60話 早朝鍛錬
目を覚ますと、アインは窓の外の様子を窺う。
まだ日が昇り始めたばかりで、起きている者は少ない。
ガルディアの壁から見える景色は平和そのもので、戦いの気配は感じられなかった。
昨日あれほどの戦いがあったばかりだ。
エストワール軍に大きな被害が出たのだから、ブレンタニア側の状況を把握せずに無謀に攻め込んでくるようなことはないだろう。
今日は何事も無いかもしれない。
アインは自室を出ると、砦の訓練場へ向かう。
エストワール側の動きがないにしても、目覚まし程度に体を動かしておいた方が良いだろう。
そう思っていたが、訓練場には既に先客がいた。
男も気付いたらしく、静かにアインの方に視線を向ける。
ブレンタニア側で最も屈強な肉体を持つであろう男、『城塞』のガーランド。
まだ日が昇り始めた時間帯だというのに、彼は既に過酷な鍛錬を始めているようだった。
互いに言葉を交わすことはなかった。
アインも彼に興味がないわけではなかったが、鍛錬の邪魔をするわけにもいかないだろう。
訓練場の少し離れた位置で、アインは魔槍『狼角』を構えて槍術の型を倣っていく。
基礎から順に、しっかりと確認するように。
姿勢は整っているか、呼吸のズレはないか。
一つずつ、入念に確認を行っていく。
そして、徐々に激しい動きへと移行していく。
しばらく体を動かしていると、ふと視線を感じた。
「……なにか?」
ガーランドに視線を向ける。
彼はアインの動きをじっと観察していた。
鍛錬をしているところを眺められても集中を欠いてしまうだけだ。
「……すまない。興味があった」
「そう」
アインは視線を外すと、再び鍛錬に戻る。
ガーランドはその様子をじっくりと観察して、何やら独りでに頷いていた。
しばらくすると、今度はガーランドがアインに声をかける。
「一つ、いいか」
「なに?」
「槍術の型についてだ」
アインの槍術について気になった部分があるのだろう。
ガーランドは少し考えてから、思ったことを口にする。
「槍術の型は見事だ。だが、お前に合っていないように思える」
「どういうこと?」
「今の槍術は守りに徹しているが、先日の戦いを見た限りでは、もっと攻撃的な槍術の方が合うはずだと感じた」
言われてみれば、アインの槍術は間合いの取り方や受け流しなど、守りに重きを置いた槍術だった。
故郷で身を守るために教わっていたのだから当然だろう。
しかし、今のアインには身を守るのではなく、もっと積極的に攻めていくような攻撃的な槍術が合うかもしれない。
「具体的に、攻撃的な槍術って?」
「俺は槍術に詳しいわけではない。だが、そうだな……重心を前にするといい」
重心を前にする。
それだけでどう変わるのだろうか。
アインは疑問を抱きつつ、槍術の型を試してみる。
ガーランドの言葉通り、重心を前に置くように意識して槍を突き出す。
すると、普段よりも重く鋭い一撃を放つことが出来た。
アインは驚いたようにガーランドに視線を向ける。
「先ほどの鍛錬を見た限り、お前は重心を後ろに置いていた。間合いを取ったり守りを考えるのであれば、その方が相手との距離を取りやすいだろう。だが、重心を前に置くことでより重い一撃を放てる。きっとその方が性に合っているはずだ」
それが、攻撃的な槍術ということだろう。
アインは黒鎖魔紋を得てから、苛烈で勇猛な戦い方をしてきた。
自身が傷つくことも恐れず、ただ相手を殺すことだけを考えていた。
であれば、今までのような守りの構えを続ける必要はない。
より攻撃的で、敵を仕留めることに特化した槍術。
獣のように喰らい付いて離さない。
そんな槍術が今のアインが覚えるべきものだった。
「……ありがとう」
「礼はいらない。ただ、気になっただけだ」
そう言うと、ガーランドは自身の鍛錬に戻っていった。
不愛想な顔をしていたが、意外とこういったやり取りは好きなのかもしれない。
アインは彼から教わったことを意識しつつ、改めて槍術の型を倣い始めた。
そうしてしばらく鍛錬していると、訓練場に人が増えてきた。
他の傭兵たちも戦争に備えて常に鍛錬をしているらしく、徐々に手狭に感じるようになった。
もう少し体を動かしたかったが仕方がないと、アインは訓練場を後にする。
食堂で食事をとっていると、丁度起きてきたらしいハインリヒがやってきた。
「やあ、アイン。随分早いね」
「訓練場で体を動かしてた」
「なるほどね」
ハインリヒは自然にアインの対面に座ると、自身も朝食を食べ始めた。
アインも拒む理由は無いため、特に気にせず食事を続ける。
「昨日あれだけ被害が出て、エストワールも慎重になっているらしい。今日の所は戦争もなく平和に過ごせそうだよ」
「そう」
「けれど、近辺で魔物の被害が多いみたいでさ。もしかすれば、僕らみたいな傭兵が駆り出されるかもしれないね」
魔物の被害が多い。
それは果たして、ここ最近の生態系の異常と関係しているのだろうか。
ヘスリッヒ村のような事件は、もしかすれば他の場所でも起きているのかもしれない。
「この近辺で魔物の被害はどれくらい出てるの?」
「そうだな……僕が以前住んでいた街の方では、結構な規模の魔物による災害が何度もあった。この砦でも月に一度は大量の魔物の発生が近くで確認されているね」
大量の魔物の発生。
災禍の日と比べれば生易しいものかもしれないが、自衛できるほどの戦力のない小さな村ではどうしようもないだろう。
アインの故郷がオークの襲撃を受けた時も、黒鎖魔紋に目覚めなければ村は全滅していたことだろう。
冒険者として旅をしている最中に、魔物の活性化について何の噂を度も聞く機会があった。
曰く、魔物の大量発生は何か不吉なことの前触れであると。
曰く、どこかの国による実験の弊害であると。
様々な憶測が飛び交っていたが、どれも眉唾物で信頼に足る情報は得られていない。
だが、魔物の活性化は確実に起きている。
そして、その頻度は徐々に増してきている。
放っておけるような事態でないことは確かだった。
「魔物の活性化は警戒すべき事態だ。僕も、それで家族を失うことになってしまったからね。君も気を付けるんだよ」
「……」
アインは返答することなく、パンを大きく頬張って咀嚼する。
ミルクで流し込むと、大きく息を吐いた。
ハインリヒは善人だ。
それも、見知らぬ他人にまで心配することが出来るほどに。
そんな彼に、妻が辺境の村で虐げられながら病死したことと、息子が憎しみのあまり殺戮者となってしまった事を伝えるのは残酷だろうか。
彼には真実を知る権利がある。
だが、知るべきでないことも存在するのだ。
もし彼がそれを知ってしまったらどれだけ悲しむか想像に難くない。
食事を終えて立ち上がろうとした時、食堂に慌ただしく兵士が入って来た。
「伝令! アイン殿とハインリヒ殿は、至急メルフォード伯爵の元に来て頂きたい!」
何やら面倒ごとの予感があり、アインは大きくため息を吐いた。




