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狂槍のアイン  作者: 黒肯倫理教団
序章 血餓の狂槍
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3話 理不尽な選択

 心地よい夢を見ていたような気がしていた。

 湖の畔で草花を愛でているときのような、穏やかな感覚。

 悩みも何もかもを忘れ去って、ただ心地よさを享受していたかった。


 切り株に腰掛けるアインの傍で――また赤黒い花が咲く。


 次々と、足元から死の息吹が広がっていく。

 辺り一面が赤黒い花に覆われる。

 咲かせたのは、アインだ。


「――ッ!」


 意識が覚醒する。

 ここはどこだ。自分は何者か。

 落ち着いて、ゆっくりと考える。


 そう、確か自分は――。


「私、私が……」


 思い出したくなかった。

 あれは別人。自分ではない。決して違う。

 あんな残虐なことをする人間が、自分だなんてありえない。


 混乱するアインだったが、その体は確かに覚えていた。

 噎せ返るような濃い血の匂い。刃で肉を断つ感触。

 そして、無力なオークを蹂躙する快楽。


「違う……あんなの私じゃない」


 絶対に違う。断じて違う。自分はただの村娘だ。

 あんな異常な力など持たない、ただ平穏を望むだけの少女のはずだ。

 決して、自分は血に飢えた獣ではない。


――ならばなぜ、自分は獣のように鎖に繋がれている?


 手足に木製の枷にかけられて、暴れられないようにされていた。

 そして、首にはひんやりとした感触。凶暴な獣を捕らえておくための首輪が、なぜ自分に付けられているのか。

 枷には何らかの術式が刻まれているのか、外そうとしても体に上手く力が入らなかった。


 なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか。

 思い出すのは、死の間際に聞こえたあの言葉。


『――汝の行く道に祝福わざわいあれ』


 邪神の祝福。

 悪しき神々を崇める者に与えられる洗礼。

 それがなぜ自分に聞こえたのか、アインにはわからなかった。


 しかし、アインの右手の甲に浮かび上がった黒い痕。

 それは忌み嫌われる邪教徒の証、黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカ

 これを持つ者は強大な力を得ると同時に、過酷な運命に放り出されるという。


 そしてこれは、魔物を引き寄せるとも言われていた。


「私が……私の、せいで……?」


 であれば、村にオークを引き寄せたのは自分ではないか。

 そんな恐怖がアインを襲う。


 脳裏に浮かぶのは村の惨状。

 オークの襲撃によって蹂躙される人々。

 村の自警団の奮戦も空しく、大勢が死んでいく光景。


 それを引き起こしたのが自分だとしたら、アインは耐えられそうになかった。


 考えても恐怖が増すばかりだった。

 首筋に感じる枷の冷たさだけが現実味を帯びていて、そしてまた、それがあの悪夢が現実であったことも突き付けてきていた。

 恐怖のあまり逃げ出そうとしても、手足の枷がそれを許さない。


 そうしてどれだけの時間が経っただろうか。

 アインの耳に足音が聞こえてきた。

 冷たい石壁の独房に入って来たのは、酷く冷たい目をした背の高い女性だった。


「……ほう」


 女性はアインを見るなり、感心したように息を吐いた。

 その顔に浮かんでいるのは少しばかりの興味心と、酷く残酷な嗜虐心。

 一目見て危険な人物だとアインは感じた。


「あなたは、誰なの?」


 恐怖を押し殺してアインは尋ねる。

 村では見たことのない人物だった。

 純白の包囲を身にまとっている姿は教皇庁の司祭のようにも思えたが、腰に下げた剣を見れば騎士のようにも見えた。


 アインの問いに対し、女性は返事もせずに無言で歩み寄ってきて――アインの腹を蹴り上げた。


「――がはッ!」


 蹴り上げられた衝撃で胃液が逆流し、吐き出してしまう。

 痛い。苦しい。怖い。

 恐怖が増していく。


「な、なんでこんな事を……」


 その問いに対する返答は、平手打ちだった。

 頬がズキズキと熱をもっていた。


 怖い。目の前にいる女性が、恐ろしい。

 無言で理不尽な暴力を浴びせられ続け、アインの心は完全に折れてしまっていた。


 そして何より、徐々に熱を帯びていく女性の吐息が恐ろしかった。

 人をいたぶって悦を感じる女性が理解できなかった。

 無力な存在を蹂躙することの、何が楽しいというのか。


「――ッ!」


 アインは気づいてしまった。

 自分は、この女性と同じことをしていたのだと。

 オークの命を奪う度に感じていた快楽は、同質のものであると。


 アインの僅かな表情の変化を見て、女性はニヤリと笑みを浮かべる。


「気づいたようだな」

「気づいたって、なにが……」

「貴様はこういう存在だ。わかるだろう?」


 自分は、どういう存在なのか。

 それは右手に浮かぶ黒い痕を見ればわかる。

 邪神の祝福を受けるような、酷く残虐な存在なのだと。


「邪教徒は死すべし。これは神の御意思だ」

「でも私は、邪神なんて崇めてない!」

「黙れ」


 再び平手打ちをされ、アインは恐怖で黙るしかなかった。

 手足の枷が、アインに抵抗することを許さない。


黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカを持つ者は生きていることさえ許されない。なぜかわかるか?」

