153話 聖誕祭(2)
魂を震わせるような不愉快な音が鳴り響く。
愚者たちの歓声が上がる。
聖気が纏わり付いて、吐き気を催す。
大聖堂にはアインが待機していた。
教皇庁が言う"神"の降臨に備え、ヴァルターから見張るように頼まれたからだ。
調律者の奪還はマシブとヴァルターが手分けをして行うことになっている。
今頃はラクィア神殿内を隈なく探しているのだろう。
――体が熱い。
黒鎖魔紋が疼いていた。
体が熱を帯びて、その吐息にも熱が篭る。
今すぐにでも理性の枷を外して、この場に集まった皆を殺してやりたいと思ってしまう。
無辜の民にさえ殺意を抱いてしまう。
それが自身の残虐な本性であって、これがあるからこそ邪神の寵愛を得られた。
アインの視線の先に、杖を突いた老人が現れる。
教皇ヴァルナッハ・ディル・ブレン。
何処か不気味さを感じさせる気配に、アインは気を引き締めた。
「敬虔なる信徒たちよ! よくぞ、この祝福されし地を訪れた!」
大袈裟に腕を開いて教皇が演説を始める。
信徒たちは、その一言一句を聞き逃さないよう耳を傾けていた。
この場にアイゼルネの姿は無かった。
溜め息を吐くが、それが安堵から来たものであると気付いた途端、アインは苛立ったように拳を握り固める。
恐れてはならない。
殺すべき相手に、恐怖を抱いてはならない。
必要なのは憎悪と殺意のみ。
「――今こそ、諸君に神の御業をご覧に入れよう」
教皇が杖を翳し上げ、膨大な魔力を以て地に魔方陣を描く。
それが召喚魔法であると気付いた時には、既にそれは存在していた。
それは見上げるほどに巨大な白銀の鎧だった。
背部からは純白の羽が三本ずつ生えており、その手には巨大な杖が握られている。
杖の先端にあしらわれた無数の魔石。
その全てが黒鎖魔晶であると気付けたのは、この場ではアインのみだった。
それだけではない。
外部から異質な魔力が流れ込み、より強大な力の行使を可能としていた。
これほどの力を前にしては、邪教徒は成す術が無いだろう。
教皇は聖鎧衣を纏い、両腕を大きく広げる。
「これぞ神の御業。邪教徒に天罰を下す聖鎧衣ッ!」
信徒たちが歓声を上げる。
邪教徒を殲滅する聖者の鎧。
正しく、彼らにとっては神に等しい代物だった。
「馬鹿馬鹿しい」
アインは呆れたように肩を竦めた。
真に神と呼ぶべき存在が現世に呼び出されるのかと思えば、ただ教皇庁の新たな兵器を見せつけられただけではないか。
その技術こそハイデリアの魔導技師を集めて造られた一流のものだが、本物の神と対峙したことのあるアインからすれば天と地よりも大きな差があった。
外套のフードを外し、アインは信徒を掻き分けて前へと歩み出る。
何事かと人々の視線が集まる。
ある者は、その瞳の凍えるような鋭さに震えた。
ある者は、全てを打ち砕かんとする鋼の義手に畏怖の念を抱いた。
ある物は、少女の奥に潜む悪魔を感じ取って戦慄いた。
「神の力がどれほどのものか、試してあげる」
外套を翻し、シャツの首元を引く。
アインの胸元に刻まれた黒鎖魔紋を見て、信徒たちは怯えるように悲鳴を上げた。
「我は渇望する。永劫の悦楽よ、此処にあれと――血餓の狂槍」
そして、力を解放する。
全力を出すのはいつ以来だろうか。
そんなことを考えられる程度には、アインには余裕があった。
教皇は愉快そうに嗤い、アインに語り掛ける。
「邪教徒が如何にして大聖堂に紛れ込んだのかは知らんが――」
本来であれば、黒鎖魔紋を持つ者は神聖なる地に立っていることさえままならないはずだった。
それを可能としたのは事前に準備されたヴァルターの儀式魔法。
ラクィア神殿を囲むように展開された六芒星の魔方陣が、アインの身から聖なる魔力を退ける。
「愚かにも聖誕祭を邪魔しに来るとは。その代償は大きいと知れ」
そして、教皇が命じる。
「聖鎧衣――執行開始」
神が動き出す。
その巨大な杖を高々と掲げ、強大な力を行使する。
「――光矢」
杖の先端から閃光が走る。
その細い光の矢に、如何なる障壁であろうと穿つほどの魔力が込められていた。
アインは横へ飛び退くように回避すると、槍を構えて教皇へと肉迫する。
如何に強力な兵器であろうと、使う者が人間では恐れるまでも無い。
そう思っていたが――。
「甘いッ!」
アインの想定を遥かに上回る速さで杖が振り下ろされ、弾き飛ばされる。
宙で態勢を整えようと身を捻るが、地に足が付く頃には次の魔法が打ち出されていた。
舌打ちつつ、回避に努める。
確かに"神"の名に恥じない性能のようだった。
だが、所詮は人の手で造られた魔道具に過ぎない。
再び教皇へ肉迫しようと大地を踏みしめた時――アインの左肩を光が貫いた。
痛みに顔を歪めつつ振り返ると、そこには魔導銃を手にした信徒の姿があった。
「邪教徒死すべし! 邪教徒死すべし!」
観衆たちが一斉に声を上げる。
誰もが勝利を疑わず、中には武器を取り出してアインに襲い掛かる者もいた。
さすがにこれだけの人数全てに気を取られていては戦い辛い。
彼らには罪は無い。
ただ、聖誕祭を阻もうとする邪教徒を殺すために武器を取っただけなのだから。
アインは覚悟する。
この場にいる皆を殺さなければ、まともに教皇と戦うことさえ出来ないのだと。
押し寄せる信徒たちを薙ぎ払って、僅かな隙を見て詠唱する。
「――降り注げ、怒りの雨よ」
黒鎖魔紋によって生み出された、禍々しく脈動する赤黒い槍。
その全てが大魔法に匹敵するほどの力を誇り、大聖堂には逃げ場が無い。
深い森の中で夕闇を見上げる幼子の様に、信徒たちはその光景に恐怖していた。
ある魔術師が魔法障壁を展開すると、その下に我先にと信徒たちが押し寄せる。
圧し合い、転倒し、踏み付けられ、誰かが命を落としたとしても気に留めている暇は無い。
無様を晒したとしても、死ぬよりはマシだろうと。
死は何も残らない。
肉塊と化すだけである。
それが堪らなく恐ろしいのだ。
それが滑稽に見えて仕方が無かった。
アインは嗤い、そして誰にも聞こえない声で呟く。
「安心して。貴方たちの死は、私の糧になる」
そして、無数の槍が降り注ぐ。
魔法障壁も邪神の槍を前にしては意味を成していなかった。
誰もが等しく断末魔を上げていく中、アインは恍惚とした表情でその光景を眺めていた。
しかし、唯一逃れた人物がいた。
否、襲い来る槍の全てを掻き消していた。
何事も無かったかのように佇む聖鎧衣を見て、アインは顔をしかめる。
「見事な魔術だが……"神"を殺すには足りぬ」
教皇は不敵に嗤う。
聖鎧衣ただの魔道具ではないのかもしれないと、アインは警戒を強めた。




