45話 利己的
アインは早朝に目を覚ました。
まだ村の人たちは目を覚ましていないだろう。
この時間に出来ることと言えば、村の周辺の森を探索するくらいだろう。
とはいえ、それをしたところで森の異変の元凶が見つかるとは思えなかった。
ヘスリッヒ村の周辺はベルンハルトが狩猟を行っている場所だ。
ある程度離れた場所に行かなければ調査の意味はないだろう。
目的は食糧調達だった。
この村に来てから、アインは他人に施しすぎてしまっている。
強壮剤もパンも与えてしまった。
まだ食糧は残っているが、しばらく村に滞在することを考えると心もとない。
アインは欠伸を嚙み殺すと、槍を背負って村の外に出た。
相変わらず森の中は静かだったが、しばらくヘスリッヒ村に滞在しているおかげか、近辺の獣の動きを感じ取れるようになってきていた。
森で狩猟を行えば、自身の技量を高めることにもつながる。
感覚を研ぎ澄まして気配を察知する練習にもなるし、逆に自身の気配を消して隠密行動する練習にもなる。
盗賊の頭領だったペドロは、そういった能力が非常に優れていた。
習得することが出来れば十分に武器になることだろう。
アインは感覚を研ぎ澄ます。
森のざわめきが、風の吹き抜ける音が、虫の羽音が。
聞こえてくる音の中から、必要なものを探し出す。
見つけたのは大きなイノシシだった。
可能な限り気配を消して、そっと獲物に近付いていく。
ワイルドボアと呼ばれる魔物だ。
気性が荒く獰猛だが、一方で地方によっては飼いならされて家畜となっている場合もある。
アインの故郷でもワイルドボアを見かけることがあったが、それは村から少し離れた場所に生息していたため、生きている姿を実際に見たことはなかった。
村の自警団の大人たちが見回りに出掛けた際に狩ってきたのを何度か見た程度だった。
その肉は上等なもので、そこらの獣よりも味が良い。
大きさからして、ヘスリッヒ村の生き残っている人たちの食糧を一日分は賄えるだろう。
アインの取り分を多めにしたとしても十分すぎる量だ。
宿を借りているのだから、これくらいのことはしても良いだろうと考えていた。
だが、アインは殺気を抑える術を知らなかった。
熟練の冒険者であれば気配を隠すことは出来るだろう。
しかし、やはり経験の足りないアインには殺気を抑えることは難しかった。
迸る強烈な殺気。
自身よりもずっと悍ましい気配に当てられたせいか、ワイルドボアは一目散に逃げだしてしまう。
追いかけようにも、さすがに全速力で駆けて行く魔物に追いつくのは難しいだろう。
どうにも殺気が抑えられない。
アインはどうすればいいか悩んでいた。
相手によってはそれも効果的かもしれないが、今のように狩猟を行う場合は殺気が邪魔になってしまう。
かといって、殺気を押し殺すことはなかなかできなかった。
あるいは、殺気を利用することが出来るのではないか。
相手が腰を抜かして動けなくなるほど強烈な殺気を放てば、気配を消すまでもなく魔物を仕留めることが出来るかもしれない。
思いつくや否や、アインは早速試すことにする。
気配を察知することは出来るようになってきている。
さすがに何十年と狩猟生活をしているベルンハルトと比べれば拙いものだろう。
だが、冒険者として魔物を狩るには十分な段階まで成長していた。
微かな気配を辿って歩いて行くと、先ほどより小さいワイルドボアを発見した。
アインは深呼吸すると、地を強く蹴って一気に駆けだす。
そして、殺意を限界まで高めてワイルドボアに意識を集中させた。
その強烈な殺気に、ワイルドボアは一瞬だけ体を硬直させた。
さすがに動けなくすることは出来なかったが、それでもアインにとっては十分すぎるほどの隙だ。
一気に距離を詰めると、脳天を槍で貫いて仕留めた。
ワイルドボアが息絶えて地に伏す。
先ほどよりも小さいのは残念だったが、それでも食糧としては悪くない。
これをヘスリッヒ村に持ち帰ろうと、アインはその場で解体を始める。
場合によっては、血の臭いが他の魔物を引き寄せるかもしれない。
以前ホーンウルフを集めた時のように連鎖的に狩りを行えるのであれば良いが、今はヴェノムモスが集まってくるくらいだろう。
