84話 ドラグニアの事情
神殿に入ったアインは、カタリーナに案内されて蔵書室へと移動する。
相変わらず神殿からは強烈な殺気のような重圧を感じていたが、耐えられないほどではない。
「ここが蔵書室だ。といっても、辺境のこの地では、あまり多くの本はないが」
蔵書室といっても、王都から遠いこの神殿にはあまり多くの蔵書があるわけではない。
この地域周辺についての歴史や竜の生態などについて書かれた本が主であり、それ以外の情報を欲するならば別の場所の方がいいだろう。
今回は赤竜の王についての情報だけあれば十分なため、この神殿の蔵書室でも十分だった。
カタリーナは本棚から幾つか本を手に取ると、机に置いた。
「ここにあるのが赤竜の王について記された文献だ。とはいえ、赤竜の王についての情報は極めて少ない。だが、多少は足しになるはずだ」
並んでいるのはいずれも伝記の類で、建国の英雄であるローレン・アズルド・ドラグニアの生涯を描いたものだった。
彼の生涯を追っていけば、戦いの中で赤竜の王が如何なる力を使ったのか記されていることだろう。
アインは一番上に積まれた本を手に取ると、さっそく読み始める。
建国の英雄と呼ばれ神格化されているだけあって、ローレンの生涯は中々に興味深いものだった。
静かに読書に耽っているアインの横で、カタリーナは執務作業に手を付け始めた。
蔵書室に留まっているのは、アインが何か疑問を抱いた時にいつでも応えられるようにと彼女なりの配慮だった。
赤竜の王について調べていくにつれて、アインは次第に興味を惹かれるようになっていった。
ただ図体が大きいだけでなく、高い知性と強靭な肉体を兼ね備えた竜。
ローレンと共に戦場を圧倒する姿は勇ましく、まさに〝王"と関するに相応しい戦いをしていた。
だが、アインが気になったのはそこだけではない。
赤竜の王が持つ攻撃手段について、幾つか気になる点があった。
一つ目は、赤竜の王が吐く炎が夕闇のように昏い色をしているということ。
炎魔法といえば赤色が主流で、上位魔法には蒼い炎も存在している。
しかし、赤黒い炎を扱う魔法など一般には知れ渡ってはいない。
だが、アインは以前それに似たようなものを見ていた。
シュミットの街に滞在していた頃、アインはエミリアという少女の護衛依頼を受けた。
そして馬車での移動の最中、彼女たちの馬車は盗賊の襲撃に遭った。
彼女の従者である老齢の剣士ウィルハルトが迎え撃っていたが、このままでは埒が明かないと焦れたエミリアが放った魔法。
終焉の落日と呼ばれたソレは、巨大な赤黒い炎の塊だった。
もし赤竜の王のブレスとエミリアの魔法が同質のものだとするならば、赤竜の王は黒鎖魔紋の力に似た何かを持っていることになるだろう。
二つ目は、特に警戒するべき重力魔法だ。
自身の体を軽くしたり、逆に相手に動けなくなるほどの重圧を与えたりと重力を自在に操ることのできる魔法。
人間が扱える魔法は火、水、風、土、雷の五属性のみ。
ごく一部の人間は光や闇といった上位の魔法を扱うことも出来るが、それにしても重力魔法を扱うことは出来ない。
――空を支配せよ、さすれば勝利の栄光は我らの手中に。
建国の祖であるローレンの言葉だが、彼が空を支配できたのは、赤竜の王が扱う重力魔法による影響が大きいだろう。
下から放たれた投擲槍や砲弾の類は重力をかけることで彼の下には届かない。
空という安全な場所から赤竜の王を駆って戦場を蹂躙するのだから、彼が小国群を統一できたのも不思議ではない。
アインは本を閉じると、カタリーナに視線を向ける。
「赤竜の王を、活性化の影響から解放することは出来ないの?」
