146話 嫉妬(1)
大通りの喧騒は夜になっても続いていた。
魔力光を放つ街灯が、闇を退けるかのように揺らめく。
「騒がしいもんだぜ」
マシブが呟く。
間近に手配書が出されるほどの大罪人がいると気付いたら、きっと彼らは風に吹かれた木の葉のように消え去ることだろう。
「……夜になっても、この街は明るい」
「さすがはハイデリアってところか。他の国なんて、夜道は薄暗くておっかねえのによ」
それだけ技術が進んでいるのだろう。
このままいけば、ハイデリアは他国を置き去りにして発展していくかもしれない。
その先に待っているものが戦争であることは、二人とも理解出来た。
この街が寝静まるのは日が沈んでからしばらくしてのことだ。
しかし、魔導技師の多いシルヴァの街では幾つか光の消えない家が残っているかもしれない。
街を歩き、二人は目当ての食糧や日用品を買い揃える。
これで当面は物資に事欠かないだろう。
品物が入った大きな袋を背負い、二人は宿への帰路につく。
通りを歩いている時、ふとアインが立ち止まる。
「アイン?」
マシブが振り返る。
珍しく殺気の抜けた様子で、何かを見つめていた。
その視線を辿ると、そこには整列した馬車があった。
華やかな装飾が施されており、よく手入れがされている。
恐らく貴族か何かの馬車だろうとマシブは思った。
「馬車がどうかしたのか?」
「見覚えがあったから。きっと近くに――」
その姿を見つける。
絢爛豪華な衣服を身に纏った貴族の娘と、彼女を守護する老執事。
そして、付き従うメイドたち。
外套を取って声を掛けようとした時――強烈な殺気が何処かから襲い掛かってきた。
そして、黒装束の男たちが建物の影から姿を現す。
彼らの狙いが誰なのか、アインは即座に気付くことが出来た。
「伏せてッ!」
アインが声を上げると、視線の先にいた貴族の娘――エミリアが咄嗟に身を屈める。
直後、彼女の真上をナイフが通り抜けていった。
「ウィルハルトさんッ」
「承知」
老執事――ウィルハルトは即座に剣を構え、敵からエミリアを庇うように立ちはだかる。
事態に付いて行けないマシブは、一先ずの疑問は後回しにして黒装束を警戒する。
懐かしい相手だった。
アインがシュミットの街を訪れた頃、護衛依頼を受けた相手。
そして、同じく教皇庁に憎悪を向ける人物でもあった。
驚くべきはウィルハルトの剣捌きだろう。
年老いてなお、その剣閃は衰えを知らない。
襲撃者を前にして、一切の容赦無く剣を振るっていく。
だが、敵は黒装束だけではなかった。
どこからか悍ましい殺気を感じ、アインとマシブは周囲を警戒する。
「……いねえな」
注意深く周囲を警戒するが、何も見当たらなかった。
それはアインも同様だった。
「姿は見えない……けれど」
嫌な気配を感じていた。
体中に殺気が絡み付いてくるような、悍ましい感覚。
何者かに命を狙われているかもしれないと、アインは警戒しつつ精神を研ぎ澄ませる。
確実に敵は存在する。
強烈な殺気を向けてくる者が。
「どうする。敵を放っておくわけにはいかねえが……」
敵の姿が見えないのであれば、無暗に行動するのは悪手だろう。
下手に動いて不意を突かれてしまうような事態に陥るわけにもいかない。
如何にして敵を焙り出すか。
相手は気配を消すことが上手いらしい。
ヴァルターのように索敵に長けた者がいれば容易だったが、彼は旧友と合っているのだから、今は手を借りることは出来ない。
「場所を――」
移すべきか。
そう考えたところでアインは気付く。
自分はなぜ、この場にいる無辜の民を巻き込まないようにしようとしているのだろうかと。
今さら街の被害を考えるほど甘い道は歩んでいない。
「――ここでいい。ここで、敵を迎え撃つ」
「わかったぜ」
背を合わせて周囲を警戒する。
絡み付くような殺気に嫌気が差しつつも、じっと堪えて微かな気配を辿り――。
「――そして全て灰塵と化せ」
近くの時計台に魔法を放つ。
周囲の人々は突然の爆発に混乱しつつ、この場から離れていく。
そして、敵が姿を現す。
「へえ、見破れるなんて……」
右手に妖しく光る黒鎖魔紋。
教団の証である、忌々しい紋章を刻んだローブ。
その者の名は――『茨の魔女』カーナ・オルトメシア。
「嫉妬してしまいますわ。あのお方が気に入るほどの価値があるとは、思えませんけれど」
なぜ、この場に彼女がいるのか。
それは問うまでも無いだろう。
カーナは教団に所属する魔女。
そして、ここは敵対する教皇庁の管轄領内。
彼女が教皇庁の目論見を潰しに来たと考えれば、この街にいるのも不自然ではない。
「それで、どうするの?」
アインは槍を構え、カーナに問いかける。
殺し合いを望むのであれば本望。
教皇庁を相手取るにあたって、共闘を申し出るのであれば話をする価値はあるだろう。
だが、彼女は前者を選んだ。
「万象を打ち払う爛れた叡智よ。此の地に今一度、亡びの息吹を――黒蝕の茨」
禍々しい色をした茨が、数えきれないほど地面から現れる。
黒鎖魔紋の二段階目まで解放し、アインを全力を持って殺そうとしていた。
しかし、アインは黒鎖魔紋を解放しない。
ラクィア神殿を前にして、ここで力を消耗するわけにはいかないからだ。
この力は、そう易々と頼って良い代物ではない。
「死になさい――茨の鞭」
無数の茨が二人に襲い掛かる。
彼女にとってもシルヴァの街の被害はどうでもいい事なのだろう。
のたうつ大蛇の如く、茨は二人を目掛けて襲い掛かる。
「やらせねえよ――剛撃ッ」
抜刀し、切り刻む。
強靭な肉体から放たれる渾身の剣閃が、茨を深く抉り、そして斬り飛ばす。
マシブは犬歯を剥き出しにして嗤う。
カーナは確かに厄介な相手ではあるが、既にエルフ族の里で一度勝利しているのだ。
今さら恐怖を抱くような相手ではない。
休む間もなく後続の茨が襲い掛かるが、迎え撃つようにエミリアが魔法を放つ。
「塵芥さえ残すことは赦さない――終焉の落日」
巨大な黒炎の塊が堕ちる。
黒鎖魔晶を媒介として展開された魔法は、襲い来る茨を焼き尽くしていく。
そして――。
「――降り注げ、怒りの雨よ」
空が禍々しく染まる。
夜の闇色に血が滲んだかのように、空が脈動する。
それは無数の槍だった。
悍ましいほどに、狂おしいほどに、その槍は見る者を惹き付ける。
雨のように降り注いだ時、そこは現世の地獄と化すだろう。
「――ッ」
カーナが避けようとして――膝を突く。
動けないのだ。
まるで強大な力に押さえつけられたかのように、体が酷く重かった。
しかし、即座に無数の茨が彼女を守る様に覆っていく。
アインの大魔法を耐え凌ぐつもりなのだろう。
黒鎖魔紋によって強化された茨は、果たして耐えうるだけの強度を持っているのか。
分厚い壁と化した茨に、無数の槍が降り注ぐ。




