141話 殺戮
教皇庁の騎士の練度は非常に高い。
個々の能力が高いだけではなく、司祭の男の指示を忠実にこなすだけの統率が取れているのだ。
技量では勝っているアインとマシブだったが、統率の取れた騎士を相手にするには分が悪い。
「チィッ、嫌な動き方をしやがる」
マシブは苛立ったように荒く息を吐き出す。
攻め過ぎず、守り過ぎず。
絶妙な加減で間合いを取る騎士たちに焦れていた。
だが、厄介なのはそれだけではない。
襲い掛かってきた騎士を迎え撃とうとして、マシブは咄嗟に後方へと飛ぶ。
直後、マシブの前方に光の刃が降り注いだ。
「随分と勘が良い」
司祭の男が嗤う。
彼は戦況を把握して、後方から騎士たちに正確な指示を出している。
そのせいで二人は思うように動けずにいた。
さらに、隙あらば命を刈り取ろうと魔法を放ってくるのだ。
これほど厄介な相手はいないだろう。
「国境でなにやら騒動があったと言うが、どうやら貴様らの仕業のようだな」
「それが何だってんだ?」
「本来は黒き逆十字の神父に使うつもりだったが――まあいい」
司祭の男は懐から一つの水晶を取り出す。
聖なる光を宿した魔道具。
その効果は不明だったが、男の自信に満ちた表情から危険なものであると理解できた。
「させないッ」
アインが魔法を放とうとした時――二人の間を阻むように、騎士たちが陣を組んだ。
紅蓮の業火に巻かれてもなお、彼らは信仰を手放さないのだ。
「さあ、邪教徒共に制裁を下せッ!」
辺り一帯を眩い光が包み込んでいく。
否、それは無数の術式だった。
複雑に刻まれた術式が、この地を聖域へと変えていく。
「――ッ!?」
黒鎖魔紋が酷く疼いた。
まるで自分がこの地に存在してはいけないような、そんな感覚がしていた。
激痛が走る。
心臓が激しく脈動する。
体が焼け爛れていくような酷い痛みだ。
胸元を抑えつつも、アインは殺気を滾らせていく。
だが、体には思うように力が入らなかった。
「こいつは……」
マシブはアインの異変に気付き、そして察する。
先ほどの水晶は周囲を一時的に聖域へと変貌させる魔道具なのだと。
この場に留まっていてはアインが危険だ。
しかし、撤退を許してくれるほど生易しい相手ではない。
「くそ、やってやるッ」
黒鎖魔紋を持たないマシブには影響はなかった。
こういう時こそ自分が戦うべき時なのではないか。
相手の数は多いが、我が身を顧みずに特攻すれば倒せない相手ではない。
だが、相手もそれを見越していたのだろう。
先ほどまでアインを襲っていた騎士の幾分かがマシブの方に来ていた。
如何に実力を付けたといえど、個々の練度が高く統率の取れた騎士を相手に凌ぎきることは難しい。
ラクィア神殿までの道程を考えると、ここで消耗してしまうのは得策ではない。
苦戦する彼の横では、アインが黒鎖魔紋を解放するべきかと思案し始め――。
「――ああ、その必要はありません」
青白い肌をした、長身痩躯の男。
その首に掛けられた逆十字は、何を恨んでの物なのか。
神父ヴァルター・アトラスが、何処からか姿を現す。
「ここは私に任せてみませんか、アイン?」
穏やかに微笑む姿は善良な神父。
その裏に黒鎖魔紋を得るほどの狂気を宿しているとは、誰も思わないだろう。
問う必要は無い。
数多の魂を喰らってきた今だから分かるのだ。
彼の存在は、あまりにも強大すぎた。
「いやはや、このような辺境まで探しに来るとは。教皇庁の司祭は大変ですねえ」
――何故。
この場にいる誰もが疑問を抱いた。
確かに司祭はヴァルターを捕縛するために騎士を率いてきた。
だが、先ほどまで何も気配を感じなかったというのに、一体どこから現れたというのか。
そして何故、彼は聖域の中で平然としていられるのか。
「おや、疑問に満ちた表情をしていますねえ」
「貴様……一体いつからそこにいたッ」
「さあて、何故でしょう」
両手を広げておどけてみせる。
一切の殺気も感じない穏やかな様子だった。
だというのに何故だろうか。
こんなにも恐ろしく感じるのは。
「本来であれば、彼らはこの私を探していたはずでした。不要な面倒をかけてしまって……いやはや、申し訳ない」
ヴァルターは二人に頭を下げると、懐から一冊の本を取り出す。
派手な装飾の施された魔導書だった。
「お詫びというには物足りないかもしれませんが、ここで一つ、面白いものをお見せ致しましょう」
魔力が吹き荒れる。
とても禍々しい、奈落の底のように昏い色をした魔力だった。
「此の地こそ――黒き約定の地」
視界が黒く塗り潰されていく。
周囲に展開された術式を闇が侵食していく。
聖域が、穢されていく。
「馬鹿な……」
司祭の男が顔を青くする。
聖域があってこそ、彼らは邪教徒に対して一方的に力を振るうことが出来るのだ。
絶対の自信を持っていたはずの術を破られて、平然としていられる者はいないだろう。
「さあ、祈りなさい。教皇庁の犬らしく、無様に、惨たらしく、その亡骸を神に捧ぐといい!」
ヴァルターが手を振るう。
それだけで、騎士の一人が無残に弾け飛んだ。
彼からすれば、この程度の相手など脅威足りえないのだ。
はたして彼を超える魔術師が大陸に存在するだろうか。
そんな疑問を抱いてしまうほどに、ヴァルターは圧倒的な力を誇っていた。
血飛沫が舞う。
断末魔が響き渡る。
その中心で踊るのは、黒き逆十字の神父。
「さあ、さあ! もっと私に、死に行く者の旋律を聴かせなさい! 在りもしない天国を夢見て消え去りなさい!」
――そして、哄笑。
一体どうすれば、この惨劇を止められるのだろうか。
騎士も司祭も抗うことを諦め、ただ死の刻限まで祈り続けるのみ。
神父ヴァルター・アトラス。
彼と対峙して、生き延びられる者は存在しないのだ。




