150話 話すべきこと(1)
ラクィア神殿には多くの信徒が訪れていた。
敬虔な信徒だけではなく、ただ旅の途中に寄った詩人や商人なども多い。
それだけ、聖誕祭に期待をする人がいるのだろう。
神殿といっても建物が多く存在し、実際には街といった方が正しいだろう。
旅人のための宿泊施設なども用意されており、多くの信徒たちが利用している。
どうにか宿を見つけた三人は、一先ず荷物を降ろして休憩を取っていた。
「いやはや、不愉快ですねえ。この地は聖なる魔力に満ち溢れている」
まるで埃を払うようにヴァルターが服を叩いた。
黒鎖魔紋を持つ彼からすれば、この地に長く留まることは負担になるのだろう。
「アインは大丈夫か?」
「……今のところは」
神殿から少し離れた場所に宿を取ったため、今は耐えられないほどの苦痛は感じなかった。
だが、神殿内部に入ったならば、耐えがた苦痛が襲ってくることだろう。
「それで、聖誕祭までに何をすりゃいいんだ?」
「そうですねえ……先ず優先して行いたいことは、これでしょうか」
ヴァルターが懐から黒鎖魔晶を六つ取り出す。
それだけの黒鎖魔紋の所有者が殺されたと考えると、マシブは気軽に触れることが躊躇われた。
「黒鎖魔晶に魔紋を刻み込んだものです。私が指定する場所に、これらを設置してきてほしいのですよ」
「これを設置するとどうなるんだ?」
「アインの負担が軽くなります。全てを改善することは厳しいでしょうが……まあ、ある程度は聖なる魔力を緩和してくれることでしょう」
そうなれば、神殿内でもアインが戦闘を行えるようになる。
聖なる魔力に満ちているラクィア神殿全体に対して、場を改変するほどの大規模な魔術を仕掛けることは本来であれば不可能だろう。
並の魔術師では出来ない芸当だ。
ヴァルターがいるからこそ、こうして場を整えることが出来る。
「そうですねえ……マシブ、貴方に設置を任せてもよろしいでしょうか?」
「構わねえが、三人でやった方が速くねえか?」
「アインには別の用事があるのです。色々と話さなければならないこともあるので」
「そういうことなら、わかったぜ」
マシブは印の付いた地図と黒鎖魔晶を受け取ると、宿を出て行った。
それを見送ると、ヴァルターは改めてアインに向き直った。
「さて、アイン……貴女に話すべきことは沢山あります。貴女にも、私に聞きたいことは山ほどあるでしょう」
ヴァルターはアインの右腕――正確には義手を見つめる。
本来であれば、黒鎖魔紋は右手の甲に刻まれているはずだ。
「何故、貴女の魔紋は健在なのでしょうねえ」
「……どういうこと?」
ヴァルターの言葉の意味が分からず問い返す。
アインは赤竜の王との苛烈な戦いによって右腕を失った。
気付いた時には胸元に黒鎖魔紋が転移していたのだ。
「黒鎖魔紋は邪神の寵愛の証。失うようなことがあれば、死よりも悍ましい末路を迎えることになるでしょう」
正しく、神の怒りに触れるということ。
ヴァルターが知る限りでは、黒鎖魔紋が転移するようなことは考えられない。
「私が知る限りでは、このような事例は初めてなのです。女性にこのようなことを頼むのは憚られますが――その魔紋を、よく見せていただきたい」
アインは頷くと、首元を引っ張って魔紋を露わにする。
それを見つめるヴァルターの表情が徐々に驚愕の色を帯びていく。
「おや、これは一体。まさか……ふむ……」
はたして彼はアインの魔紋から何を感じ取ったのだろうか。
しばらくして、ヴァルターは「もう大丈夫です」と口にした。
「いやはや、すいませんねえ。魔道の探求者として、そして邪教の神父として興味が湧いてしまったものですから」
「何が分かったの?」
「色々と推測できることはあるのですが……不確定な予想でしかないので、やめておきましょう」
未だにヴァルターの表情は驚愕で彩られていた。
深呼吸をすることで幾分か平常を取り戻し、彼は大袈裟に咳払いをする。
「では次の話を。以前、貴女に黒鎖魔紋には三段階が存在すると言いましたね?」
アインは頷く。
夜の森の中で、初めてヴァルターと話した時に教わったことだ。
「第一段階。理性の枷は封じられ、代わりに強大な力を武器に宿す。黒鎖魔紋の力を振るう上で、誰もが初めに解放する力です」
黒鎖魔紋は解放しなければ力を行使することが出来ない。
だが、第一段階であっても強者を容易に退けるだけの力を発揮する。
「第二段階。邪神の力によって生み出された武器を得られますが、対価として理性を失い、本能を曝け出し、そして狂う。今の貴女は第二段階まで解放が出来るのでしたね?」
全力で戦わなければならない時、アインは第二段階を解放する。
その代償は大きいが、それに見合っただけの強大な力を得られるだろう。
「そして、以前は教えなかった第三段階。きっと、遠くない内に発現させると思いますが――この力を求めるのであれば、これまで以上の覚悟を必要とするでしょう」
「覚悟はずっと前に出来てる」
「ええ、理解しています。しかし、第三段階はこれまでの性質とは大きく異なる。己という存在に大きな変化を齎すのです」
その言葉を聞いただけでは、ヴァルターの言おうとしていることは理解出来なかった。
己という存在に大きな変化を齎す。
どれだけの影響が出るのか、想像も付かなかった。
「無論、第三段階を解放すれば、その莫大な代償に見合うだけの力を得られることでしょう。人によって代償は異なりますが、私はその末路を幾つか知っている」
ヴァルターの表情は悲しみに満ちていた。
各地を旅して、それだけ多くの悲劇を見てきたのだろう。
黒鎖魔紋は都合の良い力ではない。
所有者に災厄を齎す悍ましい魔紋だ。
禁忌の力として世界から忌み嫌われ、そして畏れられている。
それを考えれば、第三段階へ至るための代償は計り知れないだろう。
「気を付けてください、アイン。主は偉大なる存在ですが、我々に絶対的な愛を与えてくれるわけではない。覚悟なき内に第三段階を解放すると、きっと後悔することになるでしょう」
それはヴァルターの心からの忠告だった。
アインの殺すべき相手はアイゼルネとバロン・クライの二人。
彼らを倒すには強大な力が必要だが、そこに至るには第三段階を解放するしかない。
復讐を諦め、人間らしい道に戻ることをヴァルターは勧めているのだろう。
災禍の日は繰り返されるが、それ以外の時は普通に暮らすことも不可能ではない。
今のアインは、既に十分すぎるほど力を付けているのだ。
「それでも、私は――」
既に覚悟は決まっている。
代償がどれだけ大きかったとしても、アインはそれを求めるだろう。
ヴァルターは勘違いしているのだ。
アインが求めているのは復讐だが、それ自体ではない。
仇を殺した時に得られるであろう最上の快楽。
返り血に塗れて、亡骸を見下ろす愉悦。
それを想像してしまうと、体中が炎に巻かれているかのように熱を帯びるのだ。
「――殺したいから」
「いやはや、貴女の凶暴さには感心しますねえ」
ヴァルターが愉快そうに嗤う。
アインの覚悟は、決して折れることは無いだろう。




