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狂槍のアイン  作者: 黒肯倫理教団
八章 囚われし調律者

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159話 喪失と忘却

 喉が枯れ果てる程に哭いた。

 掠れた声で嗚咽した。

 血だまりに倒れ伏す亡骸は、もう何も答えてくれない。


 この深い悲しみは何が埋めてくれるのだろうか。

 絶望の奈落に突き落とされ、残されたものはただ一つ――黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカ


 いっそ全てを喰らってしまおうか。

 畏怖されし殺戮者となって、獣のように血肉に塗れて嗤おうか。

 きっとそれは、夢のように楽しいことだろう。


 未だ癒えぬ傷を抱えて立ち上がった時、背後から歩み寄って来る者がいた。


「アイン――」


 エミリアはアインと足元に転がる亡骸を交互に見て察する。

 マシブは死んだのだと。


 だが、アインは嗤っていた。

 涙を流しながら、焦点の合わない瞳で嗤っていた。

 内に秘めた狂気が露になった姿は、酷く痛々しく感じさせる。


 エミリアは気まずそうな表情で懐から羊皮紙を取り出し、アインに手渡す。


「あの神父が、貴女にこれを渡せと」


 そこに描かれていたのは地図だった。

 ハイデリア公国から北方に進んだ先にある未開の地。

 その中の一か所に印が付けられていた。


 地図にはこう記されていた。


――傷心の貴女に、甘美な夢を与えましょう。


 ヴァルターからの誘い。

 彼の意図するところは理解出来なかったが、悲しみを紛らわせるくらいは出来るのだろう。


「アイン。悲しいでしょうけれど、そう気を落とさないで。きっと彼は、戦士として勇ましく戦い抜いたはずよ」


 エミリアが励まそうとするが、アインは首を振る。

 相手はアイゼルネだったのだ。

 マシブが無様に嬲り殺しにされたことは容易に想像出来る。


 殺さなければならない。

 あの憎き枢機卿アイゼルネ・ユングフラウを。

 如何なる方法を用いてでも、その命を刈り取って、己の所業を悔いさせなければならない。


 最愛の両親を失い、信頼する相棒までもが殺された。

 復讐の道は避けられない。

 彼女を殺すことこそが自分の生きる意味なのだとさえ思えていた。


 ヴァルターは何を思ってアインを誘うのか。

 その意図は不明だが、何か大きな意味があるはずだ。


「……行かないと」


 体は酷く痛む。

 安静にするべきだろうが、アインの心はそれを望まない。


 疼いているのだ。

 都合良く、黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカが熱を帯びている。

 災禍の日は間もなく訪れるだろう。


 それ以外のことは何も考えられなくなっていた。

 エミリアたちを振り返ることなく、アインはその場から立ち去る。


 未だ混乱の収まらないラクィア神殿を、目に付いた信徒を殺しながら歩いていく。

 だが、心は満たされない。

 この程度の殺戮では全く足りないのだ。


 草原を抜け、森を抜け、荒野に出る。

 呆然と歩き続け、数日が過ぎただろうか。

 身を刺すような寒気を感じた時、アインは気付く。


――夜が来た。


 全てを忘却の彼方へと追い遣る、血塗られた災禍の訪れだ。

 暗闇に蠢く無数の殺意。

 臓腑が震えるような悍ましい唸り声を聞いて、湧き上がる黒い感情。


 深い森の奥で一人、アインは歓喜する。

 ようやく災禍の日が来たのだと。


「我は渇望する。永劫の悦楽よ、此処にあれと――血餓の狂槍フェルカー・モルト


 暗闇の中で、その槍は最も昏い闇を讃えていた。

 まるで今のアインの感情を表すかのように。


 襲い来る異形の軍勢。

 今宵は共に戦う相棒がいない。

 久しく一人で迎える災禍の日は、どうしてだか心地良く感じてしまう。


 全てが始まったあの日から、アインは多くのものを失ってきた。

 唯一残された人間らしい感情も今や消え失せて、ただひたすらに血飛沫や断末魔を求める殺戮者となった。


 後悔など無い。

 これが、定められた運命なのだ。

 黒鎖魔紋ベーゼ・ファナティカを得てしまったのだから、いずれ狂気に呑まれることは決まっていた。

 それが早いか遅いか、それだけの違いでしかない。


 闇が膨れ上がる。

 狂気に染め上げられていく。

 死者に感傷を抱くような心は、災禍の日を迎えたことの悦びに上書きされた。


 身が削られていく苦痛さえも愛おしい。

 長い夜が明けるまで、この戦いを楽しめばいい。

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