85話 凶刃の男
翌日、宿で休憩を取っていたアインの下にギルドの職員がやってきた。
人数が揃ったため、赤竜の王討伐の会議を行うとのことだった。
ギルドに内接された会議室にはゴールドの冒険者たちが集められていた。
彼らは功績を認められてゴールドの階級へ上がった者たちであり、魔物を討伐する熟練者たちだ。
たとえ赤竜の王が相手であろうと、臆する者は一人もいない。
だが、部屋の中にアインが足を踏み入れると彼らの表情は一変した。
まるでナイフを喉元に突き付けられているかのような錯覚に陥ったからだ。
感じるのは、鋭く磨き上げられた刃のような殺気。
当人は気づいていないのだろうが、抑えきれずに溢れ出した殺気が席に着いている冒険者たちを畏れさせていた。
これが『狂槍』の二つ名を持つ冒険者なのだと、彼らは改めて理解した。
対照的に、アインは冷めた瞳で冒険者たちを眺めていた。
予想していたよりは期待できそうな手合いも何人か見受けられるが、かといって赤竜の王を相手に満足に戦えるほどの戦力かと問われればそうでもない。
彼らを連れて向かうくらいであれば、自分一人で向かった方がマシだとさえ思っていた。
彼らの視線があっては、自由に黒鎖魔紋を解放することさえ出来ない。
そうなればただの足手まといか、良くて囮に出来るくらいだ。
アインは落胆した様子で席に着くと、最後に来るであろう人物の到着を待つ。
恐らくは、この中で最も期待できるであろう男――『凶刃』の異名を持つ冒険者。
巨大な二振りの大剣を振り回す剛腕の持ち主で、さらにその刃には麻痺毒が仕込まれているという。
それだけの力を持つのであれば、赤竜の王を相手に十分な活躍が期待できるかもしれない。
張り詰めた空気の中――やがて扉が開かれた。
入って来たのは二メートルはあろうかという巨躯の男だ。
丸太のように太い腕には無数の傷が刻まれており、それだけ過酷な戦いを生き延びてきたということが理解できた。
その背に背負われた巨大な二振りの大剣は、蛇の魔物から手に入れた巨大な牙を魔道具に仕立て上げたものだ。
常人であれば一本だけでも振るうことは厳しそうな大きさだったが、彼はそれを容易く振るうのだろう。
使い込まれた跡を見れば、その実力は疑うまでもないだろう。
何より、彼は嗤っていた。
これから巨大な竜を狩ることが出来るのだと、闘争心を奮わせていた。
凶悪な顔をさらに凶悪に歪め、席に着く冒険者たちを、見まわし――アインを見て驚いたように目を見開いた。
「お……お前、アインじゃねえか!」
アインもまた、驚いた様子で彼の顔を見ていた。
知った顔がそこにあったからだ。
シュミットの街で出会い、そして共に依頼をこなした男――マシブがそこにいた。
「『凶刃』の二つ名を持つ男が来るって聞いていたんだけど?」
「ああ……それ、俺の二つ名だぜ」
まさかこんなところで再会することになるとは。
アインは少し動揺していたが、マシブは嬉しそうにアインの横に腰掛ける。
「まさかアインに会えるなんてな! あれからしばらく経ったけどよ、上手くやれてるか?」
「……」
上手くやれているかは分からなかった。
少なくとも、シュミットの街にいた頃の自分とは大きく変わってしまっている。
その違和感からか、マシブと上手く話すことが出来ずにいた。
だが、そんなことは関係ないといわんばかりにマシブは話す口を止めない。
アインとの再会がよほど嬉しいのだろう。
「あれから俺も色々あったんだぜ? でかいカマキリに追い回されたり、オークの集落に突撃したりよ。そのおかげというべきか……ったく、随分と大層な二つ名を貰ったもんだぜ」
アインと別れてから、マシブも様々な困難を乗り越えてきたのだろう。
以前よりも勇ましさを増した顔つきを見れば、冒険者としての成長を窺えた。
背負った二振りの大剣も、思い返してみればアインとマシブ、ゾフィーの三人で討伐したブレイドヴァイパーの牙から作られていた。
巨躯を覆う鎧もまた、ブレイドヴァイパーの鱗から作られている。
