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狂槍のアイン  作者: 黒肯倫理教団
二章 持つ者、持たざる者

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32話 抗う意思

 街の中央広場に辿り着いたマシブが見たものは、魔物を恐れて震える民衆の姿だった。

 老若男女問わず、皆が災禍の日に怯えていた。

 その中に見知った顔を見つけ、マシブは安どした様子で声をかける。


「ラドニス、無事だったか!」

「どうにか、というところだ。して、マシブ。お前の母親はどうした?」


 その言葉に、マシブは俯く。

 悔しさで拳が固く握られていた。

 その様子だけで、ラドニスは事態を把握する。


 だが、今は誰かの死を弔う余裕さえない。

 このままでは皆が命を落としてしまうからだ。


「しかし、これが災禍の日というものか。二百年余りを生きてきたが、実際に見るのは初めてだ」

「やっぱり、これが災禍の日ってやつなのか」

「ふむ、知っているのか」

「ちょっと気になって調べてみたんだ。……けどよ、ここまでだなんて聞いてねえ」 


 振り返れば、既にすぐ近くにまで魔物が迫ってきていた。

 赤黒い色をした悍ましい魔物。

 それは骸骨の兵であったり、竜であったり、様々な魔物を象っていた。


 このままでは全滅してしまう。

 何かできる手段はないかと、生き延びる術を探し求める。

 だが、中央広場に逃げ延びてきた冒険者はほとんど素人に毛が生えた程度。

 彼らを束ねたところで、押し寄せる魔物の軍勢に勝てるとは思えなかった。


 震える民衆たちの中から、一人の男が前に出てくる。

 その服装から神父だろうと思えたが、彼はどこか異様な雰囲気を持っていた。


 男の背丈はマシブより幾らか高く、しかし酷く猫背だった。

 青白く不健康な肌色。だが、眼鏡の奥に見える瞳からは、理知的な様子が窺えた。


 ヴァルター・アトラス。

 彼は民衆たちを見回して、嘆いたように天を仰ぐ。


「ああ、嘆かわしい! これだけの人数が集まりながら、誰一人として武器を持つ者はいない。哀れな者たちよ。あなた方は、何を望んでここにいるのです?」


 誰一人として武器を持つ者はいない。

 そう言われて、マシブは自分が斧を投げ出して逃げて来たことを思い出す。

 死ぬことを少しでも後回しにしただけ。

 何の意味もないことは理解しているつもりだった。


 それも仕方のないことだ。

 なぜならば、マシブは災禍の日を生き延びられるだけの力を持たない。

 情けなく逃げ惑うことしかできないのだ。


 抗うことなど無意味。

 それが、中央広場に逃げて来た民衆の総意だった。

 それを挑発するかのような神父の物言いに、憤る者もいた。


 しかし、ヴァルターは尚も挑発を続ける。


「この場で震えていれば、誰かが助けてくれるとでも思っているのですかねえ? それとも、神に祈りでも捧げているのですか? ねえ、どうなんです?」


 誰も助けになど来ない。

 そう言って、ヴァルターは冷酷な微笑を浮かべる。

 心底愉快そうな表情だった。


「祈りなどという他力本願な希望は捨てなさい! そして、この場において求められるのは何かを考えなさい! いずれ、世界はもっと残酷なものになるのですから!」


 マシブには彼が狂人としか思えなかった。

 彼の言葉が真実ならば、何故あんなにも待ち遠しそうな顔をしているのか。

 到底理解できなかった。


 しかし、一つ分かることがあるとすれば、ここで震えているだけでは意味がないということだ。

 分かってはいても、恐怖は簡単には拭えない。

 それに武器がない状態では、あの悍ましい化け物を相手にできる気がしなかった。


「それはちょっと、残酷すぎない?」


 聞こえてきたのはゾフィーの声だった。

 ゴールドの冒険者、ゾフィー・クロッセリア。

 彼女ならばこの状況をひっくり返せるのではないかと誰もが期待したが、現実は非常なものだった。


 既にゾフィーは満身創痍。

 足取りも覚束なく、歩くことがやっとの状態だった。


