148話 反旗を翻す
あれだけの騒ぎが起きたのだから、いつまでもシルヴァの街に留まっているわけにはいかないだろう。
先ほど戦闘が起きた場所には既に衛兵たちが集まっている。
アインたちは宿へと戻ると、いつでも出発出来るように準備を進めていく。
特に持ち物の無いヴァルターは、興味津々といった様子でエミリアとウィルハルトを見ていた。
「それで、そちらの方々はアインとどのようなご関係で? 随分と絢爛豪華な装いですが」
「私が説明致しましょう」
ウィルハルトが前に歩み出て一礼する。
その隙の無い所作から、老齢ながら未だ衰えない剣士としての力量を感じられた。
「私はウィルハルト・ハーケンシュタイン。スカーレット家の執事兼護衛を務めております。そして、こちらが主の――」
「わたくしはスカーレット家第三十八代当主、エミリア・フラウ・スカーレットですわ」
以後お見知りおきを、とエミリアが微笑む。
その名を聞いて、ヴァルターは思い出したように手を打った。
「これはこれは、名高いスカーレット家の御当主でしたか。先代は教皇庁の異端審問に掛けられて命を奪われたと聞きますが……」
「よくご存じね。それなら、わたくしたちがラクィア神殿を目指している理由も分かるのではなくて?」
エミリアの問いにヴァルターは頷く。
それが推察なのか、あるいは“既知”の情報だったのかは定かではない。
「――此度の聖誕祭は、教皇庁が神の降臨を謳う特別なもの。いずれ来るであろう大災禍を退けるためと聞き及んでいます」
神の降臨。
そして、大災禍。
それがどういった現象であるのか、アインとマシブは想像が付かずにいた。
「大災禍ってのは、教団の奴らが企んでる現世と邪神の住まう世界との境界を無くすことだったか……それに備えるってんなら、聖誕祭を止める必要は無いんじゃねえか?」
大災禍によって齎されるのは、魔物の活性化や災禍の日に現れるような異形の怪物が溢れることだ。
そうなった時、戦う力を持たない者たちは生き延びる術が無くなってしまう。
教皇庁が大災禍を見越して神の降臨を行うのであれば、一定数の生存者は確保できるのではないか。
マシブはそう考えていたが、ヴァルターは首を振った。
「彼らの崇める神とやらの庇護下に、我々が入れるとは思えませんがねえ」
もし教皇庁が神の降臨に成功したとして、果たして悪人までもが救済の対象に入るだろうか。
考えるまでもなく否である。
悪しき道を進む者にとっては余計に過酷な世界となってしまうだろう。
「そもそも、教皇庁の崇める神ってのがいまいち分からねえんだよな。偉そうな教えとかは鬱陶しいくらい聞こえてくるが」
「そうですねえ……アレを神と定義することは、私としては認めたくないのですが。今は『実際に目にすれば分かる』とだけ言っておきましょう」
その発言から、ヴァルターは何か知っているのだろうと思われた。
彼が口にしない以上、これ以上追及する必要は無いだろう。
「ああ、一つ言っておかなければならない事があります」
人差し指を立てて、ヴァルターが思い出したように言う。
「聖誕祭を阻止するつもりであれば、無辜の民を大勢殺すことになるでしょう。敬虔な信者である彼ら彼女らは、きっと我々の行く手を阻むことになる」
その時に、自らの手を汚す覚悟があるのか。
善心から立ちはだかる信徒たちを、殺してでも先に進む覚悟はあるのか。
アインは頷く。
ここに至るまでの道程で、既に痛む良心は失われていた。
ただ多くの命を殺めることに歓喜するのみ。
エミリアとウィルハルトも頷く。
彼らもまた、教皇庁に恨みを持つ者たちなのだ。
行く手を阻む者がいたとして、目的のためならば、彼らを殺めることは致し方無いと割り切っている。
そして、マシブも頷く。
これまで多くの悪行を働いてきたのだ。
後戻りするほど、生温い覚悟では臨んでいない。
「素晴らしい!」
ヴァルターは両手を広げ、大袈裟に喜んで見せた。
罪もない民衆を殺めることは、本来であれば忌避すべきだ。
それを厭う事無く遂行しようとする覚悟に、彼は感心したように何度も頷く。
「……おや?」
ふと、ヴァルターが首を傾げる。
どうやら何かの魔術を行使しているようだったが、他の皆には一体どんな魔術なのか理解できない。
「どうしたの?」
「いえ……以前『純白司教』の司祭を洗脳して手駒にしたでしょう? 残念ながら、魔術の繋がりが切れてしまったようなのです」
ヴァルターは残念そうに肩を落とす。
手駒として有効に活用するつもりだったらしい。
「内側から手引きをすればラクィア神殿までの移動が楽になると思ったのですが……いやはや、枢機卿殿も侮れませんねえ」
魔術を解除されたのか、あるいは任務をしくじった為に処罰を受けたのかは分からない。
いずれにしても、アイゼルネによって阻まれた事実には変わりない。
ウィルハルトが窓から街の様子を窺う。
先ほどの騒ぎによって、シルヴァの街は警備が厳重になっているようだった。
「早めに出発した方が良いでしょうな。あと半刻もしない内に街は封鎖されるかもしれませぬ」
シルヴァの街を出れば、あとはラクィア神殿まで移動するだけである。
来るべき時に備え、皆が気を引き締めた。




