86話 切り捨てたもの
翌朝、冒険者ギルドのべルディン支部には多くの冒険者が集まっていた。
最終的な戦力はゴールドの冒険者が十名、シルバーの冒険者が三十名。
史上でも類を見ない大規模な討伐隊が編成されていた。
たった一体の魔物を討伐するにしては、あまりにも過剰な戦力。
だが、赤竜の王という強大な竜を相手にするにはこれでも心許ないくらいだ。
集った冒険者たちの下にカタリーナが歩いてきた。
重厚な盾と巨大な槍を手に、彼らの前に立つと集まった冒険者たちの顔を見回す。
「冒険者諸君。まずはこの討伐依頼を受けてくれたことに感謝する。本来であれば赤竜の王を鎮めるのは我々騎士団の仕事だが……周知の通り、今は王国各地で活性化の影響を受けた竜の対応で手一杯だ。諸君の力を貸してもらいたい」
本来であれば、ドラグニア王国の保有する戦力を総出で対応に当たるべきだと彼女は考えていた。
竜信仰の頂点ともいうべき存在である赤竜の王ロート・ベルディヌ。
これを騎士団で鎮めずして、どうするというのか。
しかし、それには幾つか問題があった。
大きな理由としては、カタリーナが言った通り王国各地で起きている竜の活性化に対処しなければならないため、こちらに多くの戦力を割けないという点だ。
彼女の率いる天竜騎士団も王国各地へ飛び立っており、唯一彼女のみが赤竜の渓谷まで来ている。
これが他所の国であれば、活性化による魔物の対応も容易だった。
各領地を統治する貴族たちが私兵を派遣すれば、それだけで魔物の制圧は出来ていることだろう。
だが、竜という強大な力を持った魔物が多く生息するドラグニアにおいては、活性化の鎮圧というのは非常に難しい問題だった。
それ故に冒険者を募る必要があった。
元より魔物を狩ることに関しては彼らの方が専門だ。
破格の報酬であることからも、出来る限り多くの戦力を確保したいという意図が窺える。
騎士団が参加できないのは、もう一つ理由がある。
赤竜の王という強大な力を持った竜を前にして、並の竜では恐れて動けなくなってしまうからだ。
ドラグニア王国の誇る天竜騎士団と地竜騎士団は、その強みを失った状態で戦うことになってしまう。
それは今のカタリーナを見れば明らかだった。
だが、それを引いてもカタリーナは十分戦力になるほどの技量を持っている。
先日手合わせをしたアインもそれを身を以て確認しているため、彼女が討伐隊に参加することは歓迎だった。
「赤竜の王は渓谷の奥地に棲んでいる。そこに辿り着くまでに多くの竜と戦うことになるだろう。諸君の働きに期待している」
そうして、討伐隊はべルディンの街を出た。
赤竜の渓谷は数多の竜が生息する危険地帯だ。
一歩足を踏み入れれば、その気配を感じ取った竜が襲い掛かってくるだろう。
だが、こちらも魔物の討伐に関しては手慣れていた。
数の差を利用し、上手く連携を取ることで容易く竜を狩っていく。
その手際の良さはアインも感心するほどだったが、果たしてそれがどこまで続くかは分からない。
赤竜の渓谷は、浅部は小型の竜が多く生息している。
だが、深部に近付くにつれて巨竜の生息する危険地帯へと変貌していく。
それ故に赤竜の王が住まう最奥まで進むことは非常に難しい。
正直なところ、アインとしては討伐隊の中に戦力になる者はほとんどいないと考えていた。
精々、道中に襲い来る竜を排除してくれる程度。
奥地に向かうにつれて、次第に彼らの存在は邪魔になっていくかもしれない。
その懸念はマシブも同様だったのだろう。
アインが黒鎖魔紋を持っていることを知っている彼からすれば、他の冒険者が邪魔になってしまうことは容易に想像できた。
唯一カタリーナに関しては戦力として申し分ないが、それだけにアインが黒鎖魔紋を解放したいときに障害となってしまうことだろう。
「なあ、アイン。赤竜の王ってのは、どれだけ強いんだ?」
漠然とした問いだった。
実際に対峙したことのあるアインは、赤竜の王はこれまで戦ってきた中でも別格の魔物であることを感じ取っている。
「少なくとも、私一人だと厳しい」
赤竜の王はアインが手こずっていた巨竜を容易く仕留めてしまうほどの竜なのだ。
少なくとも、黒鎖魔紋を解放していない状態のアイン一人では敵わないだろう。
それを聞いて、マシブはむしろ士気を高めていた。
「アイン。お前に力を使わせずとも、今回は何とかしてみせるぜ。なんてったって俺がいるんだからよ」
「……随分と自信があるんだ?」
「当然だぜ。俺がどれだけ過酷な道を通ってきたと思ってんだ」
マシブが犬歯を剥き出しにして笑みを見せる。
凶悪な顔をより凶悪に歪ませて、自信に満ちた表情で肯定した。
「他の連中は頼りないかもしれないけどよ。この俺がいれば、赤竜の王だろうがなんだろうがぶっ倒してみせるぜ」
アインはマシブを改めて観察する。
確かに彼の言う通り、他の冒険者たちとは別格の気配を感じる。
少なくとも、以前シュミットの街にいた頃の彼とは違うのだろう。
果たして、それがどれほどのものなのか。
過酷な鍛錬を積んで、様々な魔物を倒して経験を積んできた。
二つ名を持つに相応しい実力はあるのだろうが、やはり黒鎖魔紋を持つ者と持たざる者とでは実力に大きな差がある。
どこまで頼りにしていいのか、アインは判断しかねていた。
だが、どこかでマシブに期待している自分がいた。
他者の力に頼るような甘い考えはとうの昔に切り捨てたはずだった。
ヘスリッヒ村でも、ガルディアの壁でも、アインは自身の力で道を切り開いてきた。
ここにきて、アインの僅かに残された人間らしい部分が足掻いていた。
嬉々として屍の山を築き上げ、返り血に塗れて嗤うようになっても。
未だ、狂気に身を堕とせていないというのか。
「……」
捨てたはずの感情が蘇ってくるような気がして、アインはマシブの傍から離れた。
黒鎖魔紋を抱えて生きていくには、これは不要なものだ。
だがもし、マシブがアインの期待に応えられるほど強くなっていたならば。
災禍の夜を乗り越えられるほどの力を手にしていたならば。
その時は、頼ってもいいかもしれないと思う自分がいた。




