46話 流れ者
アルフレッドの家はヘスリッヒ村の外れにあった。
やはり他の家と同様に荒れ果てていた。
多少は手入れをしようとした跡も見られたが、途中で放置されていた。
アインはドアをノックする。
だが、返事はなかった。
留守にしているのだろうか。
アルフレッドが木の実を集めに行っているのであれば、家にいるのは母親だけだろう。
仕方なく踵を返そうとした時、家のドアが開いた。
家から出てきたのは随分とやつれた女性だった。
肌も青白く体調は良くなさそうだったが、ドアノブに体重を預けながらアインに声をかける。
「あなたは……?」
「私はアイン。ギルドで依頼を受けて、森の異変を調査しに来た」
その言葉を聞いて、女性は納得した様子で頷く。
アインの目的を理解しているのだろう。
「なにもないですが、どうぞ上がってください」
女性に招かれてアインは家の中に入る。
家の中は思っていたよりも整頓されていた。
病気で動けない母親の代わりにアルフレッドが片付けたのだろう。
女性は苦しそうに咳をしつつ、ベッドに腰掛ける。
酷く体調が悪そうな様子だった。
「私はエルティーナ・ベルト。アルフレッドと共にこの村に来た流れ者です」
「なんで、この村に?」
「話すと長くなるのですが、よろしいですか?」
その問いにアインは頷く。
おそらくこの村に来ざるを得ない事情があるのだろう。
「私は以前、冒険者をやっていました。今は亡き夫も冒険者で、私たちの間に生まれたのがアルなんです」
今は亡き夫。
であれば、エルティーナは一人でアルフレッドを育ててきたのだろう。
それがどれだけ大変な事かは想像に難くなかった。
「夫が健在の頃、私たち家族はここから北にあるベルグラード地方に住んでいました。そこは隣国との争いの絶えない地でしたが、それでも幸せに暮らしていました」
隣国のエストワール皇国は大陸でも随一の国力を誇る大国だった。
対して、今いるブレンタニア公国も大陸では力のある国ではあるものの、帝国と比べれば多少劣っていた。
ブレンタニアは国土は広大だが荒れ果てた地が多く、それ故に緑豊かなエストワールの大地を欲した。
逆にエストワールは資源に乏しいため、鉱山などに恵まれたブレンタニアの土地を欲した。
双方の欲望がぶつかり合った結果、国境における小競り合いが頻発していた。
「荒れ果てた大地だったがために、ベルグラード地方は昔から魔物が多く生息していました。私たち家族もその素材を稼ぎに生きていたのですが……」
そこでエルティーナは言葉を切る。
辛い記憶が蘇ってきて言葉に詰まっているようだった。
「……異変が、起きたのです。付近でも見かけないような凶暴な魔物が姿を現して、私たちが住んでいた町は成す術なく破壊されてしまいました」
それを聞いてはっとなる。
アインは何度も似たようなことを経験していたからだ。
一度目は故郷の村で。
付近では見かけないようなオークの集団が村を襲撃した。
二度目は討伐依頼を受けた時。
ラースホーンウルフは、本来であればあの森に生息していない個体だった。
三度目はマシブとゾフィーと三人で迷宮に向かった時。
ブレイドヴァイパーは近辺で目撃されるには不自然なほどの凶暴な魔物だ。
そして今、アインはヘスリッヒ村の異変と遭遇している。
これだけ短期間に魔物の活性化が起きているのだ。
なんらかの因果関係があることを疑うのは自然なことだろう。
「夫は私たちを逃がすために囮になって……そのまま帰ってきませんでした」
エルティーナは悔しそうに唇を噛み締めていた。
押し寄せる凶暴な魔物を相手に出来るだけの力があれば、夫は死なずに済んだのかもしれない。
そんな自分の無力さが悔しかった。
「エルティーナさん。凶暴な魔物というのは、具体的にどんな?」
「地竜の群れです。町から逃げ出したとしても、荒野を走ったところで追いつかれてしまうでしょう。だから、町の男たちが囮になったのです」
地竜とは、強靭な脚力と頑丈な鱗を持つ魔物だ。
空を飛ぶ力を失ったが、代わりに地上では最強とされる魔物だ。
生半可な攻撃では傷さえ付けることはかなわず、その肉体から繰り出される突進やブレスは要塞の壁さえも容易く打ち砕くほど。
それ故に、冒険者であればゴールド以上のものが複数人で当たるようにとされていた。
それほど凶暴な魔物が群れを成して攻め込んできたのだ。
町に住んでいた人々の絶望たるや、一体どれだけのものだったのだろうか。
成す術なく蹂躙され、命からがら逃げだしてきた者たちは各地へ旅立つことになった。
「私も一応冒険者でしたので、住める場所を見つけるまではアルを連れて旅をするつもりでした。しかし、途中で体を壊してしまって……」
