79話 邂逅
日中は赤竜の渓谷へ向かい竜を狩り、日没後は酒場で酒を飲む生活が続いていた。
これまでの旅では心労の溜まるような出来事が多かったためか、鬱憤を晴らすかのようにアインは狩りを続けていた。
ベルディンの街は決して栄えているわけではないが、腕に自信のある冒険者にとっては良い稼ぎ場所だ。
赤竜の渓谷へ向かえば、他の場所とは比べ物にならないほどの報酬が得られる。
毎晩のように酒場で豪遊したとしてもなお、余りある金額を稼げるのだ。
その中でも、赤竜の渓谷の奥地に進める者は少数だ。
大半が麓付近に出てきたはぐれ竜を狩る程度で、竜の住処となっている奥地に足を踏み入れる者は少ない。
奥地に住まう巨竜を狩ることが出来れば大金を手に入れることが出来るだろうが、この地に集う冒険者たちでもそれを狙うものはほとんどいなかった。
竜とは個にして最強とされる魔物である。
その強靭な肉体は屈強な戦士を容易く弾き飛ばすほどで、駆ける速さも尋常ではない。
また、頑丈な鱗に身を包んでいるために、生半可な攻撃ではかすり傷さえ付けることは難しいくらいだ。
それが竜という存在である。
腕の立つ冒険者が徒党を組んで取り囲んでようやく討伐できる相手。
それが群れを成している奥地に向かうには、相応の実力が必要だろう。
今日のアインは麓ではなく奥へと進もうと考えていた。
いずれ赤竜の王を討伐するために進むのであれば、下見がてら見に行くことも悪くはない。
いざという時には黒鎖魔紋もあるのだから、万が一ということはないだろう。
赤竜の渓谷は山を登り始めると途端に自然が無くなり、荒れ果てた岩山が視界に広がっていた。
至る所に竜のものと思われる骨が散乱しており、この地の縄張り争いの苛烈さを思い知る。
麓付近は比較的小さめの竜が多かったが、山を登るにつれて体躯の大きい竜が増えてきていた。
その数も多く、確かに並の冒険者であれば奥に進むことを躊躇ってしまうことも頷けた。
だが、今のアインにとってはその全てが獲物でしかない。
彼らの素材は高値で売れるため、その夜の酒代になるのだ。
よほどアインが満足できるような強さの竜がいれば別なのだが、どうにも周辺の竜では期待していたほどの強さを味わえなかった。
岩山の開けた場所に到着する。
道中で何体もの竜を倒してきたが、まだ戦い足りていなかった。
ここらで巨竜と遭遇できればと辺りを見回していると、背後から凶悪な気配を感じた。
「――ッ!」
振り向くと、そこには漆黒の竜がいた。
黒竜ラージェと同種の竜だろうか。
光沢のある鱗が日の光を受けて輝いていた。
黒竜ラージェと比べると、目の前にいる漆黒の竜は一回りほど小さく見えた。
だが、代わりに膨大な魔力を放出しており、竜としての格はこちらの方が上だろうと思えた。
黒竜ラージェの時と同様、真正面から迎え撃とうと槍を前に突き出す。
漆黒の竜がブレスを吐き出すのに合わせ、アインは詠唱する。
「我が名の下に命ずる。煉獄よ、ここに顕現せよ――そして全て灰塵と化せ」
あえて魔法で迎え撃つのは、アインの意地のようなものでもあった。
こうして強大な敵を前にして、同じ舞台で戦って打ち勝つ。
そうすることによって、自分がまた一つ成長したように思えるからだ。
だが、漆黒の竜はアインの想像よりも遥かに膨大な魔力を内に秘めていた。
高温のブレスの勢いは留まるところを知らず、徐々にアインの魔法が押されていく。
アインはより多くの魔力を込めて押し返そうとするが、炎においては漆黒の竜の方が上手のようだった。
アインは仕方なく魔法を解除すると、横に飛んでブレスを回避する。