どちらもよく使いこまれた跡があり、マシブがしっかりと使いこなしていることが分かる。
これならば、とアインは考える。
今のマシブは会議室に集まった他の冒険者たちよりも遥かに役に立つだろう。
赤竜の王を相手にしても、十分戦えそうな頼もしさを感じた。
黒鎖魔紋の力を使わずとも、この戦力ならばいけるかもしれない。
『狂槍』と『凶刃』の二人の邂逅。
会議室に集まった冒険者たちは、明らかに自分たちよりも実力のある二人を見て安堵と恐れの感情を抱いていた。
彼らがいるならば赤竜の王にも勝てるかもしれないという期待感。
だが、二人から発せられる気配はどこか不穏なものが感じられる。
特にアインから感じるピリピリとした殺気は、自分たちも例外ではないのではとさえ感じてしまうほどだった。
事実、アインは彼らのことを仲間だと思っていない。
多少は足しになるかもしれない、という程度の認識でしかないのだ。
邪魔になるようであれば、彼らを排除して黒鎖魔紋を解放しようとさえ考えていた。
マシブはアインの表情から漠然とその考えを察していた。
シュミットの街にいた頃のアインはゾフィーを救うために盗賊を殺めることさえ躊躇して、涙を流してしまうような人物だった。
それが、今ではまるで他者に興味など無いといった様子で、ただ赤竜の王という大きな獲物にのみ関心が向けられている。
戦場で数多の命を嗤いながら奪ったという話はマシブも聞き及んでいた。
だからこそ『狂槍』という二つ名が与えられたのだろう。
マシブは少し寂しげにアインを見つめるが、すぐに表情を引き締めた。
アインがこうなってしまうという予感はあった。
あの日、シュミットの街で別れた時のアインは、不要な感情を全て切り捨てるという覚悟を持っていた。
その背を見送った後のマシブは、己の弱さを悔いると同時に誓ったのだ。
――どんなことをしてでもアインに追いついてやる。
それからのマシブは、凄まじい勢いで討伐依頼を受け続けた。
ラドニスから受け取った双剣『剛蛇毒牙』を使いこなすために肉体を鍛え上げた。
過酷な生活を送り続け、やがて『凶刃』と呼ばれるほどに至ったのだ。
今ならば、災禍の日であっても乗り越えられる。
マシブは自身の実力に自信を持っていた。
少なくとも以前のような足手まといにはならないだろうと思っていた。
「まさかこんなところで再会することになるなんて思わなかったぜ。けど、良い機会だ。俺が成長したところを見せてやる」
「……期待しないでおく」
「おいおい、そりゃないぜ」
マシブが肩を竦めておどけてみせる。
そうだ、この距離感だ。
アインはなんとなく、シュミットの街にいた頃の自分を思い出していた。
実際のところ、アインは自分がマシブの成長に期待していることに気付いていた。
もしマシブが災禍の日も乗り越えられるほどに成長していたならば。
ずっと孤独に戦ってきたのだから、そんな期待を持ってしまうのも仕方がないだろう。
やがて会議が終わると、アインは席を立つ。
それに倣うようにマシブも席を立つと、アインと共にギルドの外へ出た。
「なあ、アイン。せっかくだし、このあと一緒に飲まねえか?」
「明日がなんの日か分かってる?」
「ああ、もちろんだ。赤竜の王を討伐して、その素材を頂戴する日だろ?」
マシブは笑みを浮かべて見せる。
明日が赤竜の王を討伐しに行く日だというのに、酒場に行くのはどうなのか。
アインはそう考えていたが、マシブは久々の再会なのだから遅くまで語り明かしたい気分だった。
「……分かった、いいよ。けれど、飲むなら最後まで付き合ってもらうから」
「おうよ!」
アインが誘いに乗ってくれたことがよほど嬉しいのだろう。
凶悪な面を緩ませながら、マシブは意気揚々と酒場へ向かう。
だが、マシブは知らなかった。
アインが好む酒が火竜の酒という非常に強い酒であることを。
翌朝になって酷い二日酔いと共に後悔することになるとは、この時のマシブは思ってさえいなかった。




