22話 溺れる
アインは一人、夜の街を彷徨っていた。
その手に握られているのはブレイドヴァイパーと盗賊の討伐報酬だ。
冒険者としてはごく当たり前のものだったが、アインにとっては意味が違う。
普通の冒険者は、魔物が相手であろうと盗賊が相手だろうと真剣に戦う。
命のやり取りを生業としているのだから当然だろう。
マシブでさえ、盗賊の命を奪う時は嫌そうな顔をしていた。
ゾフィーも必要に迫られれば容赦なく盗賊を殺すが、好き好んで命を奪っているわけではない。
二人とも、冒険者として生きていくために命を奪っているのだ。
だというのに、自分はどうだろうか。
アインは自分の右手を見つめる。
白い皮手袋の中には黒鎖魔紋が隠れている。
魔物を相手にしたとき、アインは殺し合うことに価値を感じてしまった。
ラースホーンウルフの時も、ブレイドヴァイパーの時も。
戦いの中で、気分が高揚していた。
まだ、それだけならば構わない。
冒険者として生きていくことを考えれば、そうして楽しめた方が幸せなのかもしれない。
死闘の中に恐怖を見出してしまったならば、体は思い通りに動いてくれないのだ。
であれば、戦闘狂と呼ばれるくらいが丁度良いのかもしれない。
だが、アインは違った。
盗賊に不意を突かれたゾフィーを助ける時、アインは喜びを感じてしまったのだ。
仲間を助けたことに、というわけではない。
盗賊の命を刈り取ったことの、魂が震えるような背徳感。
槍を伝って来た血の生暖かさは今でも忘れられない。
普通の村娘として生きてきたアインにとって、その感覚は異常という言葉だけでは足りないくらいだった。
きっと彼にも人生があったのだろう。
もしかすれば、盗賊にならなければならないような事情があったのかもしれない。
逃亡奴隷か、それとも傭兵崩れか。
あるいは、崩落した国の騎士だった、なんていうことも有り得る。
盗賊の命を刈り取った時の快楽は、幼少期に積み木で作った塔を崩した時に似ていた。
必死になって積み重ねてきたものを打ち砕く。
そんな狂気的な衝動が、自分の内に秘められているのだ。
盗賊の頭領も黒鎖魔紋を持つという。
アインは盗賊の事を許せないと思っていた。
それは、確かに感じていたことだ。
しかし、実際はどうだろうか。
自分は盗賊たちと変わらないのではないのか。
むしろ、命を奪って喜びを感じる自分の方がおかしいのではないのか。
アインは考えるのが嫌になってきていた。
これ以上考えたところで、良い結果は生まれそうにない。
だが、どれだけ気を紛らわそうとしても悪い考えが頭から離れなかった。
それが腹立たしくて、アインは機嫌が悪かった。
いつの間にか、アインは冒険者ギルドの前にまで戻ってきていた。
それだけ長く考え事をしていたのだろう。
アインは宿に戻ろうかと思い、ふと、視界の端に映った酒場に興味が惹かれた。
以前は情報収集のために、と酒場に向かった。
だが今は、純粋に嫌なことを忘れたいと思っていた。
強い酒を飲めば、気分もよくなるだろうか。
そう思って、アインは酒場に足を踏み入れた。
案の定、酒場の客たちはアインの姿を見て大人しくなった。
客たちの視線を感じるが、どれも恐れるような視線ばかり。
前回のような、好奇の目は感じられなかった。
アインがカウンター席に着くと、店主が注文を聞きにやってきた。
そして、殺気立っているアインを見て冷や汗を垂らす。
「お、お嬢さん。もう少し、殺気を抑えてくれないかな?」
そう言われるが、歴戦の冒険者であればともかく、今のアインには殺気を抑える方法が分からない。
嫌な考えが頭から離れず、その不快さが表に出てきてしまっていた。
「ねえ、なにか良いお酒はない? 嫌なことを忘れられるような、強いやつ」
「強いやつ、ねえ。お嬢さんは飲み慣れてなさそうだし、もっと軽いやつにした方が……」
「私は強いお酒が飲みたいの」
店主は躊躇うも、機嫌の悪そうなアインを見れば否とは言えなかった。
そして、店の奥から一本の瓶を持ってきた。
「これは火竜の酒といって、竜をも酔わせる強力な酒だ。それに、相応に高価だからね。飲むなら、水割りを一杯だけにしておいた方が……」
店主の言葉を遮るように、アインはカウンターに銀貨の入った革袋を置く。
それは今日の稼ぎの全て。火竜の酒を一瓶まるごと買うには十分すぎる金額だった。
そうまでされては店主も黙るしかなく、瓶をそのままアインに手渡した。
アインは火竜の酒を受け取ると、それをコップに注ぐ。
水のように透き通って、香りは芳醇。
一気に飲み干すと、燃えるような熱が体中に広がった。
酒の良し悪しが分かるほど飲んでいないアインだが、不思議と美味しく感じた。
体の奥から温まるような心地よさ。
味は少し癖があったが、飲み辛いというほどではなかった。
コップが空になると、すぐに次を注ぐ。
そして、それを一気に呷る。
喉元が焼けるように熱かったが、アインは気にせず流し込んだ。
繰り返している内に、すぐに瓶は空になってしまった。
体を揺すれば、お腹の中でたぷたぷと音が聞こえてくる。
アインは上機嫌になっていた。
これならば、いい気分で眠れるかもしれない。
そう思って宿に帰ろうと席を立つが、体が酷くふらついていた。
酒場を出て、アインは覚束ない足取りでどうにか宿にたどり着く。
気分がふわふわして心地よかった。
このままベッドに入れば、きっといい夢が見られる。
ふらつきながら階段を上がったところで、偶然マシブと出会う。
マシブは声をかけようとして、アインが酷く酔っていることに気づく。
「お、おい、アイン。お前まさか、酒場に行ってきたのか?」
「……うん? そうらけど」
呂律も回らないほどに酔っているらしく、足取りも頼りなく今にも転倒しそうだった。
目もトロンと微睡んでいて、頬も紅潮していた。
今日の事がよほど辛かったのだろう。
マシブはアインを心配するように見つめる。
初めて盗賊を殺した時、マシブもアインほどではないにせよ悩んだことがあった。
だが、アインの悩みはそれだけではないのだろう。
機嫌が良さそうなアインを見て、マシブはどうしていいか分からなかった。
そうこうしている内に、アインはふらふらと部屋に入ってしまった。
廊下に取り残されたマシブは、複雑な表情を浮かべて立ち尽くしていた。




