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狂槍のアイン  作者: 黒肯倫理教団
十章 狂乱の終章

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170話 邪教の神父・後

 心地の良い陽気だった。

 緑に囲まれながら、アインは槍術の方をなぞっていく。


 何故だか心が安らいだ。

 こうして二人で鍛錬を積んでいる時間が愛おしい。

 まるで、それまでの自分が長い間苦しみ続けて来たかのようで、その理由がアインには分からない。


――自分は一体何をしているのだろうか。


 ふと、そんな疑問が浮かび上がる。

 考えるまでもない。

 自分は故郷の村で穏やかに過ごしているだけ。


 何か壮大な冒険をしたわけでもなく、ただの村娘として一生を終えるのだ。

 きっとそれが、自分にとっての幸せなのだと思い込む。


 考え込んでいるアインを見て、マシブが心配そうに尋ねる。


「どうした、悩み事か?」

「……なんだか気分が優れなくて」


 先ほどから湧き上がってくるこの感情は何なのか。

 理解出来ないことが苦しくて、アインは槍を地面に突き立てて腰を下ろした。


 今の生活は幸せなものだろう。

 両親がいて、マシブがいて、何か不自由することもない。

 平穏な暮らしを享受するだけの幸福。


 だが、違うのだ。

 この世界は自分にとって一番大切な何かが欠けている。

 何故だかそう感じてしまう。


「そうか……ああ、そうだろうな」


 マシブは何かを察したように頷く。

 そうして寂しそうな表情をして、彼もまた難しい表情をして腕を組んだ。


 しばらく沈黙が続いていたが、マシブは徐に背負った二振りの大剣を構えた。


「来いよ、アイン。お前の欲している答えは、きっとここにあるはずだ」


 手合わせをしようという様子ではない。

 殺気を露にして、本気で戦うという覚悟を持って臨んでいた。


 その姿にアインは戸惑う。

 マシブは何かを確信しているようだったが、その意図が理解できない。


 槍を手に取り、マシブと対峙する。

 すると不思議な感覚が湧き上がってきた。

 まるで己の居場所がそこにあるかのような、懐かしい感覚だった。


「それじゃあ――行くぜッ!」


 駆け出して、大剣を豪快に振り下ろす。

 咄嗟に後方に飛んで躱すと、先ほどまで立っていた大地が大きく抉られる。


 常識外れな膂力だ。

 特に身体能力の強化をしていないというのに、素の状態でこれだけの力を持っている。

 その気になれば、大岩を容易く持ち上げられるほどの腕力を誇っていた。


 マシブの猛攻は止まらない。

 逃げ回るアインに対して、彼は好戦的な笑みを浮かべながら襲い掛かる。

 ただの村娘では、これを捌き切ることは出来ない。


 しかし――。


「――ッ!」


 咄嗟に地を這うような姿勢を取って躱すと、隙だらけのマシブに蹴りを叩き込む。

 彼は後方に大きく飛ばされたが、途中で身を捻って体勢を整えて着地する。


「そうだ、アイン! もっと思い切って来いッ!」


 マシブの体から赤い魔力が湧き上がる。

 それは、彼が過酷な旅の果てに修得した奥義。

 身体強化の極致と言っても過言ではないであろう、彼の信念だ。


「――灼鬼纏転」


 強靭な肉体に、さらに限界を超えた強化を施す。

 彼の持ち得る最大の奥義で以て、再びアインに襲い掛かる。


「おらぁッ!」


 横薙ぎに振るわれた大剣。

 それを、アインは右手を突き出して受け止めようとする。

 本来であれば無謀な行為でしかないだろう。


 だが、アインは気付く。


「違う、この世界は……」


 こんな世界は望んでいない。

 もっと魅力的な世界があったはずだ。

 血に塗れた残酷で美しい世界が。


 視界が歪み、生身の右腕だった場所が鋼の義手へと変化する。

 体中から殺意の衝動が湧き上がってきた。


 アインの瞳に狂気が宿る。


――ああ、この偽りの世界が邪魔で仕方がない。


 そうして気付く。

 自分はこんな世界に閉じ籠っているような性格ではない。

 平和な生活よりも魅力的なものが、すぐ近くにあったはずではないのか。


 元の世界に戻りたい。

 そうして、殺すべき相手ヴァルターを仕留めなければならない。

 本当の幸福はそこにあるのだから。


 義手で大剣を受け止め、アインはマシブを押し返す。

 その胸元では黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカが禍々しく光を放っていた。


「やれば出来るじゃねえか」


 マシブは満足げに頷く。

 彼にとっても偽りの世界での生活は心地良かったが、それ以上に今のアインは魅力的だった。


「こんな下らねえ世界なんて喰らっちまえ! あの気に入らねえ面した野郎をぶっ殺すんだ!」


 その言葉にアインは頷く。

 もはや未練はない。

 偽りの世界を喰らい尽くそうと、槍を高々と翳し上げた。


 偽りの世界が崩壊していく。

 両親も、村人たちも、皆が消え去っていく。

