151話 話すべきこと(2)
アインは強大な力に興味を示していた。
混沌が訪れた時、修正を試みる世界の意志の具現化。
あの異質な力は一体何なのか。
「ヴァルター。調律者はなぜ狙われたの?」
「そうですねえ……恐らくは世界に干渉する権限を利用したい、というところでしょうか」
調律者はバロン・クライの命を狙うために力を蓄えていた。
教皇庁の立場からすれば、敵対者して捉えるような真似はしないはずだろう。
だというのに、それを阻んでまでアイゼルネは剣を向けたのだ。
「この世界において、調律者という存在は正しく神に等しい存在。今は矮小な我々でも抗うことは出来ますが、十分な成長を遂げた調律者が相手では成す術が無い。それに関して言えば、私も例外ではないでしょう」
ヴァルターでさえ、本来の力を発揮した調律者には抗えないと言う。
その事実がアインを驚愕させる。
しかし、今の調律者は未熟。
アイゼルネに抗うことさえ出来ず、捕らわれてしまった。
「教皇庁は……いえ、枢機卿殿は神の力を手中に収めようとしているのかもしれません」
それは、あまりにも傲慢な願望。
人の身に余る力を、アイゼルネは得ようというのか。
狂っている。
あれほどの力を持ちながら、更なる力を欲しているのだ。
一体どれだけの力を手に入れれば彼女は満足するのだろうか。
「いやはや、困ったものですねえ。枢機卿殿が神の力を得たならば、我ら邪教徒に安息の地は失われてしまう。ああ、恐ろしいですねえ」
言動とは裏腹に、ヴァルターの表情は嬉々としている。
アイゼルネを恐れていないのだろうか。
まるで見世物でも眺めているかのように愉しげに笑みを浮かべており、少なくとも恐怖を抱いているようには見えなかった。
「もう一つ聞いてもいい?」
「ええ、答えられる範囲でよろしければ」
アインは以前から気になっていたことがあった。
それは、ヴァルターとアイゼルネの確執。
以前ヴァルターに助けられたとき、二人が互いに知っているような言動をしていたことを今でも覚えていた。
「アイゼルネとは、どういう因縁が?」
「やはり枢機卿殿とのことについてですか。ええ、聞かれるとは思っていました」
やはりと言った様子で、ヴァルターが困ったように頬を掻く。
彼にとっても説明しづらい話題なのだろう。
「言うなれば――因果応報、というところでしょうか」
抽象的な言葉にアインは首を傾げる。
その一言だけでは、さすがに二人の事情を察することは出来ない。
ヴァルターは紡ぐ言葉を思案し、難しい表情で口を開いた。
「枢機卿殿は邪教徒を殺して旅をしていた。私はそれを阻んだ。それが幾度となく繰り返され、今のような関係になったのです」
「どっちかが命を落とすようなことは無かったの?」
「ええ、幸いなことに」
これも邪神の導きだろうと、ヴァルターは黒鎖魔紋に手を添えて嗤う。
彼は簡単に語るが、その裏では凄惨な戦いが繰り広げられていたのだろう。
「彼女は素晴らしい戦士でした。戦う度に剣筋も、気迫も、殺気も研ぎ澄まされていったのですから。私としても、中々に楽しめましたよ、ええ」
しかし、とヴァルターは続ける。
「アイン。これだけは確信を持って言えます。貴女は枢機卿殿を打ち倒すほどの戦士になるでしょう」
場合によっては、私さえも。
その言葉を呑み込んで、ヴァルターはアインの目を見つめる。
「殺意を滾らせなさい。狂気に身を委ねるのです。理性という枷は、貴女のためにはならない」
「私は……」
アインは苦悩する。
内に秘められた残虐な本性は、今にでも聖誕祭に集まった者たちを殺し尽くしてやりたいほどだった。
最後に残された人間らしい部分がそれを拒んでいた。
黒鎖魔紋を解放する心地良さをアインは知っている。
しかし同時に、マシブと共に酒を飲んで語らう楽しさも知っている。
葛藤する姿を見て、ヴァルターは感心したように頷く。
アインとマシブは互いに依存するように支え合っているのだ。
それが停滞を生むことになったとしても、悪くはないのではとさえ思えてしまう。
「存分に苦悩しなさい。貴女が一体どのような答えに至るのか、私は楽しみで仕方がありません」
心の底から、アインの歩みを応援していた。
第三段階まで解放できるようになるまでヴァルターは見守るつもりでいた。
「さて……そろそろですかねえ」
ヴァルターが窓の外に意識を向ける。
そろそろマシブが戻ってくる頃合いだろう。
儀式の準備が整えば、アインが十全に力を振るえる場を整えることが出来る。
少しして、マシブが戻ってきた。
「全部終わったぜ」
「感謝します。それでは、明日の聖誕祭に備えて打ち合わせをしておきましょうか」
ラクィア神殿の地図を広げ、三人は思考を巡らしていく。
聖誕祭は明日の正午だ。




