165話 安息の地
ラドニスに案内され、アインたちは里の中央部へと向かう。
エルフの里はかつての美しさをそのまま残しており、過酷な外界で戦い続けてきたベルンハルトからすれば天国のように感じられた。
「なぜ、ここだけ無事なんだ?」
「我々の里には結界が張られているのだよ。ほら、周囲を霧が覆っているだろう?」
里の外壁付近には霧がかかっており、それ以上遠くを見ようにも霞んでしまっている。
その先に意識を集中させても魔物の気配は感じられない。
結界は正常に作動しているようだった。
「だが……」
ベルンハルトの視界には、彼が率いてきた者たち以外にも人間の姿があった。
それがどうにも気になってしまう。
「……エルフという種族は、他種族に対して良い感情を持っていないと聞いていたんだがな」
「それだけ異常な状況だということだ」
ラドニスは困ったように腕を組む。
エルフ族にも、他種族を受け入ればならない事情があった。
「世界が常闇に呑まれる幾分か前のことだ。我々の里は"教団"なる存在に目を付けられ、壊滅的な被害を受けた。長きに渡って積み上げてきた英知は成す術無く蹂躙され、同時にエルフという種族は万能でないことを思い知った」
その時の光景は、ラドニスにとって悪夢そのものだ。
蠢く茨に里を取り囲まれ、邪教徒たちに同胞が無残に殺された。
さらには彼の姪であり、エルフの里の族長でもあるミレシアまでもが攫われてしまったのだから、これ以上の絶望は存在しないだろう。
「異種族を受け入れざるを得ないほどに、エルフという種族は衰弱してしまった。特に、この過酷な世界で生きるには余計にな」
それを聞いて、ベルンハルトは天を仰ぐ。
ここは安息の地ではあるが、楽園ではない。
魔術に長けているエルフ族でさえ、この世界を喰らい尽くした闇に抵抗することは出来ないのだ。
「闇が晴れる時を待ち続けるしかないということか」
「そうとも。無様なものだろう?」
笑ってくれと言わんばかりに、ラドニスは自嘲する。
だが、それでも里としての形を残しているだけ奇跡だろう。
しばらく歩き、中央にある大きな家に辿り着く。
中に入ると、二人の人物がアインたちを出迎えた。
「おかえり……なのかな? また戻って来るとは思わなかったよ」
「案外、そういう性なのかもしれないな」
ゴールドプレートの冒険者『暴風』のゾフィー・クロッセリア。
その横に立つ大男は『城塞』の異名を持つガーランド。
両名共に、アインと面識のある人物だった。
この地は最後の楽園というわけではない。
だが、大きな意味を持つ場所だ。
ここは、アインが殺せなかった者が集う地なのだ。
世界が常闇に呑まれて以降、アインはただ殺戮を繰り広げていたわけではない。
獣のように狂いながらも、微かに残されていた理性が彼らをこの地に導いた。
「人手が増えるのはありがたいことだ。さあ、座ってくれ」
ベルンハルトは家の中に入り、席に着く。
だが、アインは背を向けた。
「……これで全員」
恩を受けた人間は皆、エルフ族の里に送り届けることが出来た。
今後、この地を除く全ての生命は殺す対象にしかならない。
エルフ族の里はもう大丈夫だろう。
闇を取り払うことが出来ずとも、この地は存続するだけの力を持っている。
たとえ予測不可能な事態が起きたとしても、対処できるだけの人物が集まっている。
この選択が正しいとは思わない。
己は無辜の魂を喰らおうとしている。
悪の道を歩んでいるのだ。
だが、アインはそれを後悔しない。
たとえ後世に悪魔として語り継がれたとしても構わない。
――ただ、殺したいだけ。
初めは否定していたこの感情も、いつの間にか当然のものになっていた。
泣き叫び命乞いをする姿さえ愛おしく、憎悪に満ちた視線を向けられればゾクゾクするほど。
アインにとって、殺すことは最上の快楽を齎してくれる娯楽だ。
その時の気分次第で殺し方は千差万別。
楽しむことだけを考えて、槍を振るい続けるのみ。
そして今、殺すべき大きな目標が二つ。
アイゼルネ・ユングフラウ。
両親の仇であり、マシブの仇でもある悪魔のような女騎士。
その嗜虐的な瞳には今でも恐怖を抱いてしまうが、今のアインは真正面から打ち合えるだけの力を得た。
もう片方は、最後に殺すべき物語の終着点。
その神父は今も両手を広げてアインの到着を待ち侘びているだろう。
彼の死を以て、アインの旅は終末を迎えるのだ。
――ヴァルター・アトラス。
彼の悲惨な過去をアインは知っている。
それ以上に、彼が行ってきた非道な所業を知っている。
彼の心の内をはかり知ることは出来ない。
何故なら彼も狂人だからだ。
黒鎖魔紋を賜るに相応しいだけの狂気を彼は孕んでいる。
結末は近い。
アインは槍を握り締め、城塞都市ゼストレアへと向かう。




