2話 目覚め
アインが村に駆け戻ると、村がオークの群れに襲撃されていた。
民家は荒らされ、逃げ遅れた村人たちが次々に襲われていく様子が視界に映る。
「酷い……」
目を覆いたくなるような惨状だった。
村の自警団が奮戦しているものの、明らかに人数不足で勝てそうもない。
この村でまともに戦える人間は十人程度。対して、オークの群れは視界に入るだけでも三十体ほどはいた。
このままでは村が壊滅してしまう。
そう思ったアインは、少しでも力になれたらと槍を握りしめた。
「加勢します!」
咄嗟に叫び、アインは槍を片手にオークの群れに駆けていく。
オークと戦ったことはないが、村周辺の魔物を相手に実戦経験も積んでいるのだから問題はない。
そう言い聞かせて、アインは自身の背丈の倍はあろうかという怪物を相手に臆することなく槍を突き出し――。
「――ッ!?」
心臓を狙い、正確に突き出したアインの一撃。
放つ瞬間には仕留めたと確信できるほどの鋭い突きだった。
しかし、結果はどうだろうか。
アインの放った渾身の一撃は、オークの胸元にわずかばかりの傷をつけるだけ。
仕留めるには明らかに威力が足りていなかった。
そこでようやくアインの存在に気付いたのか、オークがゆっくりと視線を降ろす。
そこにいるのは、大した脅威にもならない村娘が一人。
突き出した槍を握る手も震えている。
オークはその姿を見て厭らしく顔を歪め、手に持った棍棒を乱暴に振り下ろした。
アインは咄嗟に身を捻って躱し、後方に飛んで距離を取る。
屈強な戦士ならば受け止められるかもしれないが、平凡な村娘のアインがまともに受けてしまえばひとたまりもないだろう。
棍棒が振り下ろされた地面は酷い有様だった。
額を汗が伝う。
少しでも力になれたらと思って飛び出したが、今のアインでは精々囮になれるくらいだろう。
自分はこれほどまでに無力だったのか。アインは苛立ちを感じた。
オークをじっと観察する。
心臓を狙えないのならば目を狙えばいい。
そう考えるも、アインの背丈ではオークの顔を狙うことは厳しかった。
だが、自警団の皆と連携すればあるいは。
そう思って振り向いたアインだったが、現実は非情だった。
「う、嘘……」
圧倒的な戦力差によって、自警団の人間が次々に叩き潰されていく。
当然の事だろう。アインは知らなかったが、オークは人間が束になってようやく勝てる相手だ。
村の自警団が力を合わせたとして、数体を相手にするのが精いっぱいだった。
多数で取り囲んでようやく倒せる魔物を相手に、しかもこちら側の数の方が圧倒的に少ないのだ。
やれることがあるとすれば、精々時間を稼ぐことくらいだろう。
しかし、それもどこまで耐えられるかわからない状況だった。
自警団の半数は既に殺され、生き残っていたとしても満身創痍。
このままではオークの群れを足止めすることさえできない。
ふと、今朝の父親の話を思い出した。
隣村が魔物に襲撃された際、たまたま通りがかった教皇庁の兵がこれを救ったことを。
時期的に考えて、今この付近を通りがかっていてもなんら不思議ではない。
であれば、自分はどこまで時間稼ぎをできるか。
攻撃が通用しない今、アインはどうにかしてオークたちの足止めをするしかなかった。
少なくとも、教会に逃げ込むという手段は取れない。
村の教会に逃げ込めば一時的には助かるかもしれないが、これほどの数のオークを相手に教会の守りが役立つとは思えなかった。
まして、今のアインは教会に足を踏み入れることが出来ない。
教皇庁の助けを信じて、どうにかして教会の外で戦い続けるしかなかった。
じりじりと後ろに下がりつつ、可能な限り反撃をしてアインは時間稼ぎをする。
だがアインの攻撃では大した傷もつけられず、どれだけ足掻いたところでオークの侵攻を止めることはできない。
奮戦も虚しく、気づけば教会をすぐ後ろに背負って戦っていた。
「アイン! 教会の中に逃げ込むんだ!」
すぐ後ろから父親の声が聞こえ、アインが振り向く。
見れば、教会から出てきた村の大人たちが、農具を手に構えオークの群れと戦おうとしていた。
オークの強さを身を以て味わったアインには、その行為は無謀としか思えなかった。
背後の大人たちに気を取られてしまったせいで、アインは気づくのが遅れてしまった。
強烈な殺気を感じ、慌てて意識を前方のオークに戻そうとした途端――強烈な一撃が叩き込まれた。
「ぐぁっ……かはッ」
「アイン!」
必死の形相で父親が駆け寄るも、アインの意識は既に途絶えかけていた。
強烈な一撃によって体中の骨が砕け、内臓の損傷も酷かった。
高名な治癒術師でもいれば助けることはできたかもしれないが、辺境の小さな村にはいるはずもない。
自身の無力さが憎かった。
このままでは村の人々も殺されてしまうだろう。
教会の中で身を寄せ合っている子どもたちも、いずれオークの餌食になってしまう。
神は最後までアインを助けなかった。
父親ほど熱心ではないにせよ、今日まで従順に信仰を捧げてきた彼女を。
アインはこのまま死ぬ運命にあった。
もはやどうすることもできない。
全てを諦め、薄れゆく意識の中で――アインの脳内に声が響いた。
『――汝の行く道に祝福あれ』
途端に意識が覚醒する。
体が熱い。酷く熱い。まるで、真っ赤になるほどに熱した鉄を押し付けられているかのように熱い。
苦しみ悶えるほどの熱が、アインの体を這い回る。
やがて、ソレが浮かび上がった。
彼女の体を縛るかのように体中に浮かび上がる黒い鎖の痕。
死にかけの体は途端に再生し、感じたこともない強大な力が体の奥底から湧き上がる。
その魔紋を見て、アインの父親は驚いたように目を見開く。
「邪神の祝福……黒鎖魔紋。なぜアインに……」
愕然とする父親の目の前で、アインはゆっくりと立ち上がる。
手を握り、開き、握り。そして、湧き上がる力に歓喜する。
「これなら殺せる」
そう呟いたアインの表情は、これまで彼女の人生で一度もしたことがない凶悪な笑みを浮かべていた。
獣のように牙を剥いて嗤う姿からは、いままでの彼女の面影を感じられなかった。
「我は渇望する。永劫の悦楽よ、此処にあれと――血餓の狂槍」
アインが手を翳すと、虚空から紫電を迸らせながら漆黒の槍が現れた。
とても昏い、闇で象られた槍。
黒い鎖が絡みついたソレをアインは手に取る。
アインは地面を力強く踏み込み――瞬時に肉迫する。
強烈な殺意に身を委ね、激情のままに乱暴に槍を叩きつけた。
槍術の型も何もない力任せの一撃。
だというのに、オークはまるで手応え無く弾け飛んだ。
その光景に村の人々は驚愕する。
ただの村娘だったはずのアインがいとも容易くオークを殲滅しているのだ。
返り血に染まっていく彼女を、誰もが黙って見つめることしかできないでいた。
もはやその瞳に理性の色は無い。
視界に映る限りのオークを、ただひたすらに殺すだけ。
命を奪う度に見せる笑みは獣のように獰猛だった。
やがて全てのオークを殺し尽くした時、アインは糸が切れたかのようにその場に倒れた。
死屍累々の惨状の中、恍惚として血だまりに伏す。
真っ赤に染まった彼女に、村の人々はしばらく呆然としたまま動けなかった。




