83話 渦巻くモノ
ドラグニア王国には三つの戦力を有している。
以前アインが遭遇したのは、ガイアス率いる王国軍。
残りの二つは、彼らが崇める竜を軸にした非常に強力な騎士団である。
竜を進行の対象とするに至ったのは、この国の初代王であるローレン・アズルド・ドラグニアの逸話に由来する。
ローレンは建国史に残る英雄であり、赤竜の王と呼ばれる巨竜を駆って小国群を統一した男だ。
彼の同胞たる赤竜の王は今もなお存在し、民衆の信仰の対象となっている。
――空を支配せよ、さすれば勝利の栄光は我らの手中に。
これは建国史に記載されたローレンの言葉である。
彼はこの言葉通り、飛竜に騎乗した部下たちを率いて戦場を支配して見せた。
そして、その圧倒的な力は今もなお受け継がれている。
天竜騎士団、騎士団長カタリーナ・ブリュンヒルデ。
重厚な鎧に身を包み、右手には槍を、左手には身の丈もあろうかという巨大な盾を持っている。
騎士と呼ぶに相応しい鉄壁の守り。
以前ガルディアの壁で出会ったガーランドも『城塞』の二つ名を持っていたが、カタリーナもまた同様の戦い方をするのだろう。
その佇まいには一切の隙も見当たらず、完成された武の形を見て取れた。
町の外れにある訓練所を利用し、二人は朝早くから手合わせを行っていた。
あくまで楽しもうというように笑みを浮かべるカタリーナに対して、アインの表情は険しい。
守りが固すぎるのだ。
少なくとも、アインから攻めていけば確実に手痛いカウンターを貰うことになるだろう。
迂闊に攻め込まず、自らの身軽さを活かした戦い方をしようと考えていた。
警戒するべきは、カタリーナの右手に握られた槍だろう。
アインの槍は細長い柄の先端を鋭く尖らせたものだ。
だが、カタリーナのそれは円錐上の巨大な槍で、どちらかと言えば鈍器に近いような重量感があった。
まともに当たってしまえば、アインの体は容易く弾き飛ばされてしまうだろう。
だが、それを分かっているからこそカタリーナは受けの姿勢を崩さない。
アインが如何にして鉄壁の守りに切り込んでくるのか、それを楽しげな表情で待ち構えていた。
このまま膠着状態が続いても手合わせの意味がない。
アインは仕方なく、カタリーナの守りを崩す方法を考える。
彼女の重装備を見れば、アインの方が速さで勝るのは確かだろう。
あの金属の塊のような槍を素早く振るう姿は想像に難い。
だが、間合いの広さではカタリーナが有利なため、迂闊に飛び込むのは自ら負けに行くようなものだ。
アインはじっとカタリーナを見据える。
戦うことは好きだが、アインは武芸者ではない。
ただ勝利のみを求めて槍を振り回すのだ。
焦れたように槍を構えると、アインは一気に駆けていく。
悠然と佇むカタリーナに向けて、真正面から槍を突き出した。
「――ふんッ!」
想定外だったのは、カタリーナの振るう槍の速さだった。
鈍重そうな外見に反して素早く横薙ぎに振るわれた槍に、アインは咄嗟に身を捻るように跳躍してカタリーナの頭上を飛び越える。
だが――。
「――ッ!?」
横薙ぎに振り抜かれた槍が、まるで何かにぶつかったかのように跳ね上がる。
空中にいるところを狙われてしまっては、アインにも躱す手段はない。
鉄塊のような槍がアインの体を捉えるかと思われた。
だが、次に驚くのはカタリーナの番だった。
今の一撃は、如何なる手段を以てしても躱すことは不可能なはずだった。
彼女自身、アインの体を捉えたと確信さえしていた。
しかし、彼女の視界に映ったのはアインの姿ではない。
紅蓮の炎が渦巻き――爆ぜた。
爆風と共に砂埃が舞い上がり、カタリーナの視界が奪われてしまう。
先ほどの爆発自体は重装備をしている彼女にはあまり意味を成さなかったが、視界が奪われてしまうのは危険だ。
敵を待ち構えるように戦う彼女にとって、敵の姿が見えないというのは最も避けるべき事態だ。
視界を奪われた状況。
だが、カタリーナは冷静に周囲を警戒していた。
目で見えずとも感じ取ればいい。
静かに瞑目して、アインの次の一手を待ち構える。
「――紅閃」
カタリーナの背後からアインが肉迫する。
