29話 依頼完了
盗賊たちの襲撃を退け、ようやくエリュアスに到着する。
ウィルハルトが馬車を停めると、アインとエミリアは馬車の外に出た。
潮風の香る港町。
他国との貿易の拠点ともなっており、シュミットの街へ流れる交易品はほとんどがエリュアスからのものだ。
海を跨いで他の大陸に行くことも可能だが、それだけの長距離を航行するような船は一般人が手を出せるような値段ではなかった。
アインはいずれ他の大陸にも行ってみたいと考えていた。
冒険者として生きていくならば、もっと広い世界を見てみたい。
そして、様々な物に触れて成長したいと思っていた。
街並みを眺めて感傷に浸っていると、ウィルハルトから声をかけられる。
「アイン殿。エリュアスに着いたので、こちらを」
手渡された革袋には、依頼書の通り金貨五枚が入っていた。
ずっしりと重みを感じる。
アインは自分が報酬に見合った働きを出来ていただろうかと考えていた。
シュミットからエリュアスまでは、盗賊の襲撃があったものの半日程度しかかかっていない。
盗賊の頭領の奇襲を防げたとはいえ、仕留めることはできなかった。
報酬が良いに越したことはない。
だが、少し貰いすぎてしまっているような罪悪感があった。
だが、ウィルハルトは首を振る。
「頭領は我々の想像する以上の手練れでした。アイン殿が奇襲に気付けなければ、かなりの被害が出ていたかもしれませぬ」
相手は黒鎖魔紋を持つ者。
魔力も身体能力も常人よりも遥かに高いのだ。
魔剣を持っているウィルハルトでさえ、自分一人では敵わないかもしれないと考えていた。
「隠密に長けた相手にとって、奇襲を見破られることほど危険を感じることはないでしょう。あの場で即座に退いたのも、アイン殿の力あってのことです」
「ウィルハルトさん……」
もし奇襲を許してしまえば、体勢を整える間もなく戦闘が始まってしまう。
相手は奇襲を見破れなかった程度の相手だと思い、臆することなく仕掛けてくるはずだ。
黒鎖魔紋の力を存分に使って暴れられてしまったならば、何人が命を落とすか分からない。
「それに、アイン殿は報酬に見合った実力を持っていると思いますぞ。同額を出して、アイン殿ほどの護衛を探すのはなかなか難しい。それに……」
ウィルハルトはエミリアの方に視線を向ける。
上機嫌な様子を見れば、アインを雇ったことが間違いということはあり得ないだろう。
「お嬢様も、アイン殿を気に入っているご様子。ですが……共に行くことが出来ないということだけは、少々残念ですな」
アインには黒鎖魔紋がある。
それを持つことは罪ではない。
しかし、それが呼び寄せる災いは、善悪問わず巻き込んでいくのだ。
誰かと共に旅をすることはできない。
アインも孤独は嫌だった、
しかし、旅の仲間を作ることを黒鎖魔紋が許さない。
誰かと共に旅をするということは、誰かの命を危険に晒すということ。
災禍の日を常人が生き延びることはできない。
アインの命を救ったと同時に、一生苦しめ続ける存在。
邪神はなぜ、アインを選んだのか。
いかなる理由があって、黒鎖魔紋を与えたのか。
浮かない表情のアインに、エミリアが声をかける。
「共に旅が出来ないとしても、いずれどこかでまた会えるわ。貴女も冒険者なのだから、各地を旅していれば偶然ばったり、なんてこともあるかもしれない」
やはり、この依頼を受けてよかった。
アインは心の底からそう思えた。
こんなにも良い人たちと巡り合うことが出来たのだから。
「ふむ……。お嬢様、そろそろ船の時間です」
「あら、随分と早い。せっかくエリュアスで新鮮な海の幸を楽しみたいと思っていたのに」
エミリアは残念そうに肩を落とす。
そして、アインに向き直る。
「それでは、失礼。またいずれ、どこかで」
そして、エミリアたちが船の方に向かっていく。
アインは後姿が見えなくなるまで見送ると、この後どうするか考える。
今から帰れば、日が沈む頃には到着するだろう。
だが、せっかくエリュアスにまで来たのだから、どこかで新鮮な海の幸を味わうというのも良いかもしれない。
ずっと村で育ってきたアインにとって、海鮮料理はなかなか食べることのできない御馳走だ。
シュミットに帰るのはその後でもいいだろう。
アインはそう考え、評判の良い料理屋を探し始めた。
◆◇◆◇◆
日が沈む頃、シュミットの街ではマシブが依頼を終えてギルドに来ていた。
簡単な討伐依頼を幾つかこなして、完了報告を行う。
「よっしゃ、これで今日の酒代が稼げたぜ!」
受け取った革袋を嬉しそうにしまうマシブに、受付嬢が呆れたようにため息を吐く。
「マシブさん、またお酒ですか? 飲みすぎは体に良くないですよ」
「おいおい、俺だっていつも酒を飲んでるわけじゃねえって。今日は母ちゃんの誕生日だから、良い葡萄酒でも買おうと思ってるんだ」
「あ、そうだったんですね! 私ったら、すいません」
凶悪な顔つきからは想像も出来なかったが、マシブは母親を大切にしていた。
幼い頃に父を病で失ってから、宿を経営しつつ女手一つで育て上げてくれたのだ。
マシブはそんな母親のことを尊敬していた。
「そういえば、今日はアインを見ねえな。なんか依頼でも受けてるのか?」
「護衛依頼でエリュアスまで行ってますよ。たぶん、もうしばらくしたら帰ってくると思いますけれど」
シュミットからエリュアスまで、往復で考えると既に帰ってきていておかしくない時間帯だった。
より道でもしているのだろうかとマシブは思った。
ギルドを出ると、既に空には月が輝いていた。
地平線のあたりはまだ赤かったが、それもすぐに黒く染まっていく。
異変を感じ取れたのは、彼が冒険者として生きてきたからだろう。
街の人々はほとんどが気づいていない。
迫り来る、悍ましい魔物の気配に。
そして、悪夢のような夜が幕を開けた。




