152話 聖誕祭(1)
ラクィア神殿の大聖堂には、数えることが馬鹿らしくなる程の巡礼者たちが訪れていた。
ある者は建物に施された装飾の美しさに溜息を漏らし、ある者は十字を握りしめて一身に祈りを捧げていた。
誰もが聖誕祭の開始を待ち侘びていた。
正午を知らせるのは、祭壇の奥に飾られた巨大な鐘だ。
錆の一切も見えない聖銀の鐘の音は、きっと信徒たちの耳を蕩けさせることだろう。
今年の聖誕祭は例年までとは異なる。
――曰く、神が降臨なさると。
誰かが言葉にする。
それが真実であるのか、誇張されたものであるのか、あるいは一種の催しであるのかは定かではない。
しかし、教皇庁がそう触れ回っているのは事実である。
場所は移り、ラクィア神殿の面会室。
そこには大袈裟な法衣を纏った老齢の男性――教皇ヴァルナッハ・ディル・ブレン。
相対するは、エミリア・フラウ・スカーレット。
「随分な有様ね」
皮肉るような言葉に、教皇は表情を一切動かさない。
エミリアは悪意を以て言ったわけではない。
事実として、彼女の瞳に映る教皇の姿は酷い有様だった。
「スカーレット家の御令嬢……今は当主であったな? この度は、よくラクィア神殿を訪れた」
「傀儡にしては、自由が許されているのね」
教皇の様子を見てエミリアが呟く。
この面会室には教皇以外、教皇庁側の人間が在籍していない。
対して、エミリアは側にウィルハルトを始めとした従者たちを控えさせている。
「体は完全に制御されている。今や、教皇庁は邪教徒を狩るために機能していると言ってもいい」
「枢機卿の支配下にあると?」
「この思考さえ、己の物かも分からない」
教皇が服を捲り上げると、そこには幾つもの装置が機能していた。
否、彼そのものが機械化されていた。
「無様ね」
「お嬢様の仰る通りですな」
ウィルハルトも教皇の醜態に眉を顰めた。
彼の視界に映っているのは、枢機卿に操られるだけの人形に過ぎない。
「面会を申し出られた時は驚いたけれど――」
エミリアは周囲に視線を巡らせる。
複雑な術式、それも数えきれないほどに展開されている。
それらが監視魔術であることは、魔術に秀でた彼女だからこそ理解出来た。
「枢機卿は貴女を危険視されていた。聖誕祭を阻むほどの力を持っているのではないかと」
「それが事実だとしたら、なぜ貴方達は招き入れたのかしら?」
「都合良く排除するためか、或いは便利な手駒にするためか。答えを知るのは――あのお方のみ」
あのお方、という言葉にエミリアは注意を払う。
教皇を以てして上と位置付けられるほどの存在が、既に教皇庁に手を伸ばしているのだ。
「あのお方っていうのは一体何者なのかしら?」
「偉大な方だ。世界に変革を齎すほどの力を持っておられる。いずれ、誰もが跪き首を垂れるだろう」
エミリアは不気味な何かを感じていた。
教皇は明らかに様子がおかしい。
会話も通じてはいるが、どこかズレている。
「わたくしたちは自由に行動して良いってことかしら?」
「好きになさる良い。恐らく、どのように動いても可能性は一点に収束するだろう」
教皇は何処まで知っているのか。
彼の言う"あのお方"という存在をエミリアたちは知らない。
それ故に、いっそう不気味に思えるのだ。
「この身は傀儡と化したが、唯一、魂に刻み付けられた命令のみが私が私としてあることを証明している」
「貴方は枢機卿の支配下ではないと?」
「じきに分かるだろう。この世界の生きとし生ける者たちは、皆が偉大なる方の掌の上で踊っているのだと」
――傲慢な。
エミリアは鼻を鳴らすが、心の内では震えるような恐怖を抱いていた。
それではまるで神ではないか。
教皇の物言いに腹立たしさと悍ましさを感じてしまう。
もはや教皇は人ではない。
僅かながらの自我を残した人形の言葉に、何を恐れることがあるのかと一笑する。
「それでは失礼しよう。私にも最後の役割が残されている」
そう言うと、教皇は杖を突いて立ち上がる。
朽ち果てる寸前の老木のような頼りなさを感じさせたが、その瞳だけは力強く光を放っていた。
「何をなさるつもり? もしわたくしたちに不利益を齎すのであれば――」
「その必要は無い。邪魔をせずとも、皆が筋書き通りに動かざるを得ないのだから」
去っていく教皇の背を、エミリアは黙って見送ることしか出来ない。
ウィルハルトの視線を受けてもなお、下すべき命令あお判断しかねていた。
そして、鐘が鳴る。
神の降臨、その開始を告げる荘厳な音が大聖堂に響き渡った。