魔力を込めて突き出された槍は、確実にカタリーナの死角から放たれていた。
これならば、と体重を乗せて重い一撃を放つ。
だが、アインの予想に反して鈍い手応えが伝わってきた。
同時に砂埃が晴れ、視界が鮮明になる。
その時アインの視界に映っていたのは、カタリーナの左手に持っていた巨大な盾だった。
「見事な策だったが、あと一歩というところだな」
カタリーナが笑みを見せる。
その表情を見て、アインの第六感が警笛を鳴らしていた。
槍を突き出した姿勢のアインと、盾で槍を受け止めただけのカタリーナ。
深く考えずとも、この場はカタリーナに有利な状況であることが分かる。
「――鉄姫剛閃」
「魔法障壁ッ!」
カタリーナが鉄塊のような槍を叩きつけるように振り下ろす。
アインは躱すこともままならず、咄嗟に魔法障壁を張ることで僅かな時間を稼ぐ。
それは、あまりにも重い一撃だった。
アインの槍術の比ではない。
扱っている得物の差もあるかもしれないが、それ以上に一撃一撃に重みを持たせる技術がカタリーナにはあった。
圧倒的な破壊力。
魔力を全力で込めても受け止めきれないほどに、その一撃は重い。
魔法障壁に罅が入っていくのを見て、アインは次の一手を急いで考える。
黒鎖魔紋を解放できれば、と一瞬だけ考えてしまった。
確かにカタリーナに勝てるかもしれないが、それでは手合わせの意味がない。
それに彼女自身も本来は飛竜に騎乗して戦うため、制限された状況下で戦っているのはアインだけではない。
アインは危険を顧みず、迎え撃つ様に魔槍『狼角』を構える。
求めるのは、カタリーナに匹敵する重い一撃。
これまでアインが扱ってきた槍術には無い、重く鈍い一撃だ。
圧倒的な破壊力を求め、魔力を練り上げていく。
その刹那――ドクリとアインの心臓が脈動する。
体の奥底から湧き上がってくる魔力に、何か異質な力を感じた。
まるで自分のものではない何かが、アインの内側で渦巻いているようだった。
その力は、きっと触れてはならないものなのだろう。
漠然とそんな考えが浮かんできていた。
それを知ってしまえば、自分はより深くまで堕ちてしまうような、そんな感覚。
だが、それに手を伸ばさぬほどアインは純粋ではない。
その力に触れてみて気付く。
これは、今までアインが奪ってきた魂の集合体なのだと。
冒険者として数多の魔物を討伐し、戦場では数多の兵士の命を奪った。
それらの魂の全てが、アインに喰らわれたように体の奥底に溜まっているのだ。
常人であれば、その悍ましい感覚に耐えられないだろう。
だが、アインはその力にむしろ歓喜していた。
体の中に渦巻く怨嗟の声が、心地よいとさえ感じられた。
――これでまた、命を奪う理由が増えた。
命を奪えば奪うほどアイン自身の力が高まるのだ。
きっと今のアインは、これまで見せたことないほど狂気的な笑みを浮かべていたことだろう。
体内に渦巻く悍ましい力に気付いたアインは、それを練り上げて一つの技へと昇華させる。
「――黒牙閃」
互いの槍がぶつかり合い、鈍い音が響く。
そのまましばらく見つめ合っていたが、カタリーナが槍を地面に落とした。
「……見事な一撃だ。質量の差をものともせずに迎え撃ってくるとは、想定外だったよ」
カタリーナは自分の右手を見つめる。
先ほどの衝撃でビリビリと痺れを感じていた。
対するアインは槍を握る手にも力が籠っており、どちらが勝ったかは考えるまでもなかった。
「私の負けだ、アイン殿。見事な腕前だった。これだけ強ければ、もしかすれば赤竜の王を相手にいい勝負が出来るかもしれないな」
カタリーナはゆっくりと息を吐き出す。
彼女にとっても良い経験になったらしく、火照った頬を手で仰ぎながら余韻に浸る。
「そうだ、アイン殿。もし良ければ、このあと神殿に来ないか? 昨晩の内に、幾つか赤竜の王について参考になりそうな文献を探させておいた」
「文献……」
赤竜の王について、より深く知ることが出来れば勝利に近付くことだろう。
神殿に立ち入ることはあまり好ましくはなかったが、教皇庁の教会と違ってドラグニアの神殿は黒鎖魔紋を持っていても死ぬことはない。
アインは頷くと、カタリーナと共に神殿の方へ向かう。




