27話 襲撃者
エリュアスに到着するまで半刻ほどといったところで、ウィルハルトは賊の気配に気づく。
道は整備されているものの、林の中ではその姿を捉えることは出来ない。
盗賊の気配をいち早く察知したウィルハルトがメイドたちに指示を出す。
彼が感じる限りでは、賊の数は三十人ほど。
中には手練れも紛れているらしく、全てを把握しきることは厳しかった。
エミリアの乗る馬車を守るように、メイドたちの馬車が四方を囲む。
これで、矢が飛んできたとしても早々危険はないだろう。
ウィルハルトは後方を警戒するため、後ろの馬車に飛び移った。
恐らくは近辺で好き放題している盗賊だろう。
ウィルハルトは黒鎖魔紋を持つ頭領が現れることを警戒し、腰の魔剣『反鏡』に手をかけた。
名馬であろうと、馬車を引いているのでは盗賊を撒くことは難しい。
相手もそれなりの馬を用意してきたらしく、敵に追い付かれるのは時間の問題だった。
ウィルハルトは地図を確認する。
少し進んだ所に開けた空間があり、盗賊を相手にするならばそこが良いだろうと考えた。
問題は、そこにたどり着くまで盗賊たちを近付かせないことだ。
これほど厳重な警戒をしている馬車に襲撃を仕掛けるのであれば、相手も相応に腕の立つ者がいることだろう。
ウィルハルトは最大限の警戒をしつつ、盗賊が姿を現す時を待つ。
背後から迫る蹄の音が、徐々に鮮明になっていく。
ピリピリとした殺気を肌に感じつつ、ウィルハルトは構える。
微かな風音。ウィルハルトはそれを見逃すことなく抜刀する。
甲高い金属音と共に、飛来した矢が彼方へ飛んでいった。
そして、ウィルハルトは警戒心を高める。
「毒矢、ですな……」
先ほど矢を弾いたとき、彼の目は先端に毒が塗られていることまで見抜いていた。
盗賊がどれだけ用意してきたかは分からないが、本来であれば多用できるものではない。
矢を用意することも手間がかかるが、それ以上に戦闘に用いる毒薬は高価だった。
安堵する間もなく、次々と矢が飛来する。
ウィルハルトはその全てを叩き落とし――驚愕する。
全ての矢が毒を塗られていたのだ。
致死性の毒ではないだろうが、掠りでもすれば体力を奪われてしまうことだろう。
敵の数を把握しきれていない今、毒矢を受けてしまうことはなんとしても避けたかった。
だが、かといって矢を避けてしまえば、場合によっては馬車の窓から矢が突き抜けてしまう可能性がある。
「ウィルハルトさん、私も戦います!」
「アイン殿は、もう暫し辛抱くだされ!」
一瞬たりとも気を抜けない状況。
ウィルハルトは魔剣『反鏡』を鬼の形相で振り続ける。
しかし彼は、まだアインを外に出そうとはしなかった。
アインの得物は槍だ。
一方的に遠距離から矢を受けている現状では、無駄に的になってしまうだけである。
開けた空間にたどり着くまで、なんとしてでも彼とメイドたちだけで凌ぎきらなければならなかった。
一向に減る気配のない毒矢に焦れたのか、馬車の中からエミリアが声を上げる。
「ウィル、伏せなさい!」
「しかしお嬢様!」
「早くッ!」
主の命令であれば、ウィルハルトは逆らうわけにもいかない。
馬車の中から姿を現したエミリアが目を妖しく光らせた。
「塵芥さえ残すことは赦さない――終焉の落日」
それは、まるで太陽が天から落ちてきたかのようだった。
しかもそれは、夕闇を思わせるような朱色と黒色が混ざりあった炎。
その光景を見る者は皆、等しく絶望を感じることだろう。
それは、明らかに異常な魔法だった。
アインが知る限りで最も強い魔導師であるゾフィーでさえ、これほどの規模の魔法を行使することは出来ないだろう。
