75話 竜という存在
王国軍団長ガイアス・フォン・ランドリーズ。
彼は魔物による災害を受け、その対応の任に当たっていた。
災害は王国軍の派遣によって収束を迎え、ちょうど王都へ帰還する最中だった。
「全く、運の悪い……」
大地を踏み鳴らす荒々しい足音を逸早く察知して、ガイアスはため息を吐く。
ただでさえ近頃は魔物の活性化が酷く、その対応の任務で王国各地へ飛ばされている身だった。
ようやく一通りを解決させて王都に帰れるかと思えば、運悪くはぐれ竜と遭遇してしまった。
彼は手慣れた様子で兵たちに指示を出すと、はぐれ竜を迎え撃つ準備をする。
彼自身も剣を抜刀すると、足音が聞こえてきた方向へ視線を向けた。
基本的に知性が低く人語を理解できない竜は害竜とされ、討伐対象とされている。
その多くは成体まで育っていない未成熟な竜であり、魔物としては中程度の危険しかない。
統率の取れた兵を率いていれば難無く対処することが出来るだろう。
だが、今回ばかりは少し事情が違った。
徐々に姿が大きくなっていく敵の影を見て、ガイアスは目を見開く。
「なんだ、あの大きさは……ッ!?」
彼が想定していたよりも遥かに大きな体躯をした竜が迫っていた。
竜の強さは基本的に体の大きさに比例すると言われている。
体が大きければそれだけ強靭な肉体と頑丈な鱗を持っており、また体内に膨大な魔力を秘めているからだ。
であれば、彼方より迫り来る巨竜はどれほどの力を持っているのだろうか。
彼が知っている限り、その竜は天竜騎士団の騎士団長が騎乗する賢竜エルブレアに匹敵する大きさだ。
とてもじゃないが、今この場にある戦力だけで対応できるような相手ではなかった。
「馬鹿げている。だが、アレを放っておくわけにはいかぬか……」
ここが己の死に場所だろうか。
国に忠義を捧げる王国軍の団長として、彼は自らの身を差し出してでも目の前の害竜を討伐しようと考えていた。
もし自分が討ち損なって命を落としたとしても、時間を稼げればそれでいい。
伝令を出せば、王都に滞在する騎士団が総力を挙げて害竜討伐をしてくれることだろう。
ドラグニア王国には二つの騎士団が存在している。
一つ目は、天竜騎士団と呼ばれるドラグニア最大の戦力である。
飛竜に跨った竜騎士たちが、空から高温のブレスと槍による連携で攻めるのだ。
二つ目が、地竜騎士団と呼ばれる騎兵部隊である。
強靭な肉体を持つ地竜に騎乗した竜騎士たちが、大地を駆け抜けて敵を蹴散らす。
天竜騎士団と連携することによって、空も大地もドラグニアの独壇場となるのだ。
現状の戦力では、彼らが駆け付けるまでの時間を稼げれば十分だろう。
命を賭してでも害竜の討伐にあたる。
ガイアスは決死の覚悟で部下たちに指示を出す。
「すまぬが、皆の命を預けてもらうぞ! 全軍、対竜陣形を取れッ!」
竜が多く生息するドラグニアだからこそ、竜と相対するための知恵は充実している。
如何にして強靭な肉体から繰り出される一撃を凌げばいいのか。
そして、放たれる高温のブレスを防げばいいのか。
先人の知恵を頼りに、ガイアスは害竜を迎え撃つ。
幸いというべきか、害竜と遭遇した場所は王都まで往復でも一日もかからない距離だった。
伝令の兵士に書簡を持たせると、この場において最も速い竜車に乗せて走らせた。
後は援軍が駆け付けるまで持ち堪えるだけだ。
そして――爆ぜるような咆哮が響き渡った。
狂ったような瞳で殺気をギラギラと滾らせて、巨大な竜が姿を現す。
それを見て、ガイアスは驚いたように目を見開く。
「この竜は確か……この近辺の竜を束ねていた黒竜ラージェではないかッ!?」
黒竜ラージェ。
この近辺に住む者ならば、その名を知らぬ者はいないだろう。
偉大なる名であり、畏怖される名である。
周辺の竜を統率し、従えるだけの知性を持つ竜。
人語を介することは出来ないが、意思の疎通を図ることは出来る。
基本的に人を襲うようなことはなく、害竜やその他の魔物を喰らうことで生きている存在だ。
それほどの竜がなぜ、怒り狂ったように暴れているのか。
事情は分からなかったが、ガイアスは一先ずは攻撃するべきだろうと考えて指示を出す。
「魔術兵、攻撃用意――」
五十を超える魔導士たちが一斉に魔力を練り上げていく。
無数の魔方陣が虚空に浮かび上がり、光を放ち始めた。
ガイアスは黒竜ラージェの姿を見据える。
矮小な人間では、その身にどのような事情があったのかを量ることは出来ない。
だが、今この場において害竜として存在している以上、討伐対象として死力を尽くすほかにない。
