
穏やかでいい人なのだろう。
アインは数日だけでなく、依頼の報酬が入ったらしばらくここに泊まるのもいいかもしれないと思った。
食後の余韻に浸っていると、宿屋の扉が急に荒々しく開かれた。
ばたばたと音を立てて入って来たのは、冒険者ギルドでアインに絡んできた巨躯の男だった。
「ただいま母ちゃん! 腹が減ったからメシ、に……?」
男はアインと目が合うと、そのままぴたりと固まってしまう。
凶悪な面も、口を開けたまま情けなく呆けさせてしまえば台無しだった。
アインも唐突な再開に驚いていた。
「なんであんたがここに?」
「ここは俺んちだからよ。逆に、なんで嬢ちゃんがここにいるんだよ」
「泊まるからだけど」
「おいおい、冗談キツイぜ」
頭を抱える男のもとに、エレノラが歩み寄る。
「あら、マシブ。あんたアインちゃんの知り合いだったの?」
「え? ま、まあ、そんなところ……だぜ」
「なーんか、怪しいわね?」
エレノラに詰め寄られ、巨躯の男――マシブは情けない表情で弁解しようとする。
「ほ、本当だっての。ギルドに嬢ちゃんがいたからよ、先輩冒険者としてアドバイスをだな……」
「貴族や商人に見初められるためのテクってやつを教えてくれるって言ってた」
「あっ、てめぇ!」
アインはマシブに視線を向けられるも、視線をふいと逸らした。
だらだらと汗を流しながら、マシブは母親の方に視線を戻す。
そこには笑顔のまま怒っているエレノラの姿があった。
「へえ、マシブ。あんたも立派に冒険者しているのね?」
「ま、待ってくれ! ほんとに、その、えっと……そう、勘違いなんだ! ちょっとした手違いで、ええと……」
「マシブ?」
エレノラの表情から、このままだと大変なことになるかもしれないとマシブは焦る。
これ以上の弁解は無意味だと悟り、マシブは諦めたような表情でアインの方に近づいていき――。
「本当にすまなかった!」
見事な土下座をかまして見せた。