「ねえ、あんた。随分と偉そうなことを言ってるみたいだけどさ。正論だけが全てじゃないって、分からないかな?」


 不愉快そうにゾフィーが言う。

 瓦礫に腰掛けて、荒々しく息を吐き出した。


 ゾフィーは全力で抗った。

 盗賊の頭領に対して、彼女の持ち得る全力を尽くして戦った。

 中央広場に来る最中にも、多くの魔物を葬ってきた。


 だからこそ、分かるのだ。

 現状を打破することなど常人には不可能。

 それ故に、目の前で高説を垂れる胡散臭い神父が気に入らなかった。


 だが、ヴァルターは首を振る。


「まだ命があるというのに、抵抗を諦めるのは愚かなことですねえ。特に、貴女は多少なりと戦える。僅かな可能性さえも捨てて、そうやって諦めるのですか?」

「この傷で戦えるわけないじゃない。じきに麻痺毒が体中に回って動けなくなる。もう、あたしは戦えないよ」


 高位の治癒術師でもいたならば、まだ望みはあったかもしれない。

 しかし、シュミットの街にそれだけの実力者は滞在していない。

 ゾフィーは既にあきらめていた。


「愚かしい事ですねえ。私の知り合いの少女は、どれだけ酷い傷を受けようと、決して武器を捨てなかったというのに。ああ、なんて嘆かわしい!」


 ヴァルターは大袈裟に天を仰ぐ。

 彼の瞳に映っているのは、何もかもを投げ出した愚かな民衆の姿。

 この期に及んで、まだ誰かが助けてくれるかもしれないと祈っている愚者の姿だった。


 魔物は既に近くにまで迫ってきている。

 このままでは、全ての命が失われてしまうことだろう。


「はあ、仕方ありませんねえ……」


 ヴァルターは心底面倒くさそうに、大きくため息を吐いた。

 そして、懐から魔導書を取り出す。

 彼が腕を振るった時、中央広場に異変が起きた。


 ゾフィーの体中の傷が瞬く間に癒えていく。

 感じていた痺れも消え去っていた。

 驚いたように顔を上げると、さらに常識離れした現象が起きていた。


 この場にいる全員の傷が一斉に癒えていく。

 一体どれだけの力があれば、これほどの奇跡を起こし得るのだろう。

 そして、目の前にいる神父は何者なのだろう。

 疑問は尽きないが、再び戦えるだけの力が戻っていた。


「なぜ、こんな力を……」


 この場にいる皆が、ヴァルターを見つめていた。

 これほどの奇跡を起こせる男ならば、押し寄せる魔物もなんとかできてしまうのではないか。

 そんな期待を寄せられ、ヴァルターは不愉快そうに顔をしかめた。


「正直、私は助ける気はないのですがねえ。さすがに全滅されてしまっては、今の彼女には負担が重すぎるかもしれませんから」


 壊れてしまうには惜しい方だ。

 ヴァルターはそう呟いて、後ろを振り返る。


(これでは、彼女が戻ってくるまで持ちそうにありませんねえ……)


 すぐ近くまで迫っていた魔物の軍勢。

 少しばかり時間稼ぎをしようかと思ったが、彼の脇をすり抜けて駆けていく者が一人。


「うおおおおおおおッ!」


 マシブだった。

 武器も無い状態だというのに、一人、勇ましく雄たけびを上げながら突撃する。

 そして、赤黒い骸骨兵を殴り飛ばした。


 そして、荒く息を吐きながら振り返る。


「てめえらも早く手伝いやがれッ! 俺はまだ、死にたくねえんだよ!」


 それは無駄な足搔きかもしれない。

 だが、それでも構わなかった。

 生き延びるためには、そうするしかなかった。


 その姿に、ヴァルターは感心したように声を上げる。


「現実を直視しなさい! そして、抗いなさい! 今、己が成すべきことは何かは分かっているはずです! さあ、さあ!」


 地を這いながら、無様に転がりながら、マシブは何度も殴りかかっていく。

 それは意地のようなものだった。

 どれだけ無様であろうと、生き延びれば勝利なのだ。


 民衆はマシブの姿を見続けていた。

 やがて、一人、また一人と立ち上がり始めた。

 冒険者だけではない。

 戦う力を持たない者たちでさえ、声を上げて魔物に向かっていく。


「――汝が行く道に祝福わざわいあれ」


 そう呟いて、ヴァルターは姿を消した。

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