166話 城塞都市、陥落
城塞都市ゼストレア。
常闇に閉ざされた世界において、唯一残る人間の領域。
多くの人々が救いを求めてこの地を訪れていた。
巨大な城壁に囲まれており、異形の怪物を寄せ付けない。
戦う術を持つ者たちは接近する敵を排除する。
そうして都市としての機能を辛うじて維持することに成功していた。
実際のところ、この規模の都市が生き残ることはヴァルターにとっても想定外だった。
来るべき災禍の日に備え、アイゼルネが様々な策を弄していたことは知っている。
それを考慮しても奇跡と言っていいほどだった。
だが、その地も何時まで耐えられるかは不明だった。
襲い来る異形の怪物を前に、徐々に戦力を消耗してきているからだ。
そして、その地に遂に訪れる。
最大にして最悪の結末が。
異形の怪物が、それまでとは比べ物にならないほどの数が押し寄せてきていた。
「総員、攻撃開始ッ!」
城壁の上に立つアイゼルネの指示に応じて、一斉に魔法が放たれる。
その威力もばらばらで統一されてはいない。
非力な者さえも動員しなければならないほどに危うい状況だった。
雨のように降り注ぐ魔法。
しかし、それさえも掻い潜って異形の怪物たちが迫る。
誰もが死を間近に感じていた。
これまで生き延びられただけでも運が良い方だ。
先延ばしにされていた死が訪れるだけである。
世界が常闇に呑まれた時、教皇庁はゼストレアに籠城すべきだと即断した。
その時点で教皇は命を落としており、全権は枢機卿であるアイゼルネに移っていたこともあって、行動は迅速なものだった。
そのおかげで多くの命が救われた。
信徒たちはこの地を目指し、辿り着いた者は同胞の無事を祈り続けている。
だが、今回ばかりはどうしようもなかった。
ゼストレアに逃げ込んだ者たちを守り抜くには、戦力が不足しすぎていた。
襲い来る魔物を相手に剣士たちが武器を掲げて駆けていくが、それが無駄な行為であることは誰もが理解している。
城塞都市の陥落は近い。
誰もが死を覚悟していた時――遠くから唸るような地響きが聞こえてきた。
遠く離れた場所で、巨大な炎の球が落下していく様子が見えた。
それが爆ぜると、多くの魔物が焼き尽くされていく。
「援軍だ……助けが来たぞ!」
剣士の一人が呟く。
反対側から異形の怪物を蹴散らしながら迫る者がいる。
それが人間であることに気付いた時、皆が歓声を上げた。
アイゼルネは一人、城塞の上で不愉快そうに眉を顰める。
その姿に見覚えがあったからだ。
「この期に及んで……ッ」
やはり、あの時に殺しておくべきだった。
後悔するが、時を巻き戻すようなことは出来ない。
異形の怪物を蹴散らして、アインは城塞都市へと迫る。
その力は明らかに今までの比ではない。
それだけ多くの魂を喰らってきた証である。
「――降り注げ、怒りの雨よ」
途方もない数の槍が大地に降り注ぐ。
狙いは異形の怪物だけではない。
ゼストレアさえも魔法の範囲に収めていた。
危険を感じ取ったアイゼルネは、即座に命令を下す。
「あの邪教徒に大砲を放てッ! 早くしろッ!」
鬼気迫る表情に、周囲にいた者たちは慌てて砲弾を装填する。
特殊な魔紋を刻むことによって強化された砲弾は、天涯に至るほどの力を持つ者にも通用するはずだ。
しかし――。
「――無駄」
義手を突き出し、重力魔法を行使する。
砲弾は叩き落されたかのように地面へと落とされた。
そして、空に浮かぶ槍が降り注ぐ。
頑丈な城壁さえも打ち砕き、内側に隠れ潜む者たちは次々に命を落としていく。
アイゼルネは降り注ぐ槍を打ち払いながら地面に降り立ち、周囲を見回す。
異形の怪物も、人間も、皆等しく串刺しにされてしまった。
大地が赤く染め上げられていくことを、止めることは出来ない。
「……よほど死にたいらしいな?」
アイゼルネは苛立った様子で武器を構える。
大量の黒鎖魔晶があしらわれた禍々しい剣だった。
邪教徒を殺すことによって生み出された魔剣『聖銀の煌星』を構え、アイゼルネは牙を剥く。
本来であれば、この剣はヴァルターに使うつもりだった。
しかし、目の前にいる相手は侮れないだけの力を持っている。
出し惜しみはしていられなかった。
剣の美しさに、アインは感心したように溜息を吐いた。
黒鎖魔晶が使われているせいだろうか。
武器としての質は竜槍『魔穿』と同等か、あるいはそれ以上だろう。
それほどの剣をアイゼルネに抜刀させた。
その事実だけでも、体中を快楽が駆け抜けるほどだった。
熱を帯びた息を吐き出す。
ゆっくりと呼吸を整え、平常を保つ。
そうして槍を構え、アイゼルネと対峙する。
「何が貴様をそこまでさせる」
アイゼルネが問う。
殺しに快楽を見出すアインの思考は、常人には理解出来ない。
「分からない」
「なんだと……?」
アイン自身も、なぜ自分がここまで殺戮を愛しているのかが分からない。
それまでは平凡な村娘として生きてきたのだから、なおさらだ。
「けれど……仕方がない。だって、こんなにも――楽しいから」
本能が血を求めているのだ。
アインは狂気に満ちた瞳で嗤う。
単純だが、それ故に悍ましい。
原初の神に魅入られた狂気。
堪えようのない強烈な殺意がアイゼルネに向けられる。
この戦いは決して避けられない。
アイゼルネは両親とマシブの仇であり、アインは邪教徒である。
奪い、奪われた間柄であり、憎悪を向け合っている。
互いに武器を構え、視線が交錯し――戦いが始まる。




