145話 シルヴァの街
戦いの音はやがて消え失せて、後には木々の燃え盛る音が残るのみ。
血の臭いも、煙に紛れてあまり感じられなかった。
ヴァルターは魔導書を懐に仕舞い、ほうと息を吐く。
しばらく戦いの余韻に浸っていたかったが、それ以上に興味深いものがあった。
視線の先にはマシブの姿があった。
両手に一本ずつ、大剣を握りしめて佇む戦士。
彼には、ヴァルターから見ても称賛に値するだけの気迫があった。
――それ故に、実に惜しい。
ヴァルターは酷く残念そうに嘆息する。
もしマシブが黒鎖魔紋を得られたならば、きっとアインと同様に質の高い戦士となっていたことだろう。
脳裏に浮かぶのは、これまで彼が出会ってきた黒鎖魔紋の所有者たちの姿。
狂気染みた執念、想念、観念を持ち合わせたが為に、彼ら彼女らは魔紋を得るに至った。
しかし、実力という点だけを鑑みれば、マシブの方が圧倒的に優れているのだ。
だが、ヴァルターは知っている。
この世界の行く末を。そして、生き残れる者に必要な資質を。
「狂気が足りないのです。黒鎖魔紋を得るには、貴方はあまりにも気高すぎる」
忌避されるべき禁忌の刻印。
それを得るには、邪神に見初められるだけの狂気が必要なのだ。
マシブは矜持も覚悟も持ち合わせてはいるが、狂気と呼べるほどの暗い感情を持っていない。
アインと共に戦うために黒鎖魔紋が欲しい。
だが、黒鎖魔紋を得るにはアインを失う以外に道が無い。
「嗚呼、なんと残酷な試練。或いは……これも、主の慈悲なのでしょうか」
その言葉の意味を理解出来る者は、この場にはいなかった。
三人は森を抜け、ようやく街道へと出る。
この道の先には大きな街があった。
「一度、あの街に寄るとしましょう」
ヴァルターが提案する。
だが、手配書を出されている二人からすれば、街に入ることは出来れば避けておきたかった。
街中で騒ぎが起きてしまえば面倒なことになってしまう。
「ラクィア神殿を目指すにあたって、色々と情報を集めておきたいのです。それに、食糧も心許なくなってきたので」
革袋を逆さにすると、干し肉が少し出てきただけだった。
ラクィア神殿までの道程を考えれば、十分な食料を取っておいた方がいいだろう。
「けどよ、宿の方はどうするんだ?」
「そうですねえ……手配書が出ているとなると、質の良い宿で休息を取ることは難しそうですが」
しかし、とヴァルターは言う。
「幾らか金銭を握らせれば、安宿に泊まることくらいは出来るでしょう。野宿をするよりはずっと良い」
ラクィア神殿で、場合によっては大規模な戦闘に発展する可能性がある。
体を休められるのであれば、今の内にしっかり休息を取っておいた方がいいだろう。
しばらく歩き続け、街に到着したのは夕暮れ時だった。
「まるで別の世界みたいだ……」
街の景色を眺め、マシブは呆然と呟く。
シルヴァと呼ばれるこの街は、ハイデリアで大きく栄えている街の一つだ。
シュミットが鍛冶職人の街ならば、シルヴァは魔導技師の街だろう。
豊富な鉱山資源に恵まれたハイデリアにおいて、シルヴァの街は魔道具の開発に力を入れている最も有名な場所だ。
また、ラクィア神殿に近いという点で、巡礼者が多く訪れる場所でもある。
「良い物があれば、ここで武具を揃えておくべきですが……まあ、必要ないでしょう」
ヴァルターは露店に並んでいる武具を見て、興味を失ったように視線を外す。
アインとマシブは既に十分すぎるほどの武具を手に入れており、今更この街で購入できる程度の代物は不要だ。
「それでは、私は情報を集めるとしましょうかねえ」
「何かあてがあるの?」
「ええ、旧知の友人がこの街に住んでいるのです。その間、お二人には宿探しをお願いできますか?」
二人は頷く。
彼の知人がどういった人物であるのか興味はあったが、彼が語ろうとしないのであれば無理に聞く必要も無いだろう。
ヴァルターと別れ、二人は宿を探しつつ街を散策する。
技術大国というだけあって、その街並みは他の国とは別世界だった。
その中で、ふとアインは気になるものを見つける。
「あれは……」
行き交う冒険者たちが背負っている筒状の武器。
それはかつて、ヘスリッヒ村でベルンハルトが使用していた魔導銃とよく似ていた。
「知ってるのか?」
「前に使っている人を見た」
「なるほどな。あんな細い筒なんかで戦えるとは思えねえが」
マシブは興味深そうに魔導銃を見つめる。
彼の戦い方からすれば全く無縁のものだったが、それでも武器というだけで興味を惹かれてしまう。
「まあ、いずれ実戦でお目にかかれるか。向けられる側でな」
マシブはけらけらと笑う。
この国に長く滞在していれば、その可能性は高くなるだろう。
既に関所を破って侵入したことがバレているのだから、足が付くのもそう遠くない。
街中でも外套のフードを被らなければならないのは面倒だったが、かといって顔を出すといつ賞金稼ぎに狙われるかも分からない。
そのため、こうして素性を隠しつつ移動しなければならないのだ。
適当な安宿を見繕って、二人は休息を取る。
しばらく移動続きだったためか酷く疲弊していた。
安宿とはいえ、ベッドで眠れるのは随分と久しぶりのことだった。
「これで旨いものが食えれば文句はねえんだけどな」
ベッドに腰を落としてマシブが言う。
安宿では碌な食事も得られないだろう。
人目は避けるべきだが、最低限必要な物を揃えなければならない。
アインは荷物を降ろすと窓から外を眺める。
まだ空には朱色が残っていたが、星々が瞬くまで時間は無いだろう。
「早めに買出しに行かないと」
「なら、さっさと済ませようぜ」
マシブは勢い良く立ち上がると、剣を背負って外套を羽織る。
二人は宿に荷物を置いて、街へと繰り出した。




