26話 エミリアの過去
大陸でも強国として知られるランドハルト王国。
その国の中で最も強い発言力を持つのがスカーレット家だった。
スカーレット家は建国時から名門であり、王室からの信頼も厚い。
伯爵の位を賜り、広大な領地を上手く経営してきた。
鉱山等の資材に恵まれていたため、王国の発展にも大きく貢献してきていた。
幾度となく繰り返されてきた戦乱の世。
ランドハルト王国が今の時代まで強国であり続けられたのは、スカーレット家の功績が大きいだろう。
戦の度に先陣を切って敵軍を蹴散らし、また敵軍が攻め込んできた際も堅牢な守りで抑えきって見せた。
数々の武功を重ねてきており、筆頭貴族として国内外に知られていた。
第三十七代当主であるエミリアの父は、非常に頭の切れる男として評判だった。
領地経営においても戦場指揮においても一流。
若い頃から頭角を現し、隣国との戦争の際には画期的な戦術を編み出して少数の兵で大軍を返り討ちにしたという逸話も残っている。
そんな彼だったが、最愛の妻を病で失ってしまう。
あまりにも早い妻の死で彼は落ち込んでいたが、彼には最愛の妻が残した娘エミリアがいた。
彼はエミリアに辛い思いをさせまいと必死になって仕事に努めた。
そして、時間があるときにはエミリアの望むことを何だって聞いた。
良い貴族であり良い父親でもあった彼は、エミリアにとって尊敬できる父親だった。
だが、悲劇が起きた。
時間の余暇を使ってエミリアと外出した時、馬車が賊の襲撃を受けたのだ。
それがただの賊なのか、あるいは他国の暗殺者なのかは未だに不明。
唯一分かっていることと言えば、襲撃者は手練ればかりだったことだ。
当時、護衛にはウィルハルトも参加していた。
かつてはスカーレット家の私兵を束ねる将として戦地を駆け回り、今は執事兼護衛役として側に仕えていた。
腕の立つ彼ならば賊の類は相手にもならないだろう。
代々伝わる魔剣『反鏡』はその時は持っていなかったが、それでも十分すぎるほどの腕前だ。
今回もウィルハルトによって殲滅されるだろうと思われていた。
事態が急変したのは、ウィルハルトが戦闘を開始してすぐの事だった。
敵の数があまりに多すぎる。
斬っても斬っても全く数が減らないほどで、彼一人で相手にするには厳しい数だった。
もしウィルハルト一人であれば、多少の傷を負ってでも生き延びることはできただろう。
しかし、今の彼は馬車の中にいる主とエミリアを守らなければならない。
馬車の全方位を守りながら大勢を相手取ることは、さすがの彼にも厳しかった。
このままでは娘の命が危ない。
エミリアの父はウィルハルトだけに任せるわけにはいかないと、自身も剣を持って躍り出た。
達人とまではいかずとも、彼も剣の腕には自信があった。
賊を相手に打ち合う程度ならば問題はないと考えていた。
しかし、現実は非常だった。
彼の剣は賊に通用せず、数の差に圧倒されて捕らえられてしまった。
もはや成す術がない。
娘を助けたいが、それさえも叶わない。
彼の中は、もう家族を失いたくはないという悲しみで溢れていた。
そんな彼の願いが届いたのだろうか。
彼の声に、神が応えた。
ぞっとするような悍ましい声で、邪神が囁いたのだ。
そして、彼は狂った。
右手に刻まれた黒鎖魔紋から、黒い鎖の魔紋が全身を縛り付けるかのように広がっていった。
そして、闇で象ったような昏い剣を片手に賊たちを瞬く間に殺し尽くしてしまった。
幼いエミリアにとって、それは悪夢のような光景だった。
最愛の父親が狂ったように剣を振るう姿。
まるで御伽噺の悪魔が目の前に現れたような気がして恐ろしかった。
しかし、エミリアは目を背けようとしなかった。
酷く残虐な父の姿を見て、それでも彼は自分の父親なのだと思った。
彼は狂ったように剣を振るっていた。
だが賊が馬車に近づくと、エミリアを庇うように戦っていた。
やがて全てが片付いた時、正気に戻った父親は真っ先に自分の右腕を切り落とした。
自分が黒鎖魔紋を持っていると知られてしまえば、娘のエミリアまで邪教徒であると疑われてしまう可能性があったからだ。
もし誰かに密告されてしまえば、教皇庁に処刑されてしまうことだろう。
右手を失った激痛に呻いていたが、しばらくして異変が起きた。
黒鎖魔紋が彼の左手に浮かび上がったのだ。
これを再び切り落としたところで、別の場所に浮かび上がってくることは目に見えていた。
エミリアの父は手袋を付けて生活していたが、やはり隠しきることは不可能だった。
誰が気づいたのかは分からない。
誰が教皇庁に密告したのかもわからない。
ただ、彼が処刑されたという事実だけが残っている。
◆◇◆◇◆
全てを語り終えると、エミリアは大きく息を吐いた。
幼い少女にとってあまりに残酷な悲劇。
アインは話を聞き終えて、何も言うことが出来なかった。
「わたくしは、教皇庁に何度もお父様の処刑をやめてほしいと訴えましたわ。お父様はわたくしを守るために黒鎖魔紋を得てしまった。だというのに、邪教徒だと決めつけて処刑をするだなんてあんまりですもの」
エミリアは悲しげに言う。
結局彼女は父を助けることができなかった。
教皇庁は黒鎖魔紋を持っているだけで死刑の対象とする。
それがこの世界においての常識であって、反論することは許されない。
なぜなら、それは災いを呼ぶ魔紋とされているからだ。
「黒鎖魔紋は確かに災いを呼び寄せる。それは事実ね。これまでに黒鎖魔紋の引き寄せた災いで滅びた町や村は数えきれないもの。そして、それを与える邪神という存在を崇める邪教徒がいるのもまた事実。邪教徒が行っていることは、酷く残虐で許されるものではないわ」
エミリアは「けれど……」と続ける。
「だからといって、お父様のような罪のない人まで殺めるのは間違っているわ。望んで黒鎖魔紋を得たわけでもなく、悪用したわけでもない。教皇庁はそんな人でさえ殺めてしまう」
今の彼女を突き動かすもの。
それは、今の世界に対する欺瞞だった。
過剰なほどの異教徒の弾圧。
その裏になにかあるのではないか。
黒鎖魔紋を執拗に狙う理由があるのではないのか。
「アイン、貴女は教皇庁についてどう考えているの?」
再度投げかけられた問い。
エミリアは恐らく、黒鎖魔紋を持っていると知っても密告はしないことだろう。
アインが正直な気持ちを話そうと口を開いた時――。
「お嬢様、襲撃者です!」
御者台のウィルハルトが声を上げた。




