33話 足掻き続ける
ヴァルターの手が差し伸べられたとしても、やはり災禍の日を生き延びるには力が不足していた。
この場にいる者のほとんどが戦う力を持たない一般人。
武器もまともに持たない彼らでは、出来ることも限られてしまう。
それに、この場に逃げ延びてきた冒険者たちも、襲い来る魔物を相手取れるほどの実力者は少ない。
唯一、この場においてゾフィーだけが魔物を蹴散らしていた。
「ったく、キリがないッ!」
暴風と称えられ、一対多の戦闘において圧倒的な力を誇る魔導士。
そんなゾフィーでさえ、災禍の日においては強者足り得ない。
際限無く湧き続ける魔物の軍勢に、さすがの彼女も危機感を抱いていた。
思い出すのは、怪しげな神父の言葉。
彼はゾフィーのことを“多少なりと”戦えると評価した。
先ほどの広域治癒魔法を見れば、その評価も仕方ないのかもしれない。
だが、プライドの高いゾフィーにとって、彼の評価は納得のいかないものだった。
他にも引っ掛かることは多い。
彼は「いずれ、世界はもっと残酷なものになる」と言った。
災禍の日をも超える残酷さ。
その言葉が真実ならば、それこそ世界の終焉だ。
生き延びる力を持つ者など、ごく一握りの人間に限られてしまうだろう。
この戦いを生き延びたら、彼に色々なことを問い詰めなければならない。
ゾフィーはそう考えていたが、気づけばヴァルターは忽然と姿を消していた。
まだ夜明けには程遠い。
徐々に魔力も消耗してきており、このままではいずれ魔物の軍勢に呑み込まれてしまう。
だが、かといって現状を打破するだけの策もない。
焦燥に駆られるゾフィーに、後退してきたマシブが声をかける。
「ゾフィー、あとどれくらい耐えられそうだ?」
「無理をすれば半刻ってところだね。そっちは?」
「俺はもう、身体強化さえ使えねえ状態だ」
マシブは既に疲弊しきっており、とても戦えるような状況じゃなかった。
だというのに、未だ彼の戦意は衰えない。
闘志を滾らせて、災禍の日を引き伸びて見せるのだと犬歯をむき出しに嗤う。
「なにか勝算でもあるの?」
「ああ……あるぜ。本当はこんな情けねえ話はしたくねえんだが……」
そう言って、マシブは周囲を見回す。
奮戦空しく次々に魔物の餌食となっていく。
この状況を覆すことが出来る人物は、一人しかいない。
「アインだ。あいつがいれば、災禍の日だって何とかできるはずだ」
「……確かに腕は立つと思うけど、それは厳しいかもね」
ゾフィーは自分の命が危険に晒されている中でも、アインのことが気がかりだった。
できれば、シュミットの街に戻って来てほしくない。
もし戻って来てしまったならば、この悍ましい魔物の餌食になってしまうかもしれないからだ。
それに、街がこの惨状では馬車も途中で引き返してしまうことだろう。
シュミットとエリュアスは馬車で何時間もかかる距離だ。
途中まで馬車で来られたとしても、果たして誰かが生き残っている内に戻って来られるだろうか。
「アインはきっと間に合わないよ。だから、あたしたちに出来るのは精々足掻くことだけ。運が良ければ、生き延びられるかもね」
「だとしても、俺は生き延びてみせるぜ。絶対に」
それは覚悟だった。
たとえ戦えなくなったとしても、命がある限り足掻き続けて見せる。
気迫に満ちたマシブの様子に、ゾフィーも頷く。
日が沈んでからどれだけの時間が経っただろうか。
未だに魔物の勢いは衰えない。
それどころか、初めよりも数が増えているようにさえ思えた。
マシブは瓦礫を拾い上げると、力任せに投擲する。
瓦礫は骸骨兵を押し潰すが、すぐに押しのけられてしまった。
せめて武器があればいいのだが、その場所は中央広場から大分離れている。
今の彼にあるのは、魔力が底を尽きた満身創痍の体のみ。
恵まれた体格も、巨大な魔物を相手には全く意味をなさない。
小型の魔物を相手に、辛うじて戦うことが出来るといった程度だった。
