142話 共闘の提案
大地が朱に染まる。
その中心で佇む神父は、不気味に嗤う。
「嗚呼、素晴らしい……」
周囲に転がる無残な亡骸の数々。
彼らの奏でた死の旋律は、ヴァルターを満足させたようだ。
その中で、ただ一人。
腰を抜かして動けずにいる司祭の男は、次は自分が殺されてしまうのだと戦慄く。
手を組んで祈る様は敬虔な信徒そのものだった。
「――祈るなッ!」
ヴァルターが表情を急変させる。
その怒声に司祭の男は身を震わせるが、組んだ手を解くことは出来ない。
彼の信じる神は、果たして救済の手を差し伸べるだろうか。
「死の間際に祈るなど、ああ、なんと愚かしい方だ。その手を解いて、さあ、武器を握りなさい! 貴方の命は未だ尽きていないでしょう!」
両手を広げ、隙を見せても司祭の男は動けなかった。
どれだけ足掻いたところで無意味なのだ。
ヴァルターの魔術によってこの地は邪教徒の祭壇と化し、聖域は失われてしまった。
神父ヴァルター・アトラス。
彼の力は、教皇庁の想定を遥かに上回っているようだった。
せめてそれだけでも伝えなければと思う一方で、恐怖で指の一本さえ動かせずにいた。
しばらくして、ヴァルターは呆れたように溜息を吐いた。
「残念です」
そう言って、司祭の男に歩み寄る。
恐怖で震えているだけの彼に、これ以上期待するのは酷だろう。
司祭の男の頭を右手で鷲掴みにする。
手の甲に刻まれた黒鎖魔紋が激しく明滅を始めた。
「ぐぁ、がぁあああああ!?」
邪悪な力が司祭の男を浸蝕していく。
獣のように叫び悶えるが、それを見つめるヴァルターの目は冷ややかだ。
「愚者に相応しい末路を与えましょう」
それは、存在の改変。
司祭の男の全てが黒く塗り潰されていく。
自我が失われていく、その恐怖は本人にしか分からないだろう。
やがて、司祭の男は虚ろな表情で立ち上がった。
全てを塗り替えられた今、同一人物と呼ぶべきか否か。
「教皇庁に戻りなさい。そして、枢機卿の目的を探るのです」
ヴァルターの命令に従って、司祭の男は立ち去っていく。
それを見て、マシブは顔をしかめる。
「殺すよりずっと残酷なことをしやがる」
「彼には利用価値があったので。使わないという手はありませんよ?」
その笑みから底知れぬ不気味さを感じ、マシブは視線を逸らした。
彼は敵対者ではないが、非常に危険だと思った。
「それにしても……」
ヴァルターはアインに視線を移す。
背負った槍は赤竜の王の牙から出来ている一級品。
腕の良い魔導技師が作ったであろう右腕の義手。
そして何より、その内に秘めた強大な魔力は、初めてあった時とは比べ物にならないほど成長していた。
「随分と成長しましたねえ、アイン?」
ヴァルターは満足げに頷く。
命を奪うことに抵抗があった平凡な村娘が、今では冷酷な殺戮者へと変貌したのだ。
彼からすれば、その変化は好ましいものだったのだろう。
だが、アインはその言葉を素直に受け入れることが出来なかった。
確かに成長したことは事実だ。
これまでの過酷な旅は、アインを大きく成長させている。
しかし、目の前にいる神父からすれば、それは児戯に過ぎないのだ。
幼子が立ち上がったことを褒めているだけ。
先ほどの戦いを見ただけでも、彼我の実力差はあまりにも大きすぎる。
「それにしても、まさか貴女がハイデリアに来ていたとは……。何か用があってのことですか?」
その問いにアインは頷く。
この国に来た目的は、ただ一つ。
「調律者を教皇庁から解放するために来た」
「ほう……そうでしたか。調律者を解放して、その後はどうするのです?」
「バロン・クライという男を探し出して――殺す」
アインの瞳には確固たる信念が宿っていた。
この悲劇は全て、世界の破滅を目論む教団によって齎されたものだ。
調律者を助け出してから得られる限りの情報を得て、教団の祖バロン・クライを殺そうと考えていた。
「バロン・クライ……ですか。知らない名ですねえ。私も協力できればいいのですが、残念ながら多忙の身でして」
ヴァルターは残念そうに肩を竦める。
だが、と彼は続ける。
「私としても、教皇庁の目論見は潰しておきたい。元よりそのつもりでラクィア神殿を目指していたのですから。もしよければ、行動を共にしませんか?」
思いもよらぬ共闘の提案だった。
ラクィア神殿でアイゼルネと戦闘になるかもしれないと考えると、彼の存在ほど頼もしいものは無いだろう。
何よりヴァルターには一度命を助けられている。
彼がいなければ、今頃は教皇庁によって死刑に処されていたはずだ。
信頼できる人物が仲間に加わるのだから、この提案を断るということは有り得ないだろう。
アインが頷くと、ヴァルターは穏やかに微笑む。
「それでは、ラクィア神殿に向かいましょうか。再会の喜びを分かち合いたいところですが、聖誕祭まであまり時間が無いのです」
ヴァルターを加え、三人はラクィア神殿を目指す。