「さて……そこまでは私にも分からん。だが、もしその手段があるのであれば、民を嘆かせずに済むことだろう」
ドラグニアの国民からすれば、赤竜の王という存在は尊敬と畏怖の対象である。
彼らにとっての神は、軍神とまで称えられる建国の祖ローレンだ。
その輩である赤竜の王もまた、国民にとっては神聖な存在であることに変わりない。
「赤竜の王はそこらの魔物とは格が違う。誇り高き竜なのだ。もしかすれば……戦いの最中に、正気に戻るかもしれない」
あまりにも薄い望みだったが、カタリーナにとっては重要なことだ。
天竜騎士団の団長という肩書だけでなくこの国の司祭でもある彼女としては、赤竜の王には死んでほしくないと思っていた。
ドラグニアの歴史ある竜信仰を揺らがせないためにも、赤竜の王という存在は必要不可欠だ。
もし討伐せずに解決できるのなら。
そんな期待を持ってしまうのも無理はないだろう。
「表にある教皇庁の旗を見ただろう。ドラグニアの竜信仰は今、教皇庁から圧力をかけられている状況だ」
「なぜ教皇庁が?」
「勢力を拡大したいのだろう。もとより、教皇庁は異教徒の扱いが酷い。ドラグニアは軍事力の高さのおかげで潰されずに済んでいるが、周辺各国では既存の国教が塗り替えられたという話はよく耳にする」
教皇庁の目的は大陸全体の信仰を統一することなのだろうか。
あるいは、その先に何か目的とする者があるのだろうか。
特に邪神を崇める邪教徒に対しては苛烈な弾圧を続けているが、宗教的な観点からしても邪教徒に対してのやり方は残酷すぎるように思えた。
「教皇庁の布教活動は強引に過ぎる。今現在も、ドラグニアの建国史を吞み込もうと圧力をかけてきているくらいだ」
「ドラグニアは教皇庁に対して反発しないの?」
「無論、抗議の文章は何度も送っている。だが、同盟関係にある国が次々と教皇庁の影響下に置かれてしまっては、我々も強く打って出ることが出来ないのだ」
大陸で最も発言力のある教皇庁を相手に、ドラグニアに出来ることは少ない。
竜信仰を唯一残す手段は、建国史を教皇庁の逸話群の一部に加えてもらうことだ。
周辺各国の状況を考慮すると、独立した一つの宗教として生き残っていく道は閉ざされているように思えた。
「情けない話だが、我が国の誇る軍事力を以てしても教皇庁の戦力には敵わないのだ。特にあの枢機卿……あの女は、人外染みた力を持っている」
カタリーナでさえ、アイゼルネに恐れを抱いているようだった。
それも仕方のないことだろう。
常人では辿り着けない領域にいるのだから。
枢機卿アイゼルネ・ユングフラウ。
圧倒的な力と残忍な性格の持ち主であり、これまで多くの異教徒を殺めてきた人物。
アインにとっても未だに恐怖を感じるほどの相手だ。
ふと、アインはヴァルターのことを思い出す。
圧倒的な力を誇るアイゼルネに対等に接することの出来る人物。
彼は果たして何者で、何を望んで行動しているのか。
あれだけの力を持ちながら、なぜアイゼルネのように認知されていないのか。
思い返してみれば、彼の存在は不自然な事ばかりだった。
「……ありがとう。良い話を聞けた」
アインは席を立つ。
赤竜の王についてだけでなく、教皇庁についても少し知ることが出来た。
成果としては十分だろう。
それに、これ以上ここに留まっていては、さすがにアインも疲れてしまう。
常に強烈な殺気のような重圧をかけ続けられるこの神殿は、アインが長く滞在するには向かない。
「また何かあれば、いつでも神殿を訪ねるといい」
カタリーナに見送られ、アインは神殿の外に出た。
随分と長く神殿にいたらしく、気づけば日が暮れ始めていた。
アインは宿に戻ると、翌日に備えて休息を取ることにした。




