74話 ドラグニア
ブレンタニアを出発したアインは、エストワールを北に抜けてドラグニア王国へと辿り着く。
列強に名を連ねるこの国は、別名『竜の国』と呼ばれていた。
この国では、人と竜が密接な関係にある。
地竜を飼い慣らすことで馬車ならぬ竜車というものがあったり、人々が日常で使う品も竜の素材を加工して作られたものが多い。
騎士団が騎乗する軍用の竜まで存在しており、ドラグニアが強国と言われる所以はここにあった。
これも全て、ドラグニア領内に竜が生息する場所が複数あるからである。
特に東には赤竜の渓谷と呼ばれる過酷な地域があり、国内でも最大の竜の生息地となっている。
この地に生息する竜を束ねる巨大な竜は人語を介すると言われているが、実際に言葉を交わした人間はドラグニアの歴史を遡ってもほとんどいない。
その原因は、やはり竜という存在の圧倒的な強さだろう。
赤竜の渓谷と呼ばれるだけあって、その地域には多くの赤竜が生息している。
赤竜の王と呼ばれる巨大な竜のもとに辿り着くには、襲い来る無数の竜を払い除けるほどの実力が必要だろう。
それ故に、赤竜の王と言葉を交わした人間は少ないのだ。
それまで馬車で移動していたアインだったが、今は竜車に揺られていた。
地竜に引かれているだけあって馬車よりも速く、そして長時間の移動が可能だ。
揺れの強さは馬車の比ではないが、この国に住む人たちは慣れているらしく気にしていない様子だった。
驚くべきは、気性の荒い竜を手懐ける技術が存在していることだろう。
魔物の中では知性も凶暴性も高く、人間に従うということはほとんど無いとされている存在だ。
過去に竜を従えた英雄などの話は幾つもあったが、国単位で竜を従えているというのは、知らない者からすれば荒唐無稽な話だろう。
だが、実際にドラグニアは地竜から飛竜まで手懐けている。
この国の暮らしを見れば、至る所で竜の姿を見ることが出来るだろう。
抜け落ちた鱗や牙、爪などは素材としての価値も高く、武具や装飾品としても多く出回っている。
必ずしも恵まれている土地ではなかったが、ドラグニアは竜と上手く付き合うことで強国へと上り詰めたのだった。
行く当てのないアインは、とりあえずは北へ向かって進むことにしていた。
戦乱の夜に現れた幼い少女の足取りも気になっていたが、その手掛かりは一向に掴める気配はない。
ガーランドの言っていたメルディアという地もまだ随分と遠いため、しばらくは適当な依頼をこなしつつ北へ向かう予定だ。
「お嬢さん、もしかして冒険者ですかな?」
向かいに座っていた中年の男がアインに声をかける。
彼は商人らしく、大切な商品が入っている荷袋を大切そうに抱えていた。
特に否定することも無いため、アインは頷く。
「それは心強いですなあ。近辺では魔物の活性化が酷くて……この竜車には護衛が付いていないから、少し心配していたんですよ」
「なんで護衛の付いている竜車に乗らなかったの?」
「実は急ぎの用がありまして、この竜車に乗らざるを得なかったんです。でも、冒険者の方がいるなら安心できます」
彼は本当に安心しているのだろう。
アインの実力を知っているわけではないというのに、胸をほっと撫で下ろしていた。
アインの冒険者カードはローブの内側に隠れていて見えない。
「はぐれ竜が襲ってきたりしたら?」
「それでも安心できますよ。あなたのその槍を見れば、ね」
商人の男はアインの槍を見て実力を測っているようだった。
彼自身には、武の心得があるようには見えない。
「その槍、随分と上等な素材で作られていますね。恐らくはホーンウルフの上位種でしょうが……加工した職人も良い腕を持っていらっしゃる。刻まれた魔紋も、そこらの魔導技師ではそう易々と再現できないでしょうね」
「……分かるの?」
「ええ、もちろん。これでも商人ですから、目利きには自信があるんです」
一目見てこれだけ分かるのであれば、確かに彼の眼は本物だろう。
ラースホーンウルフの角を加工して作られた槍に、エルフであるラドニスが試作段階の複雑な魔紋を刻み込んだのだ。
そこらの武具店では、これほど上等な槍は置いていないだろう。
それからしばらく、商人の男の話を聞きながら竜車に揺られていた。
だが、唐突に竜車が停止した。
「何があったんでしょうねえ……」
商人の男が御者の男に視線を向ける。
彼もよく分からないと言った様子で前方を見ていた。
「見てくれ。少し遠いが、前方に竜車の列が見える。あの数からして王国軍の竜車だろうが……」
アイン達の竜車が停止した位置から離れた場所に竜車の列があった。
いずれもぴたりと停止しており、一向に動き出す気配がない。
「こりゃあ、何かでかいバケモンでも出たのかもしれないな。地竜が怯えて進もうとしない」
アイン達が乗っている竜車を引く地竜が、地に伏せるようにして止まっていた。
基本的に竜種は知性が高く、自らよりも弱い相手には服従しない。
その竜がこれだけ怯えているのであれば、よほど強大な魔物が現れたのかもしれない。
様子を窺っていると、前方から巨大な咆哮が聞こえてきた。
耳を劈く様にビリビリとした振動が伝わってくる。
それだけで、御者の男と商人の男は何が起きたのかを察したようだった。
「これはまた……はぐれ竜が出たようですねえ」
「ただのはぐれ竜じゃないな。今の鳴き声からするに、きっと馬鹿でかい竜が出たんだろう」
であれば、前方では王国軍が巨大な竜と戦っているのだろう。
商人は困った様子でため息を吐く。
「困りましたねえ、これでは約束の時間に間に合いそうにありません」
「仕方ないさ。はぐれ竜が出たんじゃ、さすがにどうにもならない。兵士さん方が倒してくれるのを待とうじゃないか」
地竜が動こうとしないのであれば、この先に進むことは出来ないだろう。
王国軍が巨大な竜を討伐するまでここで待つしかない。
だが、アインは立ち上がると、竜車から降りて王国軍の戦っている方へ歩き出す。
「お、おいあんた! 危ないぞ!」
「大丈夫、慣れてるから」
御者の男が引き留めようとするが、アインは気にせず歩いて行く。
王国軍がどれだけの力を持っているのかは分からないが、彼らが竜を討伐するまで待っているのは退屈だ。
それに、正規兵と言えど個々の実力は格別に高いというわけではない。
竜のような強大な力を持つ魔物を相手にするならば、突出した力を持つ者が必要だろう。
あるいは、アイン自身が興味を抱いていたからかもしれない。
ハインリヒの過去を聞いてから、竜を討伐してみたいという好奇心があった。
せっかくドラグニアに来たのだから、他では戦えないような凶暴な竜と対峙してみたかった。
アインは槍を手に取ると、一気に駆けだした。