だが、それが無意味というわけではない。
確実に時間は経過してきている。
このまま持ち堪えられれば、もしかすれば朝日を拝むことが出来るかもしれない。
そう思っていたが、さらに事態は悪化していく。
「ま、魔力が……もう……」
ゾフィーの魔力が底を尽きてしまう。
いかにゴールドの冒険者といえど、魔力が尽きてしまえば成す術がない。
特に魔導士である彼女にとって、魔力切れは即ち死を意味していた。
極度の魔力欠乏は眩暈や頭痛を引き起こす。
視界がぼやけてしまい、魔物の姿を捉えることすらままならない。
もはや立っていることさえ困難で、ゾフィーはその場にへたり込んでしまう。
「終わった……あたしはもう、戦えない……」
ゾフィーは彼女の誇る風魔法によって多くの魔物を返り討ちにしていた。
それがあったからこそ、ここまで持ち堪えられていたのだ。
彼女の魔法がなければ、押し寄せる魔物の軍勢を相手にすることは不可能といっていいだろう。
途端に魔物の侵攻が苛烈になっていく。
彼女が近づけまいとしていた大型の魔物が、一斉に民衆に襲い掛かり始める。
それはもはや戦いとは呼べる代物ではない。
そう、戦いではない。
これは蹂躙だ。
強き者が、弱き者の命を奪う。
ただ、それだけのこと。
周囲から聞こえてくる断末魔にゾフィーは耳を塞いで蹲る。
もはや逃げる力さえないのだ。
魔物に喰われることを震えながら待つことしかできない。
だが、そんな彼女の下に駆け寄る者が一人。
「ちょっとだけ我慢してろよ!」
「え、なに――うわっ!」
ひょいと担ぎ上げられ、ゾフィーは情けない声を出してしまう。
マシブが助けに来たようだった。
「正直、もう戦いようがねえ。どこかに隠れるぞ」
出来る限りは尽くした。
しかし、これ以上は戦えない。
ゾフィーの魔力を尽きた直後から、一気に生き残りが減ってしまった。
マシブは周囲を警戒しつつ、瓦礫の陰にゾフィーを降ろす。
いつ魔物に気付かれるか分からないが、それでも表に出ているよりはマシだった。
「これからどうするの?」
「俺はもう少しだけ暴れてくるぜ。少しでも時間を稼げれば、アインが間に合うかもしれねえからな」
「随分とアインを信頼してるね。もしかして、惚れてるの?」
「なっ……!」
ゾフィーの問いに、マシブは慌てて首を振る。
その様子が滑稽に思えて、ゾフィーはクスリと笑った。
そして、ローブの中からナイフを取り出す。
「これ、使って」
「良いのか?」
「構わないよ。投擲用のナイフだから、振り回すには物足りないだろうけどさ」
マシブはナイフを受け取ると、手に持って構えてみる。
普段使っている斧と比べれば頼りないものだったが、素手で戦うよりは遥かにマシだった。
「よっしゃ! もうひと暴れしてやるぜッ!」
そして、マシブはナイフを片手に瓦礫の陰から飛び出して――固まってしまう。
巨大な獣の横顔が、すぐ目の前にあったからだ。
その視線はマシブのことを射抜いていた。
「うおおおおおおッ!」
マシブは咄嗟にナイフを突き出して、獣の目を刺した。
直後、体に重い衝撃を感じた。
気づけば体が浮いていた。
否、吹っ飛ばされていた。
目を刺された獣が、絶叫と共にマシブを蹴り飛ばしたのだ。
受け身を取って、即座にナイフを構える。
そして、周囲を見回して愕然とする。
吹っ飛ばされた先は、悍ましい魔物で埋め尽くされていた。
「マジ、かよ……」
自然と乾いた笑いが漏れていた。
絶望とはこのことを言うのだろう。
どれだけ足掻いたとしても、こればかりはどうしようもない。
魔物が一斉にマシブに襲い掛かる。
死を覚悟したその時――離れたところで、轟音が鳴り響いた。
その方向から、凄まじい勢いで何者かが迫ってきていた。
震え上がるような悍ましい気配。
強烈な殺気を撒き散らしながら駆ける姿は、まるで獣のよう。
「うあああああああああああああッ!」
現れたのは、狂乱状態のアインだった。