エルティーナの様子を見れば、あまり長くないことが窺えた。
それだけ無理をしてきたのだろう。
この村に辿り着くことが出来なければ、そのまま野垂れ死んででいたかもしれない。
だが、アインはエルティーナの病状が村の人たちと違うことに気付く。
彼女は酷く衰弱している様子だったが、喉元が黒ずんでいるわけではない。
流行り病とは別の病気の可能性が高かった。
「この村の現状を考えれば、留まるべきではないのも分かっています。しかし、今の私には移動する力さえ残っていないのです。罪深い私は、きっと死後は地獄に落ちることでしょうね」
エルティーナは自嘲気味に笑う。
ヘスリッヒ村に留まることで村の負担が増えてしまっていることを理解しているからだ。
まだ幼い息子がいるからこそ、出ていくという選択肢も取れない。
「……違う。あなたは地獄に落ちたりはしない」
「アインさん?」
アインの言葉に、エルティーナは首を傾げる。
「あなたはアルのためにやれる限りを尽くしたはず。それなのに地獄に落ちるようなことがあれば、私が神を殺す」
エルティーナは良い母親だ。
村の人たちからは良く思われないかもしれない。
だが、それでも自分の息子のために精一杯やってきたのだ。
彼女の人生を否定するようなことは、アインには許せなかった。
あるいは母親というだけで情が移ってしまったのかもしれない。
アインの両親は自分を庇って目の前で殺されてしまった。
だから、目の前にいる女性が死ぬとしても、悲しい思いのまま死んでほしくはないと思っていた。
「それに流行り病とあなたの病気は別のもの。自分を責める必要なんて、絶対にない」
「優しいんですね」
エルティーナは感謝するように頭を下げた。
「私たちがこの村に来た経緯はこれで全てです。何か他に、お聞きしたいことは?」
「あなたとアルは流行り病の症状が全く見られない。それに何か心当たりは?」
「特には……。アルはともかく、私は病気で衰弱しきっている状態なので。なぜ流行り病の症状が出ないのか不思議なくらいです」
やはり流行り病に関する手掛かりは得られなかった。
アインは落胆するが、少なくともエルティーナとアルフレッドの二人が流行り病の原因ではないと分かっただけ収穫だろう。
後でこの事を村長に報告しに行こうと考えていた。
「アインさん。もしよろしければ、そこの袋の中身を持って行ってもらえませんか?」
エルティーナは震える手で壁に掛けてある袋を指さした。
中身を取り出してみれば、そこには皮のウエストポーチがあった。
「……これは?」
「空間魔法の施された魔道具です。見たところ持っていないようでしたので、よろしければ使ってください」
随分と上等な魔道具だった。
使い込まれているためか少しくたびれているものの、使用する分には何の問題もないだろう。
今までは魔物の素材などを自分で担いで持ち帰る必要があったが、これがあれば依頼も捗ることだろう。
「いいの?」
「もちろんです。もとより、この体では戦うことが出来ませんから。森の異変を調査してくださるあなたなら、渡しても良いと思えたのです」
アインは腰にウエストポーチを取り付けた。
動きも阻害されず、戦闘の際に邪魔になることもないだろう。
投擲武器を仕込んでおけば、いざという時に使うことも可能だ。
「それと、気を付けてください。半年以上も前のことですが……以前この村の北で巨大なヴェノムモスを見かけたので」
それを聞いて、アインは今朝見かけた巨大なヴェノムモスのことを思い出す。
地図に付けたメモと比べてみても方角は一致していた。
だが、エルティーナが巨大なヴェノムモスを見かけたのは半年以上も前の話だ。
別の個体の可能性もあるし、場合によってはエルティーナが見かけた個体がより大きく成長している可能性もあった。
もしそうであれば、この村の人間だけでは対処しきれないだろう。
先日見かけたヴェノムモスの巣窟といい、明らかに異常な事態だ。
もしかすれば、流行り病の元凶と何らかのつながりがあるかもしれない。
後で調べてみる価値はあるだろう。
アインはエルティーナに礼を言うと、家を後にした。
これ以上留まっていれば情が移って食糧や強壮剤を与えてしまうかもしれない。
先ほどベルンハルトに言われたばかりなのだ。
人を助けるのも悪くはないが、最優先は己の命だ。
物資の限られている現状で誰かに施している余裕はない。
だが、エルティーナはアインに魔道具をくれたのだ。
何らかの形で恩を返すことくらいは許されるだろう。
今出来ることといえば、彼女が流行り病の元凶ではないということを村の人々に伝えることだ。
アインは一先ず、村長の家に向かうことにした。




