44話 ヘスリッヒ村(2)
ノーザンに案内され、村長の家の近くにある空き家に到着する。
そこは随分と古い家のようだったが、彼の言う通り掃除は終わっているようだった。
見た限りでは、滞在するのに不便はしないだろう。
「にしても、あんたみたいな若いのが冒険者か。腕を疑ってるわけじゃないが、てっきりベルンハルトみたいなオッサンが来てるもんだとばっかり」
「その方が良かった?」
「とんでもない! この村で若いのって言ったらリスティぐらいで他は皆ババアばっかりだからな。むしろ大歓迎だ」
下卑た笑みを浮かべていたが、アインは特に気にしなかった。
それよりも気になるのは、彼がなぜ流行り病に冒されていないのかだ。
「ノーザン。なんであなたは、流行り病の症状がないの?」
「なんでって聞かれてもな。親父もお袋も無事みたいだし……あ、お袋は病気とか関係なく老化で駄目だったわ」
ゲラゲラと下品な笑い声が癪に障るが、アインはそれを堪えてもう一度尋ねる。
「なにか心当たりがあることはない? ちょっとしたことでも良いから」
「ちょっとしたことか。そうだな……あ、そうそう! 親父とお袋は、昔冒険者をやってたんだ。そのおかげで体が丈夫なんじゃないか?」
「冒険者を?」
「ああ、そうだ。親父に聞いてみれば、昔の武勇伝とかを夜通し話してくれるだろうぜ」
冒険者だから、流行り病の症状が薄いのだろうか。
確かに体力はあるかもしれないが、それだけの理由とは思えない。
狩人であるベルンハルトでさえ流行り病の症状が出ているのだ。
ノーザンに症状が全く出ていないのは不自然だった。
ただ体力があるだけでいいのならば、ベルンハルトも無事なはずだろう。
ただ病に抗えるだけの体力があればいいというのならば、ヘスリッヒ村はここまで追い詰められてはいないだろう。
村にはベルンハルト以外にも何人も男性がいたはずだったが、ほとんどが流行り病で命を落としてしまっている。
やはり、そこまで単純なものではないのかもしれない。
原因さえわかれば助かる人がいるかもしれない。
クレアやリスティのような重症の人はどうしようもないかもしれないが、ベルンハルトのような軽症ならば助かる可能性は十分あるだろう。
村を救うことは出来ずとも、何人かを救うくらいならば十分可能だ。
元々、アインの受けた依頼は森の異変を調査することだ。
ヘスリッヒ村の流行り病について調べることは本来の目的ではない。
しかし、森の異変とヘスリッヒ村の流行り病が別物だとは考えにくかった。
流行り病の元凶と森の異変に何らかのつながりがあると考えた方が自然だろう。
あるいは、そう考えることで村を助ける口実を作りたかったのかもしれない。
過酷な道を選んだとはいえ、目の前で苦しんでいる人々を見捨てることはアインにはできなかった。
森の異変と村の流行り病の原因が近い位置にあるのであれば、偶々見かけて解決するなんてこともあるかもしれない。
アインは非情になりきれない自分が情けなく思えた。
「それじゃ、俺は行くぜ。何かあったら親父のところに頼んでくれ」
そう言って、ノーザンは手をひらひらと振りながら去っていった。
それを見送ると、アインは家の中に入る。
ノーザンの性格はあまり良いものではなかったが、任されていた掃除はしっかりとこなしていた。
家の中は滞在するには十分掃除がされており、寝具も綺麗な状態で用意されている。
さらには部屋の端に武具を手入れするための道具まで用意されており、なんだかんだで村長の息子であるだけの能力はあるようだった。
アインは荷物を確認する。
持ってきているのは武具と保存の利く食糧、そして増血剤などの薬剤だ。
強壮剤をクレアに渡してしまったため、あまり無茶をすることは出来ないだろう。
あとは魔力回復用のポーションが幾つかあるが、こちらは高価なものであるため簡単には使えない。
黒鎖魔紋の力は絶対的なものだ。
特にアインの場合、どれだけ酷い怪我を負っても怯むことはない。
命がある限り戦い続けることが出来ることだろう。
だが、戦いが終わった時に動けなくなってしまうのでは意味がない。
以前は周囲に人がいたから無事でいられたが、今後もそうなるとは限らないだろう。
少なくとも黒鎖魔紋を解放せざるを得ないような相手が現れた時点で相応の危険があるのだ。
ペドロのような格下であればいいが、同格以上の相手であれば注意が必要だ。
窓の外を見れば、随分と暗くなってきていた。
今日は出歩かずに休んだ方が良いかもしれない。
洞窟で魔力を使いすぎたせいか、少し疲労が溜まっていた。
魔法は確かに便利だ。
一対多の状況において、対処しきれない相手には極めて有効な一撃だ。
大量のヴェノムモスを相手に槍で戦い続けるのは魔力も体力も消耗してしまうだろう。
しかし、魔法によって数を減らせれば体力の消耗は緩和することが出来るのだ。
とはいえ、アインはそれを好んで使おうとは思わなかった。
やはり槍を振るう感覚が心地よい。
ギリギリの死線を潜り抜け、返り血を浴び、最後に嗤う。
それが戦いの醍醐味だと考えていた。
アインは魔槍『狼角』を磨いていた。
惹き込まれるような漆黒の槍。
その形状は単純だが、それ故に刻まれた魔紋が美しさを引き立てていた。
ラドニスの腕は良いものだった。
冒険者として経験を積んできたからこそ、改めてこの槍の素晴らしさを思い知る。
どれだけ魔物と戦っても刃こぼれ一つしない頑丈さ。
この槍が折れることなど想像もできなかった。
死闘の末に手に入れたからこそ、余計に良いものに感じる。
アインは槍に着いた汚れを拭き取りながら、うっとりと眺めていた。
この先、旅をしていく中で多くの武具が必要になるだろう。
アインは槍だけでなく様々な武具を扱おうと考えていた。
投擲用のナイフを用意するのもいいだろうし、火薬を用いた古典的な武器でも良い。
あるいは、暗器の類も必要な時があるかもしれない。
考えるだけで想像が尽きなかった。
戦いのこととなると、どうにも心が躍ってしまう。
我ながら酷い戦闘狂だとアインは苦笑する。
明日はアルフレッドに話を聞きに行こうと考えていた。
時期が同じであれば、直接的な関与はなくとも原因に繋がるような情報を持っているかもしれない。
それに、彼には病で寝たきりの母親がいる。
可能であれば彼女からも話を聞こうと思っていた。
森の異変とヘスリッヒ村の流行り病。
そこに繋がりがあるかは定かではないが、これまでの話を考えれば十分にあり得ることだ。
明日は早めに起きて手掛かりを探さなければ。
まだアインは村の現状を把握しただけに過ぎないのだ。
この村に残された時間は少ないのだから、急いで原因を突き止めなければならなかった。
アインはベッドに寝転がると、槍を抱きかかえて眠りについた。




