47話 仮説
流行り病の症状は謎が多い。
そもそもなぜ、喉元が黒ずんでいくのか。
特に重篤な場合には全身に黒ずみが広がっていくが、最初は必ず喉元から始まっている。
ヘスリッヒ村は自然に囲まれているにもかかわらず空気が淀んでいる。
アインの故郷の村と比べれば酷い違いだった。
初めは病気によって雰囲気が沈んで見えるのかと思っていた。
しかし、実際にヘスリッヒ村に滞在することで空気の淀みが気のせいでないことが分かった。
この村や周辺の森は、日が出ている時間帯でも薄暗い。
太陽が雲に隠れてしまっているような、どんよりと重い空気だ。
一つの村が死にかけている。
それも、手遅れなほどに進行してしまった。
村は荒れ果てて、人もほとんどが命を落としてしまった。
残りの少ない生き残りたちも長い命でないことは明らかだ。
流行り病の症状がみられないのは村長のブラハムと息子のノーザン、アルフレッドと母親のエルティーナ。
ベルンハルトは軽症だが徐々に進行してきている。
村の子供たちも動き回れる程度には無事だが、それでもある程度の進行は見られた。
アイン自身には今のところ何の症状も出てきていない。
何か共通点があるのではないだろうか。
症状が出やすい者と出にくい者、そして全く影響を受けない者。
そこに何らかの基準となることがあるのではないか。
だが、その共通点が未だに分からない。
共通点さえ見つけ出すことが出来れば、元凶を突き止めるまでの時間稼ぎが出来る。
症状の進行を抑えられるだけで生き残れる人数は大きく違ってくるだろう。
流行り病の原因によっては、症状の重いクレアやリスティも助けられるかもしれない。
そうこう考えている内に、アインは村長の家に辿り着く。
ドアをノックすると、ブラハムが出迎えた。
「これはアインさん。どのようなご用件で?」
「流行り病に関して聞きたいことがある。それと、流れ者の親子についても」
「そうでしたか。それでしたら、私の母に効くのがよろしいかと。ささ、上がってください」
家に上がると、アインは席に着く。
村長の家はブラハムもノーザンも健常なためか、手入れが行き届いていた。
アインの視線は一人の老婆に向けられていた。
老婆は揺り椅子に座りながら暖炉の前でくつろいでいた。
村長のブラハムよりもずっと年老いている。
老婆はアインに視線を向けると、優しく微笑んだ。
「こんにちは冒険者さん。貴女の名前を聞かせてもらえるかしら?」
「私はアイン。森の異変を調査に来た」
「そう、アインさんね。まだ若いのに大変ねえ。私はアマンダ。ブラハムの母よ」
顔を綻ばせてアマンダが言う。
村がこの状況なせいで会話の相手も碌にいないのだろう。
アマンダは年齢相応に弱っているようだった。
肌も皺だらけで骨ばっており、あまり動き回れるようには見えない。
だが不思議なことに、彼女には流行り病の症状が出ていなかった。
「この村の惨状。貴女も見てきたでしょう?」
「……一応、一通りは」
「酷いものだわ。昔からずっと見てきた村が、こんなにも悲惨な目に遭うなんて」
アマンダは悲しげに眉を顰める。
長年暮らしてきたヘスリッヒ村が今、死にかけているのだ。
そして、それを止める術はもはや残されていない。
流行り病によってもたらされた被害は深刻だ。
ほとんどの村人は流行り病で倒れてしまい、残っている者はごく少数。
もとは五十人ほどいたというのに、今では十人ほどしかいない。
村の終わりはすぐそこまで迫ってきていた。
「アインさん。おそらくヘスリッヒ村は終わりでしょう。けれど、せめて残っている村人だけでも助けられないかしら?」
「やれる限りのことは尽くす。でも、今は情報が少なすぎる」
「そう……。私の知っている範囲で役に立てることがあれば、なんでも聞いて」
アマンダは縋るように言う。
助かるための最後の希望なのだ。
アイン以外に、森に起こっている異変や村の流行り病の正体を突き止められる者はいない。
「アマンダさん。これまでに、今の村の状態と同じようなことはなかった?」
「同じようなこと、ねえ……」
アマンダは首を捻って唸る。
ヘスリッヒ村で同じようなことが起きたことは彼女の記憶には無かった。
だが、それ以外にも何か役立てるような情報があるかもしれない。
「たとえば、流行り病と似たような症状を見たとか」
「似たような症状……。しいて言えば、魔力欠乏に似ているとは思うけれど」
魔力欠乏。それは、体内にある魔力を消耗することによって引き起こされる症状だ。
頭痛や眩暈、酷い場合には吐き気を催すことがある。
魔力の多い者ほど魔力欠乏に陥った際の症状が重く、しばらく身動きが取れなくなるようなこともある。
しかし、魔力欠乏を起こすような原因が無い。
ヘスリッヒ村に住む人たちは魔力を使うことが少ないからだ。
ベルンハルトのように狩猟を行うのであればあり得るかもしれないが、クレアやリスティのような人間が魔力欠乏に陥ることなど考え難い。
しかし、クレアは首を振る。
「アインさん、ドレインって知っているかしら」
「植物の魔物が生命力や魔力を吸収したりすること?」
「そう、それよ。もしそう言った魔物の仕業だとすれば、説明はつくんじゃないかしら」
アマンダの仮説は理にかなっていた。
もし村の周辺にドレインを持つ魔物がいたとするならば、そう言った現象もありえることだろう。
だが、魔物がドレインを行う際は相手に直接触れていることが必須だ。
離れた位置にいる村人から魔力や生命力を吸い上げることが出来る魔物がいるとしたら、それこそ大勢の冒険者で戦わなくてはならないだろう。
それに、この村の周辺にいるのはヴェノムモスかワイルドボアくらいだ。
あの魔物たちがドレインを扱えるようには思えなかった。
だが、もし変異種などがいれば、可能性はゼロとは言い切れないかもしれない。
「けれど、困ったことに実証する手段がないわねえ……」
アマンダは困ったように頬に手を当てた。
もし魔力欠乏だったとして、それを確かめる手段が彼女には無かった。
だが、アインは首を振る。
「確かめる手段なら、ここにある」
取り出したのは魔力ポーションだった。
非常に高価な品であり、ヘスリッヒ村のような小さな村には置いていない代物。
いざという時に備えてアインは三つほど持ってきていた。
試す価値は十分あるだろう。
しかし、もし逆効果だったらどうするのか。
急激に病状が悪化してしまった場合、アインは責任を取ることが出来ない。
悩んでいると、急にドアが激しく叩かれた。
そして、荒い息を吐きながらベルンハルトが入って来た。
「大変だ! クレアさんところのリスティが、今にも死にそうになっている!」
それを聞いてアインは席を立つ。
迷っている暇はない。
今にも死にかけている人がいるのだ、放っておくわけにもいかないだろう。
アマンダはアインに声をかける。
「もし駄目だったとしても、それは貴女の罪ではないわ。まだ若いのだから、思い切りも必要よ」
アインは頷くと、ベルンハルトと共にリスティのところへ急ぐ。
アマンダの仮説が正しければ、流行り病に苦しむ彼女を助けられるかもしれないのだ。
どのみち死んでしまうのなら試さない手はない。
クレアの家に辿り着くと、ベッドの上で苦しみ悶えるリスティの姿がそこにあった。




