31話 持たざる者(2)
ゾフィーは時計台にいる男――盗賊の頭領を見据える。
これだけの騒ぎだ。魔法を詠唱したとして、こちらの奇襲に気付かれることはないだろう。
街の至る所から聞こえてくる断末魔を、今は役立てるしかなかった。
幸い、ゾフィーは今日依頼を受けていない。
魔力も万全。であれば、存分に魔法を撃つことが出来る。
下手な魔法を撃っても当てることは厳しいと思っていた。
相手は軽装の上、獲物もナイフが一本のみ。
さらに隠密に長けている。
ブレイドヴァイパーを倒した時のような、一撃の重さは必要ない。
必要なのは、確実に仕留める威力と躱すことが出来ないほどの範囲だ。
であれば、中級程度の魔法を複数撃った方がいい。
ゾフィーは魔力を練り上げると、詠唱を開始する。
「我、千刃の風を以て詠う――旋風刃」
ゾフィーの周囲に浮かび上がる無数の魔方陣。
その全てが、一撃で仕留めるだけの威力を持っている。
暴風のゾフィー・クロッセリア。
彼女がそう呼ばれるに至った理由は、単に彼女の戦い方によるものだ。
生まれ持った強大な魔力に物を言わせ強引に叩き伏せる。
そんな苛烈な戦い方から、暴風と称されるようになったのだ。
一人の人間を殺めるには過剰すぎる魔法。
奇襲であればなおさらだ。
無数の風の刃が盗賊の頭領に襲い掛かる。
だが、次の瞬間――。
「なッ!?」
その姿が、瞬時に掻き消えた。
ゾフィーの放った風の刃は、虚空を切り裂くだけ。
頭領の姿は、どこにも見えない。
まずいと思った。
一度姿を隠されてしまえば、そう簡単に見つけることは出来ない。
もし逆に奇襲を仕掛けられてしまったら、それを事前に察知できるとは思えなかった。
ゾフィーは周囲を警戒するが、騒音がそれを妨害していた。
建物が崩れ落ちる音や、無残に散っていく冒険者たちの断末魔。
逃げ惑う民衆の声や、腹の底に響くような悍ましい魔物の咆哮。
この状況で、一体どうやって奇襲を見破れというのか。
ゾフィーは腹立たし気に舌打ちする。
何もない平原で戦うならば勝機はあったかもしれないが、今は身を潜める場所などいくらでもあるのだ。
つまり、相手の独壇場だった。
ゾフィーは魔力の消耗を惜しまず、次の一手を打つ。
それは精神的にもかなり疲弊する魔法だったが、使わざるを得ない。
「我は風なり。吹き抜ける風も、吹き荒ぶ嵐も皆、我なり――」
シュミットの街に、風が吹き始める。
可能な限り広範囲に。
奇襲を防ぐために、出し惜しみはしていられない。
「此の地こそ――風の支配者」
それは、風の流れから周囲の動きを把握する魔法。
不穏な動きがあれば、すぐに奇襲に気付くことが出来るだろう。
もし陰から忍び寄られたとして、死角は存在しないのだ。
彼女がゴールドまで上り詰めたのは、このオリジナルの魔法があってこそだった。
膨大な魔力を必要とするために常人には扱えない。
ゾフィーでさえも、長時間の維持は困難なほど。
それ故に、戦いを長引かせるわけにはいかない。
だが、シュミットの街全てを把握するということは、この街で起きている悲劇の全てを知ってしまうということだ。
死に行く者の最後、残された者の悔しさ。
そして、マシブが母親を失う瞬間を知ってしまい、愕然とする。
これが災禍の日。
生半可な力では生き延びることさえ許されない。
シルバーの冒険者であるマシブでさえ逃げ惑うことしかできないのだ。
であれば、これを生き延びられるだけの力を持つ者はどれだけの力を持っているのだろうか。
黒鎖魔紋は、どれだけ恐ろしいものなのだろうか。
ゾフィーの魔法が、不審な動きを察知する。
ナイフを投擲するような構え。
間違いなく、盗賊の頭領だ。
ちょうどゾフィーの後方にある建物の屋根にいるようだった。
気配も殺気も全く感じられない。
風の支配者を発動して、ようやく微かな違和感に気付けたくらいだ。
ゾフィーは隙を見て反撃しようと、魔力を練り始める。
先ほどは数で圧倒しようとしたが失敗してしまった。
であれば、今度はそれ以上に威力と数を高めればいい。
風の支配者を解除し、ゾフィーはナイフが投擲されるのに合わせて振り向き――魔法を放つ。
「切り裂け――暴風刃」
過剰とも言えるほどに魔力を込めて、魔法を放つ。
無数に生み出された風の刃が、今度こそ盗賊の頭領を仕留めるかと思われた。
しかし――。
「嘘ッ!?」
投擲されたナイフは一本ではなかった。
正確には、ナイフを象った魔法が放たれていた。
赤黒い無数の刃が、ゾフィーの魔法を全て貫通して飛来する。
咄嗟に魔法障壁を張って身を守ろうとするも、ナイフは容易く貫いてきた。
身を捻って躱すも、一本が右腕に刺さってしまい、何本かが体に掠ってしまう。
ゾフィーは体に微かな痺れを感じた。
出血や痛みによるものではない。
麻痺毒によるものだと、すぐに気づくことが出来た。
じきに動けなくなってしまう。
身動きの取れなくなった魔導士など、ただの的にしかならない。
ゾフィーはそう感じていたが、盗賊の頭領は興味を失ったようにその場から去っていく。
なぜ自分を殺さないのか。
ゾフィーは問うことは出来なかった。
そもそも初めから、自分は彼にとって脅威にはなっていなかった。
魔法を撃っても当てることはかなわず、全力の魔法を撃っても撃ち負けてしまう。
それに、彼はナイフを投擲する動作をしながら魔法を発動した。
風の支配者の効果に勘付いて、さらに駆け引きまで仕掛けてきたのだ。
ゾフィーはそれに騙され、戦闘の継続が困難な状態に陥ってしまった。
それだけ差がある相手に興味を失うのは当然のことだろう。
黒鎖魔紋を持つ者は、これほどまでに強いのか。
ゾフィーは愕然とする。
そして同時に、自分が危険な状態にあることを思い出す。
麻痺毒にかかってしまったのだ。
この状態では押し寄せる魔物の間を潜り抜けて逃げ出すこともかなわない。
今の彼女にできるのは、街の中央にある広場に逃げるだけだった。
「あたしとしたことが、こんな下手を打つなんてね……」
相手の力量を見誤るのは、戦場において命取りだ。
ゾフィーは心のどこかで黒鎖魔紋の力を侮っていたのだ。
生まれ持った才能と積み重ねてきた実績。
それが今、完膚なきまでに打ちのめされた。