少し前までアインが立っていた場所はブレスによって焼き尽くされ、マグマ状に赤く溶けてきていた。
やはり竜という存在は強大だ。
それ故に滾るのだと、アインは槍を構えて嗤う。
これを打ち倒してこそ、己はさらなる高みに行けるのだ。
アインは槍を構えて一気に駆けだす。
狙うは漆黒の竜の胸部。
心臓を一突きで穿って、確実に仕留めようと考えていた。
「――紅閃」
突き出された一撃は、漆黒の竜の胸部を確実に捉えていた。
しかし、その手応えは薄い。
「浅いッ!?」
慌てて後ろに飛び退くと、先ほどまでアインが立っていた場所に漆黒の竜の腕が振り下ろされた。
頑丈な岩山を容易く粉砕し、破片がカラカラと飛び散っていく。
これを喰らってしまえば無事では済まないだろう。
黒竜ラージェと比べ、目の前にいる漆黒の竜は頑丈な肉体を持っているようだった。
ただ槍で突くだけでは浅い傷しか付けられない。
だが、魔法を撃ち合おうにも相手の方が上手である。
であれば、如何にして倒すべきか。
アインは漆黒の巨竜をじっと観察する。
得物が大剣や戦斧であったならば、ここまで苦戦することはなかっただろう。
だが、竜を相手にするには、槍という武器は明らかに向いていなかった。
相応の技量をもってすれば鱗の合間を貫くようなことも出来るかもしれないが、アインの槍術は達人の域には達していない。
純粋に、真正面から打倒する。
それが今のアインに出来る最適解だろう。
再び槍を構えた時――空から巨大な咆哮が聞こえてきた。
地面に大きな影が落ちる。
まるで太陽に雲がかかったかのように。
空を見上げれば、途方もないほどの大きさの竜の姿が見えた。
その竜を見て、漆黒の竜が怯えていた。
先ほどまで圧倒的な力を誇っていた竜が、身を縮こまらせて震えているのだ。
それほどの竜が、徐々にアイン達の方に向かってきていた。
その体躯は、まるで巨大な城が目の前に現れたかと錯覚するほどに大きかった。
鮮やかな鮮血のような鱗に身を包み、悠然と翼を羽ばたかせて空を我が物とする存在。
一目見て、その正体が何者であるかを理解できた。
――赤竜の王、ロート・ベルディヌ。
王としての風格を備えた巨大な竜。
目の前にいる漆黒の竜がちっぽけに見えてしまうほどに、その体躯は大きい。
赤竜の王は漆黒の竜を目掛けて飛んでいくと、その巨大な腕で掴みかかる。
漆黒の竜が抵抗しようにも、力の差がありすぎて碌な抵抗も出来ていなかった。
その首筋に赤竜の王が喰らい付くと、強引にその首を喰い千切った。
漆黒の巨竜が力無く地に倒れ伏す。
赤竜の王はそれを貪りつつ、アインに視線を向けた。
強烈な殺気を感じた。
まるで知性のかけらも感じさせない瞳。
話に聞いていた赤竜の王は人語を介すると言うが、目の前にいる竜は明らかに害竜だ。
とてもではないが、会話が通じるような相手ではなかった。
黒鎖魔紋を解放するべきか。
アインは逡巡するも、これほどの魔物を前にして躊躇はしていられないと皮手袋を外す。
だが、それを見た途端、赤竜の王から発せられる殺気が消え去った。
赤竜の王は大きく翼を広げると、漆黒の竜の亡骸を抱えてその場から飛び立つ。
アインは後を追うべきか考えたが、深追いするのは危険だろうと判断してベルディンの街に帰ることにした。
赤竜の王との邂逅。
それはアインに大きな衝撃を与えていた。
あれほどの化け物が相手であれば、確かに大勢の冒険者が集う必要があるだろう。
場合によっては、今集まっている人数では不足しているかもしれない。
そんな不安が浮かぶほど、赤竜の王は異様な気配を放っていた。