 世界を構成する術式が強引に捻じ曲げられて、魔力に分解されてアインの元へと集っていく。


「……頼んだぜ、アイン」


 最後に聞こえた言葉を噛み締め、アインは現世へと意識を取り戻す。


「――がぁあああああああああああッ!」


 視界が彩を取り戻す。

 手にした槍は、今も深々とヴァルターの体に突き刺さっていた。


「なんと、貴女は……!」


 ヴァルターは目を見開く。

 まさか偽りの世界から帰還するとは思ってもいなかった。

 予想外の出来事に困惑し、そして命の危機を感じる。


 その足が一歩後ろへと下がる。

 だが、アインはもう片方の手でヴァルターの方を掴んで逃がさない。


「何故……何故なのです、アイン!? あの世界に留まれば、甘美な夢を見続けられたというのにッ!」


 深々と突き刺さった槍が、ヴァルターの生命力を激しく貪っていた。

 強大な力を持つはずの魂が凄まじい速度で輝きを失っていく。


 このままでは不味いと、全力で拘束から逃れようとする。

 だが、強烈な力で掴まれてしまっては、魔術師である彼には抵抗出来ない。


 アインの体からは赤い魔力が溢れ出していた。

 紛う事無く灼鬼纏転そのもの。

 マシブの魂を偽りの世界諸共喰らったことで、奥義を習得することが出来たのだ。


「ああ……死者の魂を基に夢幻を構築したのは、失敗でしたねえ……」


 そして、ヴァルターは力を失って仰向けに倒れこんだ。

 抵抗する力も残されておらず、指先を僅かに動かすことで精一杯だった。


 アインはヴァルターを見下ろす。

 これで復讐は成し遂げた。

 だというのに、何故だか無常に感じていた。


「ああ……素晴らしいですねえ。まさか、これほどまでに成長するとは、思っていませんでした……」


 ヴァルターは心の底からアインを賞賛する。

 ただの村娘だったはずが、黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカを得てから残虐な殺戮者に変貌したのだ。

 今や力関係は逆転しており、ヴァルターは死を待つことしか出来ない。


「……なんで、私を選んだの?」


 ヴァルターに問う。

 初めからアインを殺していれば、この末路は避けられただろう。

 そうしなかったのは、相応の理由があるからだ。


「先ほども言いましたが、私は正気です。貴女のように、純粋な狂気によって動いているわけではない」


 こうして死を待っている今でも、彼の頭の中には妹の声が響いていた。

 世界を憎悪して、滅びを望む狂気の声。

 彼を突き動かしていたものは妹の呪いだった。


「結局のところ、私には覚悟が無かっただけなのです。呪いに突き動かされて行動をして、実際に世界を滅ぼすだけの力を得てしまった。今思えば、きっと誰かに咎めてもらいたかったのでしょう」


 それ故に、敵役を育て上げようとしたのだ。

 自身を罰する可能性を残すために。


 一人目はアイゼルネだった。

 悲劇を仕立て上げ、自信を憎悪するように仕向け、そして見守った。

 しかし、彼女は彼の期待に応えられるだけの成長を見せたが、最後まで黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカを得ることはなかった。


 これでは公平ではない。

 一方的に世界を滅ぼしてしまう。

 そんな結末では満足できないのだと、彼は別の人物を用意することに決めた。


 そして選ばれた二人目がアインだった。

 村を襲うように魔物を仕向けると、存外にアインは黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカを発現させた。


 目覚めた狂気の純粋さ。

 それを見た時、ヴァルターはダイヤの原石を見つけたかのように歓喜した。

 丁寧に磨き上げれば、きっと満足するだけの宝石へと変貌するだろうと。


 それから彼はアインの成長を陰から見守った。

 必要であれば手を差し伸べ、時には姿を見せずに助けるようなこともあった。

 徐々に力を付けていくアインを見て、これならばと可能性を感じていた。


「貴女は素晴らしい……それも、私の期待していた以上に」


 アインは彼の心が満たされるだけの狂気を示して見せた。

 作り上げた筋書きを上回る結果を常に出し続けた。

 その度にヴァルターは歓喜し、自分の狂気を咎めてくれるのではないかと期待した。


 その結果が今の状況だった。

 ヴァルターは倒れ、それをアインが見下ろしている。

 敗北したというのに悪い気分ではなかった。


「アイン。貴女は今後、どうするのですか?」


 ヴァルターが尋ねる。

 既にアインは彼の想像の範疇に収まらない存在だ。

 今後、どのような道を歩んでいくのかが気になって仕方がなかった。


 その問いにアインは笑みを浮かべる。

 悍ましいほどの狂気を孕んだ、最高の笑顔を。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白かったです! [一言] きっとこの後は世界を滅ぼすんだろうね
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