133話 屍虫ムルティス(2)
屍虫ムルティスの変貌に皆が驚愕を隠せないでいた。
ただ姿形を変えただけではない。
魔物としての性質も大きく変わっていた。
マシブが剣を構え直した直後、瞬時に肉迫したムルティスが両腕の鎌を振り下ろす。
受け止めようとして――マシブは咄嗟に横へと飛び退く。
本能的にムルティスの方が強いのだと理解できたからだ。
もしあのまま受け止めていたならば、マシブの命は無かっただろう。
冷や汗をかきつつ、マシブは再び剣を構える。
「出し惜しみは出来ねえってことか――灼鬼纏転」
魔力を練り上げて肉体の限界を超えた強化を施す。
この奥義を発動したのだから、彼が力勝負で負けるはずもない。
「ぶっ潰してやるッ」
マシブは荒々しく剣を叩きつける。
鈍い音と共にムルティスの巨躯が大きくよろめいた。
反撃と言わんばかりに振り下ろされたムルティスの鎌を真正面から受け止める。
荒み切った都市の幻影。
そんなものに負けていられるほど生易しい道程ではないのだ。
「うおおおおおおッ!」
咆哮し、押し返す。
体勢を大きく崩したムルティス。
その隙を見逃すはずもない。
「アインッ!」
マシブは声を上げて横へと飛ぶ。
長い間二人で旅をしてきたのだから、彼の意図を察することは容易い。
後方では既に槍を構えたアインが駆け出していた。
繰り返し進化を続けるのであれば、その度に叩き潰してやればいい。
その生命力が尽き果てるまで何度でも槍を振るえばいいのだ。
「――黒牙閃」
禍々しい魔力の刃がムルティスの体を穿つ。
体の大部分を抉られては流石に動けまい。
そんな期待があったが、しかし即座に再生が始まる。
「メルディアの呪いに死んでいった者たちの魂。その全てがムルティスを象っているのだ。悍ましい呪いよな」
ファーレンは警戒した様子でムルティスを見つめる。
次の姿は甲虫。
その巨躯を以て、マシブを目掛けて突進する。
「おお、やろうってのか。上等だ」
力の競り合いがしたいのだろう。
わざわざ体格の良い自分に襲い掛かってきたのだから、相手をしてやろうとマシブは身構える。
両の手に握られた剣を高々と掲げ――思い切り叩き付ける。
「――ッ!?」
手応えは酷く鈍い。
全力を以て振り下ろした双剣は、いずれも外皮に僅かな傷を付けるだけに留まっていた。
どうにか押し返すも、マシブの表情は驚愕を隠せないでいた。
常識外れの生命力に、凄まじい進化速度。
初めはただの肉塊だったというのに、今では力も頑丈さも備えている。
「こいつ、馬鹿げてやがる」
マシブは一度距離を取り、ムルティスの姿を観察する。
あれはただの魔物とは違う。
舐めて掛かっていては痛い目を見るだろう。
彼が全力で剣を振るえば、あの分厚い外皮をどうにか出来ないこともない。
だが、それを許すほどムルティスは鈍重ではない。
如何にすべきかと思案していた時、後方から呻くような声が聞こえてきた。
「……おい、どうした!?」
アインが胸元を抑えて呻いていた。
その瞳は殺気にギラギラと輝いていて、内から込み上げる衝動を抑え込んでいるようにも見えた。
その様子にファーレンは何が起きているのか理解できずにいた。
彼はアインの事情を知るわけでもない部外者だ。
しかし、彼の直感がこの場に留まるべきではないと警笛を鳴らしていた。
「ぐっ……うぁ……」
アインの体に黒い鎖状の魔紋が浮かび上がる。
それは紛れもなく黒鎖魔紋によるものだった。
「どうなってやがる……ッ!」
アインの意思とは関係なく黒鎖魔紋が解放されていく。
そんな事態は今まで一度も無かった。
力を制御しきれなかったことはあったが、それでも最終的には抑え込むことは出来ていた。
だというのに。
今のアインは、自らの狂気に呑まれようとしていた。
「うあ……あああっ……」
魔力が溢れ出す。
体が酷く熱かった。
抑え切れない殺意の奔流がアインの思考を塗り潰していく。
そして――魔力が吹き荒れる。
「うぁあああああああああああああああああああああッ!」
黒鎖魔紋の力が解き放たれた。
無数の槍が地面から突き出していき、ムルティスの体を容易く串刺しにする。
さすがにこれは耐えられなかったのか、再生しきれずにムルティスは地に伏して動かなくなった。
それだけでは飽き足らず、アインは信徒たちに視線を向ける。
狂気に染まった瞳に映るのは脆弱な獲物。
理性を失ったアインには敵味方の区別も付かずにいた。
恐れをなした信徒たちが背を向けて逃げ出そうとするが、それが叶うはずもない。
即座に肉迫したアインによって、突き刺され、引き千切られ、叩き潰されていった。
「嘘だろ、おい……」
マシブは愕然とした表情で呟く。
信徒たちが死んだことは、彼にとっては大した問題ではない。
その死を何とも思わないわけではないが、些細な事だった。
今までは黒鎖魔紋によって理性を飛ばしつつも、最低限の判断能力は残っていた。
衝動を抑え切れるわけではないが、敵味方の区別も付いていた。
少なくとも、味方を殺めるようなことはしない。
だが、今のアインには完全に理性が失われていた。
信徒を殺し終え、恍惚とした表情で顔を上げる。
すると、そこには一人の男がいた。
熱っぽい息を吐き出し、アインは槍を構える。




