64話 強い意志
目を覚ますと、アインは体を起き上がらせる。
戦場で倒れて意識を失ってしまっていたが、誰かが手当てしてくれたらしく丁寧に包帯が巻いてあった。
砦に用意された自室でしばらく眠っていたらしい。
窓の外を見上げれば、既に日は高く昇っていた。
丁度昼時だろうか。
空腹を感じて腹をさする。
アインは戦いを振り返る。
イザベルは『剣帝』と称されるだけあって技量は本物だった。
辛うじて撃退することには成功したが、次も同じようにいくかは分からない。
己の強みは苛烈な戦い方にあるとアインは考えていた。
痛みに怯む事無く意識を繋ぎ止めて反撃に転じられる者はそういないだろう。
それ故に、イザベルの不意を突いて優勢に持っていくことが出来た。
次戦う時はイザベルも警戒してくるだろう。
二度も同じ手が通用するような相手ではないことは、実際に刃を交えたからこそ理解が出来ていた。
だからといって、今すぐにアインが急激に成長することは難しい。
黒鎖魔紋を解放すれば勝てるかもしれないが、それでは自身の技量を高めることには繋がらない。
いずれにしても、今の傷では鍛錬もまともに行えない。
下手に動けば傷が開いてしまう。
今は回復を待ちつつ、やれる範囲内で対策を考えるしかないだろう。
アインは痛みを堪えつつ立ち上がる。
傷は酷く痛むが、動けないほどではない。
とりあえずは腹を満たすべきだろうと考え、自室から出る。
食堂へ向かう途中、アインはすれ違う傭兵たちから好奇の視線を向けられていることに気付く。
結果的に引き分けたとはいえ、イザベルを相手にあれほどの戦いを見せたのだ。
戦場でアインの戦う姿を見ていた者も多いのだろう。
そのせいか、以前よりも『狂槍』という二つ名が定着しているようだった。
食堂に足を踏み入れると、やはりアインに視線が集まった。
それまで騒がしく会話をしていた者たちも、静かに声を潜めるようになっていた。
向けられるのは好奇の視線ばかりだったが、その中に怯えのようなものも含まれているような気がした。
しかし、同じブレンタニア側に付いている味方であるためか、どちらかといえば畏怖という言葉の方が近いかもしれない。
エストワールの最高戦力である『剣帝』と引き分けるほどの腕前だ。
であれば、こういった反応も仕方がないのかもしれない。
アインは昼食を受け取ると、適当に空いている席に着いた。
献立はパンと野菜のスープ。
だが、アインはメルフォード伯爵との契約もあるため、そこに香辛料の効いた香ばしい肉と酒も用意されていた。
「昼間から酒か?」
パンを頬張っているアインにガーランドが声をかける。
彼は対面に座ると、昼食を取り始める。
「その方が体の調子が良いから」
「そうか」
一言だけ返すと、ガーランドは黙々と食事を口に運んでいく。
元々あまり話す方ではないのだろう。
寡黙で不愛想だが、戦士としては一流だ。
「傷はまだ痛むか」
「ええ。まだしばらく戦えそうにない」
「なら、これを飲むといい」
そう言って、ガーランドは小瓶をアインに手渡す。
中を見れば、ドロドロとした黒い液体が入っていた。
「これは?」
「薬酒だ。傷の治りが早くなる」
「……ありがとう」
アインは小瓶の中身を一気に飲み干す。
酷く苦みがあったため、すぐにスープを飲んで口直しをした。
それからしばらくガーランドは黙って食事を続けていたが、少しして再び口を開く。
「あの『剣帝』を退けたと聞いた。見事だ」
「……結果的には引き分けたけど、過程だけ見れば負けだった」
「戦いは過程よりも結果が重要だ。あの『剣帝』を相手に引き分けられたならば、それで十分だろう」
イザベルの剣術は達人の域に達している。
そんな彼女を相手に引き分けられたならば、成果としては上々だろう。
しかし、アインは不満げな表情で首を振る。
「あの程度の相手は、もっと簡単に殺せないと。私が目指しているのはこの程度じゃない」
「……殺したい相手がいるのか?」
ガーランドの問いにはっとなる。
殺気が抑えきれずに溢れ出していたのだろう。
食堂で談笑をしていた傭兵たちが怯えたように黙り込んでしまっていた。
魂に刻み付けられた恐怖を乗り越えるには、絶対的な自信が必要だ。
枢機卿アイゼルネ・ユングフラウ。
黒鎖魔紋を二段階まで解放していたアインを生身で圧倒するほどの実力者。
彼女を殺すならば、この程度の相手に躓いてなどいられない。
「殺したい相手じゃない。殺すべき相手がいる」
「何か、事情があるということか」
「ええ」
それ以上は伝えられないだろう。
ガーランドに黒鎖魔紋のことまで打ち明けることは出来ない。
アインはそこまで話すと、それ以上は語らなかった。
「……なぜ俺が、こんな重装備をしているか分かるか?」
唐突な問いに、アインは首を振る。
ガーランドは『城塞』という二つ名の通り、巨大な盾と厚い鎧を身に纏っている。
その理由はアインには分からなかった。
「臆病だからだ。戦場に出ているというのに、俺は傷を受けることを恐れている。ただそれだけの理由で守りを固めていたが、気づけば『城塞』と称されるようになった」
その堅牢な守りを前にした時、生半可な攻撃では傷を与えることすら出来ないだろう。
それこそ鎧や盾を打ち破るほど重い一撃を放つか、あるいは大魔法を行使しなければ彼にまともな傷は与えられない。
そんな彼の根源にあるのは、ただ死ぬことが恐ろしいという極めて単純な理由だった。
「戦場に出る者は、どうしても死を意識してしまう。臆病な者は特にな」
命のやり取りを生業とする者にとって、死とは常に付きまとってくる宿命のようなものだろう。
ガーランドはそれを極端に恐れた。
恐れたが故に、今の戦い方を身に着けたのだ。
「傷を受けてもなお折れぬ強い意志。戦士に最も必要なものを、お前は持っている。殺すべき相手とやらにも、いずれ追いつけることだろう」
そこまで来てようやく、アインは彼が励ましてくれていることに気付く。
不器用な彼なりの言葉だったのだろう。
ガーランドの顔を見つめると、彼は頬を掻いてから立ち上がった。
「……傷が治ったら鍛錬に付き合おう」
そう言って、ガーランドは食堂から去っていった。
アインは昼食を食べ終えると、外の景色を眺めに砦の屋上に上がる。