眼前にまで迫った黒竜ラージェの姿は、歴戦の兵であるガイアスでさえ恐怖を感じるほどに威圧感があった。
きっと眼下で武器を構える兵士たちは彼以上に恐怖を感じていることだろう。
だが、国を守る王国軍として、退くことは許されない。
「――放てぇッ!」
彼の声と同時に無数の炎が放たれる。
黒竜ラージェの身に当たると、大きな音と共に爆ぜた。
だが、無傷。
まるで応えないと言った様子で、黒竜ラージェは眼下に広がる兵たちを見つめる。
彼からすれば、人間の兵士などは脅威足りえないのだ。
竜という存在は強靭で、長命で、そして非常に賢い生き物だ。
長い時を生きた竜は人間よりも優れた知能を持つとさえ言われている。
その代表格ともされる黒竜ラージェは、ただの人間で手に負えるような相手ではないのだ。
だが、王国軍の団長としてガイアスは戦うという選択肢しか選べない。
彼自身も魔力を練り上げると、剣を構えて声を荒げる。
「喰らえッ――鏡銀閃」
彼の持ち得る最大の一撃。
力を込めて振り下ろされた剣は、僅かに鱗に傷を付けるだけに留まっていた。
「馬鹿な……有り得ん……」
これほどまでに、竜という存在は遠いものなのか。
目の前に平然と佇む巨竜は、彼が今まで対峙してきた害竜とは比べ物にならないほどに強靭な肉体を持っていた。
黒竜ラージェが頭部を大きく持ち上げ、咆哮する。
そして、今度はこちらの番だと言わんばかりに突進してきた。
「チィッ――全軍、魔法障壁を展開せよッ!」
総力を挙げて魔法障壁を展開する。
だが、それさえも容易く打ち砕き、黒竜ラージェが兵たちに突っ込んでいった。
その先で無数の断末魔が上がり、鮮血が飛び散る。
もはや戦場は恐慌状態となっていた。
ただ恐怖のみが兵たちを支配していて、しかし逃げ出すことは出来ない状況。
狂ったように剣を構えて突撃するが、それは巨竜を相手に全く意味を成さない。
ガイアスは焦っていた。
ただの害竜であれば、ここまで手こずることはなかっただろう。
場合によっては援軍を待つまでもなく事態を収束できたかもしれない。
だが、今回ばかりは相手が悪すぎた。
この近辺を統べる黒竜ラージェが我を忘れて暴れるなど、誰も考え付かなかっただろう。
このままでは援軍が到着するまで持ち堪えられそうになかった。
黒竜ラージェが口を大きく開き、息を吸い込み始める。
その動作から、次に来るであろう動作は容易に予測できた。
「吐くのか……ブレスを……ッ!」
半数ほどが命を落とし、兵たちも恐慌状態に陥っている。
これでは魔法障壁を展開したとしても容易く突き抜けてくることだろう。
残存戦力では防ぎきることは叶わない。
「くっ、ここまでか……」
膨大な魔力が黒竜ラージェの口元の収束していく。
ガイアスはただそれを眺めることしかできない。
もはや、これ以上の抵抗は無意味だった。
諦めかけた彼の視界に、一人の少女の姿が見えた。
漆黒の槍を突き出すように構え、悠然と竜と対峙していた。
「冒険者か!? だが……」
黒竜ラージェの高温のブレスを防ぐには、冒険者が一人増えただけでは不可能だ。
そう思っていたガイアスだったが、ちらりと見えた少女の横顔を見て戦慄する。
嗤っていたのだ。
あれほど巨大な竜を前にして、まるで臆した様子も見せずに。
少女――アインは詠う。
「我が名の下に命ずる。煉獄よ、ここに顕現せよ――そして全て灰塵と化せ」
炎を以て、炎を制する。
吐き出された黒竜ラージェのブレスを、アインは自らの魔法によって迎え撃つ。
竜を相手に、あまりにも無謀な挑戦。
本来であれば勢いに飲まれて焼き尽くされていたことだろう。
だが、アインの放った魔法は黒竜ラージェのブレスと拮抗していた。
「馬鹿な……黒竜ラージェのブレスを受け止めるだとッ!?」
その場に居合わせた皆が驚愕していた。
たった一人の少女が、巨竜の放ったブレスを受け止めているのだ。
それだけでも衝撃だったが、アインの力はそれだけではなかった。
ブレスを凌ぎきると、アインは槍を構えて大きく跳躍する。
狙いは黒竜ラージェの頭部。
長引かせるつもりもないため、一撃で仕留めようと考えていた。
持ち得る魔力の全てを穂先に収束させ、全力の一撃を叩き込む。
「――紅閃」
アインの放った一撃は、黒竜ラージェの強靭な肉体を突き抜けて脳天を貫いた。
爆ぜるような咆哮が響き渡り、やがて巨竜は絶命して地に伏した。
アインは大きく息を吐き出す。
竜を相手にしたのは初めてだったが、この程度の相手であれば災禍の日には遠く及ばない。
少し拍子抜けした様子で、アインは槍を引き抜いた。