手早く解体を済ませるとアインはその場を後にする。
帰り道、近くで大きな羽音が聞こえてきた。
見上げれば、巨大なヴェノムモスがワイルドボアを掴んで何処かへ飛んでいく様子が見えた。
通常のヴェノムモスは大きくても一メートル程度だが、今アインが見ているヴェノムモスは三メートルほどはありそうだった。
ワイルドボアを容易く掴んで持ち帰れるほどの大きさ。
それは明らかに異常だろう。
変異種であれば納得できるが、異常成長しているだけ他は普通のヴェノムモスと変わりないようだった。
追いかけるべきか悩んだが、木々が視界を遮って追跡は難しかった。
どの方向に飛んだかだけ地図に記録すると、アインは一先ずヘスリッヒ村に戻る。
村に帰ってくると、丁度起きてきたらしいベルンハルトと出会う。
「よう、冒険者さん。随分早いな」
「ちょっと森に行ってきた。はい、これ」
アインはワイルドボアの肉を手渡す。
ベルンハルトはまだ栄養状態が良くない様子だったため、少し多めに切り分ける。
「……こんなに良いのか?」
「しっかり食べて。多分、また森の案内を頼むことになるだろうから」
「分かった。その時に備えておくとしよう」
ベルンハルトはアインから肉を受け取ると、布に包んで懐にしまう。
周辺の森を探索するには彼の助けが不可欠だ。
優先順位をつけるならば、最優先で生かすべきは彼だと考えていた。
「それで、この後はどうするんだ?」
「アルの家に行く。話を聞いておくべきだと思うから」
「なるほどな。俺に手伝えることはあるか?」
「それなら、残りの肉を村人に配ってほしい。配分量は任せる」
そう言って、アインは残っている肉をベルンハルトに手渡す。
倒したワイルドボアの大きさが不十分だったため、アインは自分の分を取っていなかった。
「……あんたはどうするんだ?」
「私はまだ食糧があるから」
「それは保存食だろう? それなら、こっちを食べるべきだ」
ベルンハルトは肉の一部をアインに返す。
「生き残る優先順位を考えるなら、あんたが一番重要なはずだ。そうだろう?」
村人のことばかりを考えていた。
だから、自分の取り分は無くても良いと考えていた。
しかし、それでは生きていけない。
生き残る可能性がある人間を優先するべき。
以前、アインがベルンハルトに突き付けたことだった。
「あんたは立派だ。その年で物事の道理も分かってるし、必要であれば非情な選択も出来る。だが、もう少し利己的になってもいいんじゃないか?」
「利己的に?」
「そうさ。人間なんて自分勝手な生き物だ。そんな奴らを片っ端から助ける必要なんてないだろう」
生存の優先順位を付けつつも、アインはその中に自分を含めていなかった。
そこに後ろめたさがあったからかもしれない。
だから、自分の食糧は最低限でいいと考えていた。
「あんたはもっと割り切っても生きた方が良い。手を差し伸べたところで死ぬ奴は死ぬし、放っておいても生きる奴は生きる。だから、優先順位の最上位は常に自分だ」
優先順位の最上位は常に自分。
そんな考え方は、やはり利己的すぎないだろうか。
特に自分は黒鎖魔紋を抱えて生きている。
それだけでも十分すぎるほど利己的だというのに、これ以上なにを優先するべきだというのか。
だが、ベルンハルトは首を振る。
「こいつは極論かもしれないが……他人を助けたところで、自分が死んだら意味がない。他人が死んだとしても、自分が生きていればいい。そういう奴ほど、案外しぶとく生き延びるもんだ」
自分を犠牲にすることで他人が助かるならば。
そんな事を考えていたが、やはり実際に死に直面したら恐怖を抱くだろう。
だからアインは黒鎖魔紋を抱えて生きることを決意したのだ。
死にたくないだけ。
だから、他の何よりも自分を優先する。
利己的になるにはそれだけの理由で十分だ。
「……ありがとう」
アインはベルンハルトから肉を受け取る。
生き延びるためには非情にならなければならない。
無理に手を差し出して自分まで巻き込まれる必要はない。
アインは考えを改めると、アルフレッドの家に向かう。