それだけの大魔法を、エミリアは僅かな詠唱だけでやってみせたのだ。
だが、おかしいのはそれだけではない。
魔法が発動する際、アインは黒鎖魔紋と似たような気配を感じたのだ。
エミリアの手に魔紋はない。
しかし、気配は確かに感じていた。
自分にも同質の魔力が流れているのだから、見紛うはずもないのだ。
魔法が炸裂する様子を恍惚と眺めている姿は、やはり│黒鎖魔紋を発動した自分と似ている。
アインはそう思ったが、尋ねる前にウィルハルトが声を上げた。
「森が開けますぞ!」
そして、馬車を停止させると同時にアインが外に飛び出した。
動いている馬車の上では槍は振るえないが、今ならば存分に暴れることが出来る。
魔槍『狼角』を構え、後方を警戒する。
エミリアの魔法によって敵の数をかなり減らすことが出来たものの、やはり相手も一筋縄ではいかないらしい。
煙の中から次々と盗賊たちが現れる。
ウィルハルトとメイドたちが迫ってくる盗賊たちに目を向けている中、アインは別の方向から凄まじい速度で迫ってくる気配に気づく。
咄嗟に槍を突き出すと、僅かに肉を断つ感触があった。
現れたのは、浅黒い肌をした男だった。
手元には魔紋の浮かび上がったナイフが握られている。
間違いなく、盗賊団の頭領だった。
彼は鋭い殺気を放ちながら、アインの事を驚いたように見ていた。
「テメェ、なんで気づけた」
よほど自分の隠密に自身があったのだろう。
黒鎖魔紋の影響もあるだろうが、怒りで我を忘れているように見えた。
アインは槍を構えながら、男に問う。
「あなたは、なぜ黒鎖魔紋を持っているの? なんで盗賊になったの?」
聞かなければならなかった。
男に事情があったのならば、殺さずに済むかもしれない。
そんな願いは、容易く打ち砕かれた。
「なんで、だと? 笑わせんなよ。テメェが貴族の犬をやって稼いでるみてぇに、俺も盗賊として稼いでンだよ黒鎖魔紋だって、都合の良い道具でしかねェ」
「ただ略奪するために、黒鎖魔紋を使っているの?」
「あァ。文句でもあンのか?」
その瞬間、アインの覚悟が決まった。
目の前にいる男は悪人だ。
自分のために黒鎖魔紋の力を使う最低の人間だ。
殺さなければ、他の誰かが犠牲になってしまう。
であれば、自分も冒険者として殺す覚悟をしなければならない。
決して情けをかけてはならない。
そう考え、アインが槍を構えるが――。
「チィッ!」
頭領は自分の手下が全滅したことに気付き、即座に身を翻した。
アインが追おうとするも、黒鎖魔紋の力を解放している相手に追いつくことは難しい。
一先ずは護衛としての役割を果たせたのだと、アインは納得する。
「アイン殿。そちらの襲撃に気付けず申し訳ない」
戦闘を終えたウィルハルトがアインに頭を下げる。
だが、アインは慌てて首を振った。
「私も護衛ですから。気づけたのだって偶然のようなものですし」
「そう、ですか。いずれにせよ、見事な腕前でした」
ウィルハルトから称賛され、アインは照れたように頬を掻く。
だが、一つ忘れてはならないことがあった。
「エミリアさん」
アインは馬車の中にいるエミリアに声をかける。
彼女もまた、それを尋ねられることを分かっていたようだった。
先ほどの大魔法。
あれは明らかに異常なものだった。
その正体を、アインは口にする。
「あれは黒鎖魔紋の力ですよね? なんで、あれを使えるんですか?」
その問いに、エミリアは自身の右手を馬車の窓から出してアインに見せた。
そこには、妖しい光を放つ指輪があった。




