163話 ゼストレア
常闇に閉ざされた世界を進み続けるのは地獄の様だろう。
人間の築き上げた文明はほとんどが異形の怪物によって蹂躙され、崩落した。
人々は何を目的として歩むのか。
少なくとも、ベルンハルトが率いるこの一団には微かな希望があった。
「なあ、あんたは城塞都市について知っているか?」
焚火を眺めていたベルンハルトが訪ねる。
当然ながら、戦いに明け暮れていたアインが知る由もない。
「これは旅人から聞いた話なんだが……どうやら、生き残った人々が集う場所があるらしい」
「魔物に襲撃されたりしないの?」
「ああ。石造りの巨大な壁に囲まれていて、多くの兵が護っているそうだ。中には教皇庁の枢機卿までいるらしい」
唯一残された安息の地。
本当にあるのかさえ分からないが、きっと存在しているのだと皆が信じている。
「城塞都市ゼストレア……そこに辿り着きさえすれば、俺たちはきっと救われるはずだ」
ベルンハルトにとって、それは最後に残された希望なのだ。
彼らは長い間、この過酷な世界を彷徨い続けた。
徐々に人数が減ってきてしまっており、もう長くは持たない。
ふと、アインは思い出す。
その地に聞き覚えがあることを。
「ゼストレア……」
顎に手を当て、首を傾げる。
どこでその名を聞いただろうか。
これまでの旅路を思い返し、思い出す。
「確か、ブレンタニアの都市がゼストレアだった」
「知っているのか?」
期待した様子でベルンハルトが訪ねる。
詳細は彼も知らないのだろう。
ただ闇雲に彷徨い続けるには、この世界は過酷すぎるのだ。
ブレンタニア公国、城塞都市ゼストレア。
以前ガルディアの壁に滞在していた時に聞いた話だ。
国の中心に位置する都市は、非常に強固な壁に守られているという。
しかし――。
「悪いけれど、その話を聞いた以上は見逃せない」
眼つきを鋭くさせる。
その言葉の意味をベルンハルトは掴みかねていた。
「どういうことだ? 何が言いたい?」
「城塞都市の話が真実なら……私はそこを陥落させることになる」
腹を空かせたように黒鎖魔紋が微かに疼く。
多くの人が集まっているのであれば、そこを襲撃しないわけにはいかない。
そうしなければ、アイゼルネにもヴァルターにも敵わないからだ。
それにベルンハルトは"中には教皇庁の枢機卿までいるらしい"と言った。
アインにとってアイゼルネは殺すべき相手だ。
城塞都市のその後などはどうでもいい。
「あんたにどんな事情があるのかは分からない。どうしてそうする必要があるんだ?」
「……こういうこと」
アインは服の首元を引っ張り、胸元に刻まれた黒鎖魔紋を露にする。
それを見て、焚火を囲む皆が固まってしまう。
「多くの魂を喰らうことで私は成長する。だから、城塞都市を襲撃する」
「そうまでして力を求めることに何の意味がある?」
「殺さないといけない相手がいる。この世界を闇の染め上げた元凶」
ヴァルター・アトラス。
彼が犯した罪は、過去の大陸史を振り返っても比肩する者はいないだろう。
それほどまでに大きな罪を犯したのだ。
なぜ、彼は世界の破滅を目論んだのか。
その答えとなる手記を、アインはメルディアの地で手に入れていた。
「……なら、なぜ俺たちのことを殺さないんだ?」
ベルンハルトは僅かに体を震わせていた。
もしアインが敵対するようであれば、その時点で彼の死は確定してしまう。
だが、アインはこの一団を殺そうとは考えていなかった。
限界がきて倒れてしまったところを助けられたのだ。
善意の相手まで殺してしまうのは、力を得るためとはいえ流石に気が引けてしまう。
「仇で返すようなことはしない。魔物の襲撃が少ない場所まで送ることは出来る」
「そんな場所があるのか?」
その問いにアインは頷く。
少なくとも、城塞都市に代わる場所のアテがあった。
ベルンハルトは黙り込んで考える。
城塞都市の話はあくまで言伝に聞いたものでしかない。
より確実な方法がとれるのであれば、その選択肢を選んだほうが良いだろう。
「具体的に話を聞く前に質問なんだが……その黒鎖魔紋は安全なのか?」
焚火を囲む者たちの視線がアインに向けられていた。
邪神の寵愛を受けた者に与えられる魔紋。
世界から禁忌とされるそれは、大いなる災いを呼び寄せるという。
だが、アインは首を振る。
「問題ない……はず。世界がこうなってから、魔物が引き寄せられてくるようなことは無くなった」
災禍の日は訪れない。
何故ならば、世界そのものが永劫に災禍の日に囚われているからだ。
異形の怪物が跋扈するこの世界において、黒鎖魔紋はかつてのような悪夢を呼ぶことは無い。
それを聞いて一同は安堵する。
危険でないのであれば、戦力として迎え入れるだけ。
教皇庁の教えなど、世界の崩壊と共に捨て去られてしまった。
「それならいいんだが。まあ、災いなんて呼び寄せなくても溢れかえっているしな」
ベルンハルトは疲れ切った様子で笑みを浮かべる。
それだけ酷い目に遭ってきたのだろう。
「それで、俺たちはどうすればいい」
「自分の身を守ってもらうだけで構わない。あとは私がどうにかするから」
魔物が襲い掛かってきたとしてもアインが迎え撃てばいい。
百を超えるような大集団であれば難しいだろうが、二十人程度の集団であれば守り切ることも難しくはない。
しばしの休息の後、行動を開始する。
安息の地への旅路は、一団に微かな希望を抱かせていた。