「わ、わかりません……」

「それを持つ者は、災いを呼び寄せるからだ。そしてその災いは、周囲にいる者を危険にさらす」


 であれば、オークの群れの襲来も自分のせいではないか。

 アインは自分を責めるも、同時に理不尽だとも思った。


「なんで、こんなものが私に」

「言っただろう? 貴様はそういう存在だ。だから黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカが浮かび上がった」

「私はこんなこと、望んでないのに……」

「本当に望んでいないというなら、それを証明してみせるといい」

「証明なんて、どうやってすれば」

「簡単なことだ。死を選べばいい。その穢れた魂を捧げ、邪教徒ではないと証明するのだ」


 死を選ぶ。それだけで、自分の意思ではないと証明できる。

 それは悪魔の囁きだった。


「貴様はこの場で処刑する。そうすれば、貴様が邪教徒ではないと証明できる」

「私が、死ぬ……」

「そうだ。貴様は死ぬ。いずれ黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカの引き寄せる災いで死ぬならば、今ここで死を選ぶ方が賢明だろう。そうすれば、もう誰の命も奪うことはない」


 他人の命を奪ってまで生きていきたいとは思えなかった。

 しかし同時に、アインは死にたくないと思った。


 それはあまりに理不尽な選択。

 まだ十六のアインには残酷すぎる話だった。

 恐怖で涙が溢れてくるが、泣いたところで赤子のように解決するわけではない。


「……私は、死にたくない」


 その呟きは、勢い良く扉を開ける音でかき消された。


「アインッ!」


 入って来たのはアインの両親だった。

 そして、鎖に繋がれた痣だらけのアインの姿を見て愕然とする。


「なんということを……」


 温厚な父親の拳は、怒りに震えて固く握られていた。

 いつも優しい母親の顔は、悲しみに歪んでいた。


「貴様ら、なぜここへ来た。来るなと言ったはずだが?」

「司祭様。どうか私たちの娘にご慈悲を。彼女は敬虔な信徒です」

「であれば、この魔紋はどう説明する?」


 アインの右手に浮かぶ黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカ

 それは邪教徒の証。

 それに対する反論など存在しない。


「アインは優しい子なんです。災いなんて、そんな恐ろしい存在ではありません。アインは……」

「――もういい」


 アイゼルネは腰に下げた剣を抜刀する。

 何をするかと思えば、その剣をアインの首筋にあてた。


「な、なにを……」

「羽虫共のせいで気分が悪い。だが、折角だ。奴らの前で殺してやるのも、悪くはない」


 そう言って嗤うアイゼルネの姿は悪魔のようだった。

 首筋に強く押し当てられた剣がアインの恐怖をあおる。

 死にたくない。だが、どうする事も出来ない。


「や、やだ……私、死にたくない。死にたくないよ……」


 泣きじゃくるアインだが、それで慈悲を与えるほど目の前の女は優しくはない。

 アイゼルネはゆっくりと剣を持ち上げ――容赦なく振り下ろした。


 血飛沫が上がる。

 しかし、痛みはない。

 なぜならば、アインの目の前には父親がいたからだ。


「アイン……すまな、い……」

「あ、あぁ……」


 目の前で、父親が崩れ落ちる。

 もうすでに息はない。彼はもう、この世にはいない。

 身を挺して自分の娘を守った父親を、アイゼルネはつまらなさそうに見つめる。


「くだらん」


 そう言って、もう一度剣を持ち上げる。

 死の恐怖にアインは目を瞑るが、しかし、その剣が振り下ろされることはなかった。

 恐る恐る目を開けると、アインの母親がアイゼルネの腕にしがみついているのが見えた。


「お、お願いです! どうか娘を見逃してください! この子は、何も悪いことなんてしていないじゃないですか!」


 必死に慈悲を請う。戦う力のない彼女には、それしかアインを救う方法がなかった。

 もし剣が振り下ろされるようならば、彼女もまた、同様に身を挺してアインを守ることだろう。


 その行為さえも、アイゼルネにとっては無意味だった。

 心底不快そうに舌打ちをすると、強引に引き剥がして腹を蹴り上げる。

 苦痛に呻き地に転がる母親にさえ、アイゼルネは容赦しない。


「私を煩わせるな」


 そして、一閃。

 たったそれだけで、一つの命が奪われた。

 アインの両親はもう、この世にはいない。


「あぁ……。お父さんが……お母さんが……」


 ただただ恐ろしかった。

 自分が何をしたというのか。

 ただ普通に、平穏に暮らしていたかっただけだというのに。


 得体のしれない黒い感情がアインの心に渦巻く。

 許さない。絶対に許さない。

 この手で殺してやりたい。


 しかし、振り返った女性の表情は悪魔のように恐ろしいものだった。

 今の自分では到底及ばない。

 そんな強者としての威圧感があった。


 だから、どうしようもないのだ。

 両親の死体を部屋の外に蹴り出す姿を見せつけられても、今のアインはただ涙を流すことしかできなかった。


「興が削がれた。貴様の処刑は、教皇庁で行うことにする」


 そして、アインは枷にかけられたまま馬車に押し込まれた。

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