56話 戦いを求めて
ブレンタニア公国メルフォード伯爵領。
隣国との国境近くにあるこの地方にはガルディアという名の街があった。
ガルディアの街は酷く荒廃していた。
建物は罅だらけで今にも崩れそうなものが多く、さながらスラム街のような様相だ。
常に強い日差しに曝されて大地も乾ききってしまい、風が吹けば砂埃が舞うほどに砂漠化が進んできていた。
住人も荒くれた者が多く、女子供がまともに出歩けるような場所ではない。
長らく続く隣国エストワール皇国との競り合いによって物資も枯渇してしまい、今は後方から送られてくる食糧を頼りに生きるだけの日々だ。
戦争の始まりはいつだったか、この地を管理する役人たちでさえ忘れ去ってしまうほど昔のことだ。
当然、この街に住まう者たちが知る由もない。
分かるのは、この戦争が終わるまで平穏は訪れないということだ。
金を求めてやってくる傭兵と無法者の街。
それがガルディアであり、それは何十年も前から変わらない。
そんな荒れ果てた街の酒場に一人の少女が訪れた。
砂埃除けのフードを外すと、中から綺麗に整った顔が現れる。
彼女に気付いた酒場の客たちが舐め回すように下品な視線を浴びせるが、そんなものは気にも留めていなかった。
酒場のカウンターに腰掛けると、少女――アインは店主に注文する。
「良い肉と火竜の酒をお願い」
「肉はともかくとして、火竜の酒……ですか?」
店主は戸惑った様子で聞き返す。
火竜の酒は女子供が飲めばすぐに酔いが回って倒れてしまうような強い酒だ。
目の前に座る少女がそれを飲めるようには到底思えなかった。
しかし、アインは無言で金貨を一枚取り出すと、それを店主に投げ渡す。
黙って酒を出せと言わんばかりの表情だった。
店主も十分すぎる額を出されて、まんざらでもない様子で火竜の酒を一瓶丸ごとカウンターに置いた。
綺麗に磨かれたグラスを横に並べると、さっそく肉の調理に取り掛かる始める。
アインは火竜の酒をグラスに注ぐと、それを一気に飲み干す。
喉が焼けるような強烈な刺激があったが、それさえも心地よいと思えた。
芳醇な香りが広がって、アインは満足げに頷く。
次第に厨房の方から香ばしい肉の匂いが漂ってきた。
香辛料の効いた良い香りだ。
アインが出した額に見合うかは分からないが、それでも今この酒場で用意できる中で最上級の肉を用意していた。
「お待たせいたしました」
出されたのは上等な肉のステーキだった。
物資の不足しているこの街では、希少な香辛料を存分に使った料理はそれだけで御馳走である。
アインはナイフで切り分けると一切れを口に運ぶ。
噛み締める度に溢れ出す肉汁。
口の中に広がる香辛料のスパイシーな香り。
それを火竜の酒の供にすれば、これほど充実した夜はないだろう。
火竜の酒を呷り、肉を喰らい、夕食を愉しむアインだったが、そこに何人かの無法者たちがやってきた。
「よお、お嬢ちゃん。一人で飲み食いするなんて寂しいことしねえで、俺たちと遊ばねえか?」
薄汚れた身なりの男が四人。
この街に住まう無法者だろう。
アインは彼らを無視して食事を続ける。
「おい、聞いてんのか? この俺が声をかけてやってんだ、股濡らして喜ぶのが女の務めってもんだろうが!」
尚もしつこく声をかけてくる男たちに嫌気が差し、アインは男たちに視線を向ける。
体格は良いものの、おそらく部の心得はない手合いだろう。
「私は機嫌が悪いの。死にたくないなら立ち去って」
「はあ? お嬢ちゃんがどうやって俺たちを殺すってんだよ」
その刹那、一番先頭に立っていた男が急に転倒する。
彼が体を起き上がらせようとすると、喉元に漆黒の槍が突き付けられていた。
目で追うには、あまりに素早い動きだった。
男たちは何が起きたのかも理解できず、ただ目を丸くして呆然とするのみ。
一つ分かるのは、一人の男が殺されかけているということだ。
「このまま突き立てても、私は構わないけれど?」
「ひいぃッ!?」
男は涙目になりながらガクガクと震えていた。
アインが興味を失ったように槍を退けると、仲間たちが腰の抜けた彼に肩を貸して逃げて行った。
「はあ……」
つまらない相手に絡まれてしまった。
アインは食事に戻ろうとするが、先ほどのいざこざに巻き込まれて火竜の酒の瓶が倒れてしまっていた。
瓶に残った僅かな酒を飲み干すと、苛立った様子でアインも外へ出た。
この近辺は戦争の影響か貧しい街が多い。
特にこの街のすぐ近くには大きな砦があり、物資の大部分がそちらに流れてしまっている。
アインの目的とする場所もその砦で、そこに行けば傭兵として戦争に参加できることだろう。
ローブの内に隠れていたが、今のアインはゴールドの冒険者カードを持っていた。
ヘスリッヒ村での功績が認められての昇格だ。
強い者の跋扈する戦場であろうと、黒鎖魔紋を使わずに戦い抜けるだけの実力はあるだろう。
今回は報酬目当てではない。
好きなだけ憂さ晴らしをして、満足できるほど存分に暴れられたら去ればいい。
他者の命など、最早どうでもいい。
どうせ、助けようとしたところで死んでしまうのだ。
ヘスリッヒ村の人々のように。
であれば、他人のことを気に掛けるなど馬鹿馬鹿しい。
自分のことだけを考えて生きていけばいいのだ。
この街の少し先には巨大な砦が存在する。
そこがアインの目的地であり、幾度となく戦いが繰り返されている場所である。
ガルディアの街を守るように国境に沿って作られていることから、ガルディアの壁とも呼ばれていた。
そこに向かえば、誰であろうと傭兵として戦争に参加できる。
長い戦争で疲弊した両国は兵を消耗するよりも傭兵を雇った方がいいと考えているようだった。
もはや傭兵同士で行われる代替戦争のようなものだが、それ故に実力のある者が多く集まってくる。
強者と相対する機会は中々ない。
戦うことで自身の技量も高められることだろう。
それに、相応の実力を持つ相手であれば、自身の残虐な本性も少しは満たされるかもしれない。
名のある戦士と殺し合い、そして命を奪った時。
きっとそれは、格別な勝利を味わえることだろう。
アインは戦いの時が楽しみで仕方がなかった。
きっと砦での生活は不便が多いことだろう。
この街の物資の枯渇状況を考えれば、砦の方でも贅沢は出来ないだろう。
しかし、酒と肉と、そして戦いがあればアインには十分だった。
適当な安宿に泊まり、夜明けを待つ。
これから始まるであろう闘いの日々に心が高鳴っていた。




